桑原啓善
来歴
学生時代に心霊研究の迷信を叩くことを試みるが、逆に心霊研究を正しいと考えるようになり、同研究の道に入る[3][4]。心霊科学研究会を創設した浅野和三郎の後継者である脇長生に師事。1985年、任意団体「シルバー・バーチの会」(後のニューエイジ団体『生命の樹』)を設立し[5]、「ネオ・スピリチュアリズム」を唱導する[3]。
1992年、癒やしの力を持つ発声法として「リラ」を考案[4]。人間の耳には聞こえない自然界の呼吸音が癒やしと生命力の回復になると考え、これを「自然音楽」と呼び[6]、この自然音楽で人を癒やす「自然音楽療法」を1995年に開始[5]。1997年、株式会社リラ研究グループ自然音楽研究所を設立。「地球の恒久平和実現のための地球人の魂の癒しと進化の実践活動」として音楽創作活動、CD製作、コンサート開催、各種講座の開催、研究、講演を行う[5]。一方では作家の宮沢賢治を長年かけて研究。生涯にわたって献身生活を続けた彼を、愛情で人を癒やす人物と考え、宮沢賢治に倣った生き方を目指した[6]。
没後は、総合芸術文化活動を目指して設立された一般財団法人山波言太郎総合文化財団の永年名誉会長とされた[5]。