真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

偉大なクルックスを尊敬していたフランスの世界的生理学者シャルル・リシェ(1913年ノーベル生理学賞、医学賞受賞)はそのことについて

 

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偉大なクルックスを尊敬していたフランスの世界的生理学者シャルル・リシェ(1913年ノーベル生理学賞、医学賞受賞)はそのことについて

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「博士ともあろうお方が、何ということを!博士は道を間

 

違えられた!」と嘆いたそうですが、そのときのことを何

かのスピリチュアルリズムの文献でこう述べています。

 

「当時の科学的常識を絶対と思っていた私はクルックス博

士の見解を自分で実験して本当かどうかを確かめてみよう

などという考えを抱く余裕などカケラもなかった」。

 

 

人間というのは、人のやったことは頭から嘲(あざ)笑う

だけで平気でいられるものだ。

 

恥ずかしい話だが、私もその一人だった、博士が写真を公

表して、霊が物質化してその姿を写真に撮らせたこと、し

かもその物質化像にも脈拍があったという報告を読んだ時

 

 

                       霊界が存在する証拠 【シルバーバーチ】 | 太平洋戦争史と心霊世界

      ガリー博士(右)がケーティ・キング霊の脈拍を計っている場面。

 英国学士院のガリー博士がケーティの脈拍を調べると75だったのに対し、霊媒のクックは90でした。そして実験が終わるとケーティは徐々に消えていきました。

 

いかに尊敬申し上げている高名な物理学者とはいえ、私は声に出して笑ってしまった。

 

そのリシェーは、そののちに交霊会に出席し、霊界の歓迎

 

(驚異的現象)に圧倒され、

 

「神よ!私が間違っておりました!」

 

と叫んでしまったようです。

 

そして一級のスピリチュアリストの一人になって、スピリ

チュアリズムの普及に大きな貢献をされています。

 

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備考、ウイリアム・クルックス、1907年ノーベル化学賞受賞、19世紀最大あるいは歴史上最高の科学者(物理学者)の声も多い。

シャルル・ロベール・リシェ、(1913年ノーベル生理学賞、医学賞受賞、)

 

 

 

ウィリアム・クルックスは「自分の死後存続に対する確信の多くは、彼女の確かな霊媒能力による」と再度宣言した。

 

 

ウィリアム・クルックス

 
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
ウィリアム・クルックス卿

サー・ウィリアム・クルックス(Sir William Crookes1832年6月17日 - 1919年4月4日(86歳没))は、イギリス化学者物理学者である。タリウムの発見、陰極線の研究に業績を残している。

人物[編集]

1832年ロンドンで生まれた。1848年に王立化学大学(Royal College of Chemistry)に入学し、ドイツから来たアウグスト・ホフマンの下で有機化学を学んだ。

グスタフ・キルヒホフ分光学研究に刺激を受け、自らも分光学に転じた。1861年には、分光分析により、硫酸工場の残留物からタリウムを発見した。

1875年ころから、陰極線放電現象)に興味を持ち、従来より真空度の高い放電管を作って、研究を行った。クルックス管を発明し、この中に羽根車をおいて、陰極線をあてて回転させた実験は有名である。この実験により、陰極線帯電した微粒子からなることを明らかにした。この微粒子は、その後電子と名づけられ、ジョゼフ・ジョン・トムソンロバート・ミリカンらによって、その性質が明らかにされていった。

クルックスはクルックス管で実験を行うと、周囲の写真乾板露光させる現象があることを認識していたが、それを深く追求はしなかったため、X線発見の機会を逸してしまった。15年後、同様の現象を見出したレントゲンにより、X線が発見された。

物理学に留まらず、様々な分野における研究を行った。例えば、テンサイからの砂糖製造の研究、フェノールの防腐作用の発見(1866年)、ダイヤモンドの起源に関する研究、都市排水に関する研究といったものである。1860年代の後半から心霊現象の研究をはじめた。「心霊現象研究協会」(SPR:Society for Psychical Research)の創設メンバーに加わり、1896年には会長に就任した。1919年に ロンドンで死没。

略歴[編集]

心霊研究[編集]

1871年、信奉者の間で「霊媒の王者」と呼ばれていたダニエル・ダングラス・ホーム(ヒューム)という霊媒について研究し、「ホーム(ヒューム)の心霊現象にはトリックの片鱗すら見出せなかった」との結果を発表した[2]。 また、1872年からその真偽をめぐり論争が起っていたロンドンのフローレンス・クックという17歳の女性霊媒についても研究を始めた。クックが自身のエクトプラズムを使って物質化させたというケイティ・キングと名乗る霊の脈拍を測ったり、何十枚もの写真撮影を行なった[3]そして、クルックスはクックの起こす現象は本物であると発表した[2]。多くの科学者はクルックスは騙されたか、発狂したのだと考えた。それらに対し、クルックスは「私はそれが可能だと言ったのではなく、事実だと言ったのだ」と反論した[2]。クルックスは妻と共にクックが1904年に他界するまで面倒を見続けた[2]

 

 

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シャルル・ロベール・リシェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (2021/07/08 03:23 UTC 版)

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Charles Robert Richet
シャルル・ロベール・リシェ
生誕 1850年8月25日
 フランス共和国 パリ
死没 1935年12月4日(85歳)
 フランス共和国 パリ
国籍  フランス共和国
研究機関 パリ大学
出身校 パリ大学
主な受賞歴 ノーベル生理学・医学賞 (1913)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1913年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:アナフィラキシー・ショックに関する研究

来歴

フランスのパリで生まれる。パリ大学教授で外科医でもあった父の影響を受け、早くから医学に興味を持った。パリ大学に入学後、医学を学び外科医を目指すが、生理学を志すようになる。1869年医学の博士号を取得後、1878年には理学の博士号も取得。1879年パリ大学医学部生理学講師に着任、1887年には生理学教授となる。1913年アナフィラキシー・ショックの研究によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。体温調整機能の研究も業績の一つである。1927年に大学を引退後は、平和論の推進、航空科学の研究、精神感応術の研究を進めた。

研究・発見

リシェの生理学の研究は血清に始まる。1888年に細菌に感染した動物の血液が、同じ細菌に致命的な影響を与えることを証明した。結核の治療に血清が利用できるのではないかと考え、1890年から結核患者を使った血清療法の研究を始めた。結果的には結核の治療には血清はむいておらず、後にベーリングがリシェの方法をジフテリアに応用し、成功している。

次に、1900年ごろ、熱帯のクラゲ毒の研究を始める。毒の成分は分からなかったが、実験を繰り返すうち、致死量に至らない毒を注射した犬に、1カ月後、再度、同じ量を注射すると急激な生理反応が起こり、死に至ることを発見した。この反応は偶然ではなく、何度繰り返しても再現できた。1902年には「無防備」という意味のギリシャ語にちなむ「アナフィラキシー」(anaphylaxis) という造語を作る。アナフィラキシー・ショックは現代においても、ハチに複数回刺された場合などに見られる危険な反応である。

1903年にはN.M.アルテュスの研究によりクラゲ毒以外でもアナフィラキシー・ショックが起こることが分かった。1905年にはR.オットーが毒の種類を絞り込む。リシュの結論は毒を注射したことではなく、タンパク質を注射することがアナフィラキシー・ショックを生むというものである。

リシェの結論は重大である。あるタンパク質が一度血液中に取り込まれたかどうかをあらかじめ調べておかないと、血清が使えないことになるからだ。1906年にはショックを起こさない生体の反応をオーストリアのC.ピルケがアレルギーと命名している。

1907年にはアナフィラキシー・ショックをまさに起こしている犬の血清自体にアナフィラキシー・ショックを起こす能力があることを発表した。

心霊現象の研究でも知られ、1905年には心霊現象研究協会(SPR)の会長もつとめている。1893年には話題になっていたイタリア人霊媒エウサビア・パラディーノを調査する過程で、エーテル体を物質化または視覚化する半物質を発見し、ギリシア語のecto(外の)とplasm(物質)を組み合わせて「エクトプラズム」という新語をつくりだしたことでも知られている。[1]

 

 

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 当時の心霊現象は物凄かったようです。空中浮遊、エクトプラズム。

 

参考、  D.Dホーム。 ケイティー・キング。