真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

人は神の中に生き、動き、その存在を保ち、かつ神はあなたたちの中に生きている。『心身の神癒』       霊において貧し者とは自分の中にあらゆる善と生命は実際に神からやって来るものだと認めている人のことである、とスウェーデンボルグは言っています。       

Rumi جلال‌الدین محمد رومی 71 「我は神(真我)のしもべ」と言うことの落とし穴。最大の謙譲の言葉は「我は真理(神)なり」

 

 

Rumi جلال‌الدین محمد رومی 71 「さ我は神(真我)のしもべ」と言うことの落とし穴。最大の謙譲の言葉は「我は真理(神)なり」

                                              

 

イスラムスーフィーの思想、ルーミーの詩を味わいながら、イエス仏陀を始め、インドのラマナマハルシ、ラーマクリシュナなどや禅の思想、老子古神道との共通点を確認する朗読動画シリーズ。

『フィーヒ・マーフィーヒ』より。神化  Deification 

 

註 「われは真理(神)なり」については、『イブリースの告白』注釈を参照 メモ:

ルーミーはこの詩で、「私は神(真我)のしもべ」と言うことについて、この言葉を使うことが常に誤りとは限らないが、陥りやすい落とし穴があることを教えてくれている。

 

この言葉は、表面的に解釈でもって言うと「イブリースの告白」のように二元性を認めてしまうことになってしまい、神と(私)自我とが同等に存在しているという「信仰」(背信)を告白していることになってしまう。

 

以下の部分は秀逸、

 

「われは神のしもべなり」と言うとき、 その者は未だふたつ以上の存在を認めているのである。

 

しもべ、などと上辺では卑しみつつも、 しもべたる自己と神とが同等に存在する、と主張しているのである。

 

自己などというものを、未だ捨て切れずにいるのである。

 

『アナー・アル・ハック』

 

「われは真理なり(神なり)」と言うとき、その者は自己を消滅し尽くしている。

 

 

そのとき、そこに自己などというものは存在しない。 ただ神のみが存在する。 これこ

そが真の謙譲、最大の奉仕である。

 

 

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 参考、

    

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           凄いです。

                                                                                                              蒼氓。

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 霊訓原文 31. 

 

あなた方は自分が持つ神の力を殆ど信じようとはしません)    

 

物質世界に生きるあなた方が、自分たちは人であると同時に神であることを知れば、人生はどんなにか楽になることでしょう。

悩みなどはなくなり困難もすべて取り除かれてしまいます。

しかしあなた方は、自分が持つ神の力をほとんど信じようとはしません。

あなた方が考えている人間とは物質世界の人間だけです。

しかし、人間には神性があり、それは神のものなのです。     

 

 

 

 

霊訓原文 44.

 

 

      (あなた方は神であり神はあなた方なのですから)  

 

人間には、性癖とか波動がありますが、これらは矯正できないことはありません。またあなた方は、自分たちの運命を左右するような放射エネルギーや様々な影響力に取り囲まれています。しかし、神はあなた方を神の分身とし神性の一部を授けられました。ですから、あなた方が自分の霊的進化に従って自由意志を正しく働かせたなら、内在する神性が十分に顕されるのを妨げるようないかなる障害をも乗り越えていくことができます。

あなた方は神であり、神はあなた方なのですから。

 

 

霊訓原文62.

 

  (すべての生命は神であり神はすべての生命です)  

 

創造する力のある存在または人格はただ一人だけであって、私たちには何一つ創造できるものはないというのは正しいでしょうか。  

 

神は、現在も、過去も、未来にも、いつでもおられます。

すべての生命は神であり、神はすべての生命です

あなた方には創造する力はありません。

ただ、あなた方が魂を磨けば磨くほど、浄化し進歩することはできます。

磨くことが少なければ、あなた方の宇宙での地位は低いということになるでしょう。

 

 

 

 霊訓原文95.

 

真実だけを求め続ければ真理を手に入れることができます

 

あなた方がもし幼児のようなこころになって、過去の誤った教えによる思い違いから解放されれば、真理は極めて容易に理解されるようになるでしょう。  

幼児のような純真なこころを持ち、そして、新しい教義や信条を作り上げようとはせず、

 

 

どのような犠牲が伴ってもただ真実であるものだけを求め続けるのであれば、あなた方は真理を手に入れることができます。  

 

 

ある特定の教えに忠実に従うことを誓った人は、真理を手に入れるのが楽ではありません。

 

時には、

 

信じることを誓った教えに対する忠誠心とこころからの

 

充足感を得ようとする願望との間で、

 

魂のはげしい相克を引き起こしてしまうからです。

 

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霊訓原文100.

 

        (あなた方は神の中にいるのです)  

 

(5) キリスト教徒にとって、イエスは唯一で不可欠の仲介者である。イエスは神と直接に結ばれているが、われわれキリスト教徒は、イエスを通じて神に近づくことが出来る。

 

それは間違いです。

 

神はあなた方の中にいます。あなた方は神の中にいるのです

 

エスも、

 

「神の王国はあなた方の中にある」(ルカ・17-21)と言ったではありませんか。

 

キリスト教の指導者なのに、なぜイエスの教えが何もわかっていないのでしょう。

あなた方は決して神から離れてはいないのです。

神は決してあなた方から離れてはいません。  

その事実をあなた方が変えることは出来ません。

あなた方がかりに最低の最も下劣な犯罪を犯したとしても、それでも神との関係を断ち切ることは出来ないのです。

 

神とあなた方を結びつけている絆は不滅であり、そのためにあなた方が見失われることは決してありません。  

 

あなた方が生活の中に神が顕現されていくことを学んでいけば、直接、神に近づいていくことが出来ます。

 

あなた方はだれでも神の一部を持っていますから、神とあなた方の間に入る仲介者などは要らないのです。  

 

エスも仲介者になるつもりはありませんでした。

 

彼がこの世にやって来たのは、大いなる神の存在が十分に感じ取れるような生き方を人々に教えるためでした。  

この地上世界では、

神学は大きな災いです。神学は人々を束縛し、人々の魂を牢獄に閉じ込めてしまいます。

それから逃れて自由になるためには、考えの狭い信条や、ひとりよがりの教義からは身を以って断絶し、霊感のなかで得られる囚われのない真理を見つけ出すことを学ばねばなりません。

人間の心は、神からの霊感を超えることは出来ないのです。

 

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参考、

① 人間の目的は真(神)我顕現と同じ(正しい)。

 

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 霊界原文154.

 

  (あなた方は神であることを忘れないでください)    

 

 

交霊会での笑い声はいい結果を生みますか。  

 

あなた方の魂が幸せであればあるほど、それだけ神に近づいていることになります。

 

あなた方は神であることを忘れないでください。

 

この地上であなた方を傷つけることが出来るものは何もないのです。

 

そのことを、私は長い間、教えようとしてきました。

 

もしあなた方が、物質的なことで心を悩ましているのであれば、この教えを学ぶことは出来ないでしょう。

 

でも、

 

物質的なものを無視しなさいといっているわけではありません。

あなた方は物質世界の中で生きていますから、その物質世界に責任を負っています。

 

しかし、

 

あなた方が神であることを忘れてはなりません。

神はあなた方のなかに在るのです。

神の力は、あなた方の力です。その力が、あなた方にすべてのものに打ち勝たせるのです。  

 

その神の力をよく理解すれば、あなた方は一切の悪を退け、あらゆる病を克服し、すべての障碍を乗り越えていくことが出来ます。

 

それなのに、その力を使っている人は、ほとんどいません。

 

むかし、イエス、「神の王国はあなた方の中にある」と、

教えたではありませんか。    

 

 

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忘れないでください。

あなた方はお一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。

この物的宇宙を顕現せしめ、有機物 •無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力、恒星も惑星も、太陽も月も生み出した力、物質の世界に生命をもたらした力、人類の意識に霊の一部を宿らせた力、完璧な法則として顕現し、すべての現象を細大もらさず経綸しているところの巨大な力、その力はあなた方が見放さないかぎりあなた方を見放すことはありえません。その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そして、いついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知ってください。

 

 

           ( シルバーバーチの霊訓5 P22~P23)

 

        

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自分も神であることを自覚なさることです。

そうすれば神の御国はほかならぬ自分の魂の中にあることを悟られるはずです。

それは絶対に裏切ることがありません。無限の補給源である神の摂理に調和した生き方をしているかぎり、何一つ不自由な思いも空腹も渇きも感じなくなります。

といって必要以上のものはいただけません。

魂の成長の度合にふさわしいだけのものが与えられ、それより多くも、それより少なくも、それより程度の高いものも低いものも受けません。それ以外にありようがないのです。

              

                                (シルバーバーチの霊訓6 P198)

 

 

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縁あってあなたのもとを訪れた人に真の自分というものに目覚めるきっかけを与えてあげることは重大な意味のあることです。

つまり人間が神に似せて作られていること、言い変えれば神と本質的に同じものが内在していること、その資質を発揮することによって生活に美と愛と光輝をもたらすことができ、それがすべての体験を価値あるものにするということを理解させてあげることです。

                                                                                  

                                                            (シルバーバーチの霊訓8 P60)

 

 

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あなたの意志が神に届けられます

 

あなたは神であり、神はあなたです。

 

その違いは種類でも本質でもなく、表現の度合いに過ぎません。

神は完全の極致です。 あなたは神に向かう努力を、限りなく続けています。

神は内部と外部の両方に存在します。 あなたが、愛、慈悲、哀れみ、慈善、寛容心といった神性を発揮すれば、その時あなたは神と通じ合っていることになります。

なぜなら、①あなたを通じて神が表現されているからです。 一方、神には無数のメッセンジャー、無数の通路があります。 ですから、もしもあなたが神に向かって語りかければ、黙って念じるだけでも、精神統一でも、声に出して祈っても、あなたの意志が神に届けられます。

声に出すことは良いことです。 念じるだけでは乱れやすい思念を明確にまとめ、具体的にするからです。 しかし声に出しても出さなくても、心からの祈りは神に知られると同時に、高級霊にも届きます。

 

           

             シルバーバーチ霊訓(11)

 

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備考、

神=大霊

 ①言葉を変えれば、神我顕現。

 

 

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              第八章 白光の世界(第六界)

                             

                                        純粋理性  

 

光は多くの色から成るが無色である。本霊は多くの魂から成っているが苦楽を越えた存在である。それ故、白光に象徴されるところの第六界に属する。  

意識のレヴェルにおいては純粋理性が君臨している。御存じの感情とか情熱とかはここにはない。白光は純粋理性の完全な静けさを表している。経験の最後の王国に入った魂はこうした静けさを自分のものとする。彼らは形態の持つ叡智、計り知れない秘密の叡智を身につけている。 それらは無際限の年月にわたる不自由な生活を通して集められ、獲得したもので、無数の形態のもとに過ごしたこれまでの人生の総決算である。

善悪の知識と同時に善悪を越えて存在する知識も今や彼らのものとなった。それらを征服した今、彼らは人生の王者である。彼らはもはや形態なしで生き、白光として存在し、創造者の純粋思想として生きることができる。彼らは不滅の中に参入したのである。  

第六界の存在目的は「多者が一者に同化すること」と言い表しうるかもしれない。すなわち、私が魂と呼んでいる精神の単位全体が本霊の下に統一されることである。 この目的が完遂されると本霊は個的な生命をその中に抱え込んで彼岸に渡り、宇宙神秘の中に融けこむ。そしてそこで最後の目的たる至高精神としての進化を成し遂げる。

 

 

 

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        第九章 彼岸ないし無窮(第七界)

 

                              神性原理との一体化  

 

 

再び選択がなされなければならない。魂は有限の時間から無限の時間へ、形態を持った存在から形態を持たない存在へと大飛躍をする準備が整ったのであろうか。これは答ることが至難な問である。初めてこの問に直面した時、確信をもって答えられる魂は甚だ少ない。  

第七界の状態は「有形から無形への移行」であると表現できるかもしれない。しかしどうか無形という言葉を誤解しないでもらいたい。それによって私は単に、いかに希薄精妙にであろうと、形態をもって自己を表現する必要のない存在を指したつもりである。

第七界に踏み入った魂は彼岸に渡り神と一体になる。

神的観念、すなわち霊なるものの大源泉に融合することは消滅を意味しない。あなた方は依然魂として生き続ける。 あなた方は大海の一波として存在するのである。つまり最後に真の実在の中に踏み入ってすべての幻想と外貌を捨てるのである。しかし永らく物質と慣れ親しんだことによってあなた方に何らかの触知できるものが加わっていることは間違いない。それは物質の先祖としてのエーテルや科学者が真空と呼んでいるものを含んでいるのだが、この真空とは実は限りなく精妙多様な形態的存在で詰まっているのである。  

実際のところ、第六界から第七界への移行は物質宇宙ないしその一部分たる空間領域からの脱却を意味する。この最後の界においてはあなた方は時間のみならず空間的宇宙の外に住まうようになるのである。しかしある意味では依然として宇宙の中にいるともいえる。 全体の一部となったあなた方は───「全体」ということで私は神を指しているつもりだ───太陽にも似た存在である。あなた方の霊は物質宇宙から離れてはいるが、その光は広く行き渡り、永遠のしじまを支配している。宇宙の一部であってしかもそこから離れていること、これがおそらく最後の仕事であり、あらゆる努力の終着点である。  ごく手短に、私は永遠の相の下にある実在の姿を紹介し、「無時間」の神秘をあなた方に垣間見せようとした。あなた方が彼岸に渡り住み、神性原理とその本質において一致し、その部分になるとき、神の想像力のいかなるものかを充分に理解する。 そうすることによってあなた方は時の刻みの一瞬一瞬を知り、かつ地球の歴史の起源から終末に至る全史を知る。同様にあらゆる天体の歴史をも知るのだ。創造されたものはすべて想像の中にある故に、あなた方は今や獲得した不滅の力によってそれを知り、かつ保持するのである。 あたかも大地が種子、生命、過去、未来、その他現在あるすべてのもの、また未来永劫にわたりあるであろうすべてを宿しているように。  かの霊的な人、神の一人子が『多くの者が呼び出されるが、選ばれる者は少ない』と言ったとき、それは偉大な真理を表現したのである。地球生命のあるあいだに、彼岸に渡れる人はほんの一握りの人達である。幾らかの魂は第六界までは辿り着くがそこに留まり続ける。

稀には崇高な目的でそこから物質世界まで下りていくこともある。だがなんといっても、無時のなかに大飛躍を試みるほどには未だ力がなく、完全でもない。

 

 

                       不滅への道───永遠の大道

                                          THE ROAD TO IMMORTALITY         

 

                   ジェラルディーン・カミンズ著  E・ギブズ編 梅原伸太郎訳

                                       Geraldine Cummins / E・B・Gibbes

 

 

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1) サティヤ サイ ババの教え  

 

 

「私は神です。あなた方も神です。私とあなた方の唯一の違いは、私はそのことを知っていますが、あなた方はそのことを全く知らないことです。」

 

                            ― サティヤ サイ ババ  

 

これはサティヤ(* 1) サイ ババが自らの真実の姿と神性について人々が尋ねた時に与える答えです。この人間の神性という根源的な真理は、ババのメッセージの中心を成しています。実際、講話では、ババは人々に向かって「神性アートマの化身である皆さん」と話しかけます。ババの純粋かつ無私の愛を体験し、その啓発的な助言の恩恵により、ババの奇跡的な天性を目撃した人々は皆、神の栄光と荘厳さを垣間見ます。そして、それゆえ、人は自分が潜在的かつ本質的に神であるということに気づかされるのです。

 

 

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(人間の究極的な目標は神の意識の状態に到達すること)

  

 

私たちが理解しなければならないのは、すべての人間の究極的な目標は、神の意識の状態に到達することであるということです。この意識に到達したときには、個性は縮小し、吸収されます。人間の個性は普遍的な存在と真に一体となってしまうために、自らをゆだねるなかで、神という力強い存在の一つの脈そのものになってしまいます。そのとき、自我は消滅します。これはまさに究極的な状態であり、私たちが目指しうる最高の状態です。  

 

しかしながら、これは、個としての人間が神にすっかり吸収されてしまって、自分の意思と知性を駆使して、全体から自分を遊離させ、独立した知性として自らを具現できないということではありません。  

 

ふつうの人は、この吸収という考えにしりごみするということは私たちも承知しています。これまで人間は自らの個性、人格の発達に努めてきたのですから、無理もありません。しかし、すべての魂はやがて、自分自身を手放し、一つの普通的な生命体と一体になる覚悟をしなければなりません。  なぜなら、そうすることによってのみ、人間はより偉大な存在になることができるからです。これが、「父と私は一体である」とキリストがいった意味なのです。

  

 

アイヴァン・クック編  コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ   

                                                                (大内博訳)講談社

 

  

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「心静かに瞑想し、我れこそ神なりと悟るべし

          

        (マイヤースの通信「個人的存在の彼方」/192ページ)

 

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 90. その神とはあなたのことなのだ  

 

「あなたは自分の想像をはるかに超えて愛されている。というのも、何をしようとあなたは生き続けていくからだ」と3万5千年前にこの地上に生きたラムサはいう。

そして、「それなら、なぜこれほどまでに心配してきたのか? なぜ争ってきたのか? なぜ悲しみに打ちひしがれてきたのか?

なにゆえに、苦労ばかりせず、生きることをしてこなかったのか?」 とも続ける。  私たちは死んでも死なない。神の摂理のなかで永遠の生命を生き続ける、というのは重大な真理である。それを私たちはいろいろと学んできた。

シルバー・バーチに教えられ、ラムサも同じことを何度も繰り返す。

「あなたには決して消せないものがある、それがいのちというものだ」と言って、つぎのようにも断じた。  

あなたがいかに盲目で、真理を受け入れようとしなくても、いのちだけは必ず持ち続ける。

それが神と呼ばれるものの持つ貴重な特性だからだ。

そしてその神とはあなたのことなのだ。

                                                           

                                                                  (川瀬勝訳『ラムサ―真・聖なる予言』)

 

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         続・太陽の神人   黒住宗忠

 

 宗忠さまの御逸話の中に門人方との歌問答をされたお話が数話ありますので、その内の数話を今回から紹介したいと思います。

 

まずは、嘉永2年(1849)に入門された「野々上帯刀 高弟」との御逸話です。  

野々上先生は、宗忠さまと同じく神職の家に生まれ、相当学問もあり、見識も世にすぐれた人であったと伝わっています。  

また、和歌を嗜まれていたようで、正岡子規に「万葉集以来唯一の歌人」と評された平賀元義(1800-1865)の門人でもありました。  

ですから、宗忠さまともさぞやお道について詠じられたことだと拝察します。

 

ある日、野々上先生は宗忠さまのご自宅に伺われた時に、  

我ながらわが身尊し千早ぶる  神となるべきものと思えば という、歌を詠まれて

宗忠さまにご覧いただいたところ、宗忠さまは右の御手でお膝をたたきつつ、

 

「野々上さん、なるんじゃない、なるんじゃない!」

 

と仰せになられたそうです。

 

 野々上先生は、すぐに宗忠さまが発せられたその言葉の深義を理解されて、あらためて・・・  

 

我ながらわが身尊し千早ぶる  

 

 

神と同じきものと思えば  

 

 

と訂正され書き直された歌を宗忠さまにお目にかけられると、宗忠さまも我が意を得たりとばかりに、格別にニッコリとお笑いお喜びになられて、

 

「そうです! 道の極意はここです!!」

 

と仰せになられて、

 

ご自身も次の御歌を詠まれたと伝わっています。

 

千早ぶる神と人とはへだてなし  すぐに神ぞと思ううれしさ

 

 『我が本心は天照大御神の分心なれば、心の神を大事に仕り候えば、これぞまことの心なり。』

 

                                                                                              

                 黒住宗忠

 

 

神仏のご開運を祈る>No.174 | Ayuki Nakagawa's Web Site

 

 

 

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政木和三

   

 

自分自身の中に神仏がいる」 「この世で起きることは偶然ではない」

 

 

◇故“政木和三”が語る「神仏」より

 

・人間の中にいる生命体=神仏

・肉体人間は朽ちるが生命体は永遠

・新たな肉体を得たときに以前の肉体の特徴が継承

・自分の神仏を発露するには複式呼吸がポイント

・「神はわが身自身の中にいる」

人間性が素晴らしい人は神仏がわかるひと

・神仏がわかると脳波の周波数が下がる

・生命体は過去に生きていた記憶をすべて思い出す

・現在文明は生命を物質として捉える西洋文明

・生命体にも程度レベルがある。

龍神界の生命体は程度が低いレベル。

・高いレベルの生命体は人間性が高いひとである

・神仏とは生きている肉体の中にあるだけ

・神仏とは世間で言う宗教ではない

・真の神仏は物・金は要求しない

・正教か、邪教かの判断は、金品要求するか否か

・真の神仏は世の中をタダ幸福にするだけ

・神仏は人間の願いは一切受けつけない

・合掌することで脳波が下がる

・合掌することで体の中をエネルギーがめぐる

・神仏が発露されると時空を越えて分かる

・人間は万物の霊長

・今の物理・科学を主にした考え方がレベル低い

・レベルが低い脳波はβ波が出ている

・何かが起きる、これは偶然ではない

・偶然だと認識する脳波はレベルガ低い

・何かが起きて”不可思議”と思うことは偶然とした

人間性が低いヒトは思うことが出来ない

・思うことが出来ないのを”不可思議”という

・”不可思議”=偶然とするのは思考停止をつくる

・脳波がθ波に変わると不可思議は無くなる

θ波の状態で物事を観ると全部当たり前になる

・脳波が下がり、無欲となって、 肉体の中にいる生命体(神仏)と  同調することで  驚異的な事実

・奇跡などをつくり出す。

・因果応報もキチット来ている(顕れる) ・お金を残しても命は帰らない

・自分の起こした原因で自分が不幸になる

・物事は必然的に起る ・レベルが低いと思議に到らずだから、偶然と思う

・人生には身の周りに必然的な事がいっぱい

・例:アトランティス語を通訳無しで意味が分かる***

・人間脳波が下がると皆、必然的になってくる

 

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備考、動画あり。

  

 

 

 

 

 

 

 

  

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「人は神」である  

 

まあこういうわけで、人間とは霊です。言い換えると、人間というものは、肉体というのは、80年間の借り物なんです。

そして人間の本体、人間そのものというのは霊なんです。

永遠不滅なんです。永遠不滅ということは何かというと、永遠不滅なるものはこの世の中に一つだけございます。

神様でございます。

全知全能にして不滅なるものは神様でございます。

それと同じように永遠不滅なるものが人間の霊なんです。

我々の本体なんです。ということは、霊というものは神の分身だと、神から分かれたものだと、神の部分だと、神の火花だということなんです。

こういうことが心霊研究でわかっています。  

要するに、人間というものは肉体じゃなくて霊なんだ、霊は永遠不滅であって、神様から分かれたものだ、神様の部分なんだ。

 

言い換えますと、皆さんは霊であって皆さんは神様なんです。

 

80年で焼き捨てられてなくなるような、吹けば飛ぶようなものじゃなくて、厳然たる神の分け御霊なんです。

光り輝く全知全能と同じ性質をもっているものが我々なんだ、ということが分かってきます。

 

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人間は霊と肉体の二面性   

 

さて、神の子供にしては、光ってもいないし、悪い事も大分するし、神の子っていうのは嘘じゃあないかと、誰しも思います。それもその筈です。この地上に生きている私たち人間は、神の子供である霊魂プラス肉体というわけです。肉体が霊にプラスされて一緒になっているわけですね。そして、肉体というのはご承知のとおり欲望を持っております。 生きるためには物を食べなくちゃいけない、物を使わなくちゃいけない。だから物欲というものがございます。食欲、物欲がございます。それから子供を作っていくために性欲もございます。この性欲と食欲という本能は動物も持っております。

 

いわゆる動物的な欲望を持ったのが肉体なんです。その肉体と、神の分け御霊である霊とが一緒になったものが人間なんです。  

 

だから現実の人間は、肉体の動物的な面が表に出てしまいますと、動物的なものになる面があります。また時々素晴らしい発明をしたり、良心のひらめきがあったり、英知がひらめいたりして神の片鱗もあるということですね。こういうわけで現実の生きている人間というのは、

 

神の子と動物的な肉体との二面性、つまり神の性質(神性)と動物性の二面の姿を持ったものなんです。

 

      宮澤賢治とでくのぼうの生き方 話 桑原啓善 

 

                      でくのぼう出版 1995年刊

 

 

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     桑原啓善先生。
 

 

 

 

 

 

 

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           知花敏彦  学びの会 

 

             波動の高め方より。

 

昨日も申し上げた通り、「吾神なり」という波動は、最高の波動ですよ。

これが、神の波動ですから。 そうすると、我人間なりと言うのは相当低い波動ですよ。

皆さん方は、固定観念を持ってる限りはバイブレーションは上がりませんよ。

吾神なりと、吾人間なりは、どちらがバイブレーションが高いですか。

四六時中、神を想うとは、四六時中、自分を「」と想うことですよ。

ここで朝晩、毎日、神という想いを起こしているということは、瞑想以上のものなんですよ。

 

                               知花敏彦。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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人生の帰趣0113

 

宇宙の目的 宇宙に目的ありと見るは宇宙の能力即ち働きの結果は必ず終局の目的に至ると云ふので大霊の力用から人格的の仏を出現して心霊界の太陽とし、斯く大霊には不可思議の力用ありて、人格的の仏として人類を摂して終局目的の霊界に帰趣せしむるを云ふ。

此は大霊の力に基く。 又被救者の方から云ふも大霊目的と言ふ力は恰も天の太陽の光を以て地上の動物植物を化育する如くに、如来は心霊界の太陽として、人類の心霊を霊化して罪悪深重の凡夫を救霊して光明の生活に入らしめ、煩悩の罪悪を化して霊的に為し給ふ働きである。      

浄土敎の如く弥陀の本願力、一切の人類を光明中に摂して、斯心光に触るる者は正定聚の位に入りて光明生活に為らしめ給ふと云ふ如きは大霊の目的を顕はす処の宗敎である。      

右の二敎は前のは自己の霊性開発すれば、大霊と合致する故に、大霊と自己と一体であると悟つたので、後のは衆生は罪悪生死の凡夫であるが如来の大願霊力の光に霊化するときは凡夫の煩悩も化して霊態と為りて自ら心の内容が如来と同化すると云ふのである 故に宇宙の法則と力能とが衆生の心を開き仏に化する力用である。

 

                          山崎弁栄聖者  

 

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        秘密曼荼羅十住心論    高野版

 

                               空海著 10巻10冊

                               建長7年」(1255)刊

 

 

天長7年(830年)ごろ、淳和天皇の勅令により

                                                     弘法大師空海真言密教を述べた書。

 

 1~8 本書参考。

 

 

 

 

 

(9)極無自性住心

 

 

(自分の心が仏と同一と知る段階。まだ完全な悟りではないと説く。)  

 

 

 

(10)秘密荘厳住心

 

(自己の心と仏と万物の心が一体になる真理の段階)

 

 

 の十段階に分けている。

 

空海は極無自性住心までを既存宗教の世界とし、

 

秘密荘厳住心が真言密教であるとした。

 

 

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  空海

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法華経 

  

如来とは、自分であり、自分とは如来である。

 

 法華経 永遠のいのちの教え - 法藏館 おすすめ仏教書専門出版と書店(東本願寺前)-仏教の風410年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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備考、 

 

     縁あって、出会った、師の方々が、すべて、共鳴しております。

         驚愕の探究結果。 

 

    全て、共鳴していることが解ります。

                        

                      吾は神なり。  

                      全ては神なり。

                       全ては愛なり。

                              

                                    

                             

 神との分離かんではなく、神との一体感なのです。

 

すでに神の中にいるのです。

                          

 

 

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見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。

 

       

                    マタイ伝 28章20節

 

                         

 

 

 

                        

                                                                                

                     

 

 

 

  

 

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                                                                                                                      f:id:muratakazuhiko:20210501112515j:plain

 

 

 我は我ものならず

 我は確と信ずるなり

 汝、神よ、汝は我を汝が所有物となし

我命ある限り我を汝が所有物となし

我より聖霊を奪うことなし

汝はかくして我を支え、我を強めるなり

 

    Great  words   Great ehlightenment

 

 

 海の上の青の空、天から明るい光でキリストのシルエット の写真素材・画像素材 Image 35596633.

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第七章81p イエスが十字架に処せられた時、その外殻である肉体は放ったが、それは肉体よりも尚深いところに霊的体のあることを示すためであって、イエスが墓から出で給うた時に現れたのが、この霊的体でした。

      

 

   

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人は神の像に似せて創られたのである以上、神は人間に対して神自身と全く同じような創造力を与え給うたのではないでしょうか。そして神は人間に対して神同様に自由、しかも全く神と同じやり方この創造力を駆使することを期待し給うのではないでしょうか。そのやり方というのは、先ず必要なものを確かめ、『既にえられたり、善し』と言葉に出して言うことであります。

 

そうすると心的普遍質料がその中に流れ入って型の中味となり、観じた通りの善きものとなって出現するのです。

 

エスが十字架に処せられた時、その外殻である肉体は放ったが、それは肉体よりも尚深いところに霊的体のあることを示すためであって、イエスが墓から出で給うた時に現れたのが、この霊的体でした。『この宮をこぼつとも、われ三日後にこれを建てん』とイエスが言い給うたのは、実はこの体だったのです。

 

わたくしども人間にも同様に全く同じ霊的体があり、イエスの為し給うたみ業はすべてわたしどもにも出来ることを示すために、イエスは十字架にかかり、また蘇り給うたのです。

 

もしイエスが助かりたいと思えば助かりもしたことに疑いはない。しかしイエスほ御努力にも拘わらず、周囲の人々は自分達にもイエスと同様に霊的体の示現できることが悟れませんでした。

 

このことにイエスは気づき給うたのです。

 

 イエスの周囲の人々はまだ自我に求めていたのです。

 

エスが決定的に変った何らかのやり方で霊的体を示現して見せなければ、遂に人々に物質的なものとの弁別が出来ずにしまうことお悟りになりました。

 

この『変わったやり方』として、エスは十字架上のはりつけを選び給うたのです。

 

誠にも、これこそがわたしども一同が敬愛申し上げる大師イエスが垂示せんとして来たり給うた人間イエス(実相)でありますまいか。

 

 

神に到る完全なる道をわたしどもに示す為に、イエスはその生涯をこの地上で展開し給うたのではなかったでしょうか。

 

種子植えの仕事にせよ、パン造りにせよ、その他人間生活に必要な種々の仕事のにおいて、一旦理想的な方法を知った以上は、その方法を愛せずにいられるでしょうか。

 

これらの仕事はわれわれをして実相開顕に漕ぎ着かせる教訓なのではないでしょうか。わたしどもはいずれの日にかは、神の僕には非ずして真実神の子そのものなること、神の子として父の如くに自由にそれを行使できることを悟るでしょう。

その為には、初めのうちは大きな信念が必要であります。それは普通一歩一歩踏み固めて行き、音楽や数学のように忠実に研修して後、英智ーー未知のものをやみくもに信じるだけではなく、既知のものとしてわがものにする英智の場にでます。

その時こそ人は見事、自由自在の境涯に入るのです。

その点、イエスの生涯程、その範を立派に垂れたものが他にあるでしょうか。

 

皆さん、この聖名、イエス(すなわち開顕したる内在のキリスト、肉体人間を通して顕現せる神)の中にある力がお分かりでしょうか。

 

エスは神についての御自分の認識に完全に頼り切るところまで行っていて、これがイエスの偉大なるみ業をなす方法でした。

 

エスは御自分の意志の力、或は強力な思念集中に頼ったのではありません。

わたしどもの場合もそうあるべきであって、我の意志力や念力に頼るべきではなく、神の御意志にこそ頼るべきです。

 

『わが意志ににあらず、おお神よ、おん御意志のままに為した給え』です。

 

 

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第2章 イエス・キリストをほうふつとさせる奇跡に彩られた日常生活

 

 

 

いわゆる行者の中で人格的にもすばらしい人となると、なかなか少ない。なぜかというと、それらの言霊や手印をいくら行じても、その人の信仰が深まるわけでも心が成長するわけでもないからである。それは、あくまでも”能力”にすぎず、能力と人格とは必ずしも一致するものではない

 

宗忠にとっては、「病の治るを”いろは”として、次第に誠の道に入らしむる」

多くの病人をマジナイによって治すということは、最初の「いろは」、すなわち誠の道、「生き通し」へのきっかけに過ぎない。病気になる原因はその人の心や生活習慣の中にあり、それを反省し、今後に生かすことこそが最も大切なのである。つまり、心が直ることによって、ついでに病気が治るというのである。「病は道の入り口、災難は道の元入れなり」つまり、病気が治るそれ自体よりも、病気が治してもらったことを入り口として、人々が喜び楽しみの道である”神ながらの道”に入ることこそが、宗忠にとっては大切なことであったのだ。

 

なお、ここで宗忠の生命哲学のキーワードとなる「生と通し」という言葉の意味について説明しておこう。

 

人間は本来、大生命である天照太神のご分身を宿した存在であるから、天照太神と同じように死ぬことのない永遠の生命である。そして、太神のご分心であるとはっきりと自覚することにより、単に死んでからも生き続けるだけでなく、生も死も超えてイキイキと前向きに一瞬一瞬を生き切ることができ、それによって充実した人生をい生きることができるのである。

 

つまり、日本人は古代から「お天道様にはずかしくないように生きる」ということを道徳観の基本にしたが、彼はさらに”生き通し”という言葉を使うことによって、その道徳館により深く、より積極的な意味をもたせたのである。

 

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備考、驚くことに、この思想はスピリチュアルヒーリング、スピリチュアルリズムと同じ考えであるのです。 

天照太神=大霊    誠の道=真理

 いかがです、スピリチュアリズムと同じ考えなのです。

 イエス・キリスト=類魂=黒住宗忠 

              私見ですが管理人。

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人との調和は「我(が)」のない心から

 

人と対してこれと争い、これを恨む。これでは調和はない。調和がなければ何事もうまくいかない。調和を得るため、意志の力で相手を変えようとしても変えられるものではない。これは我の働き、自惚れ心であって、自分を強く押し出せば出すほど、相手もそれに応じて反抗し、調和はますますこわれる

 

 

「相手が」という気持ちがある間はいけない。我の強い人は相手のことを批判し向上心の強い人は自己を反省する。相手の言う事がシャクに障る、相手の言葉が間違っているかもしれないが、その心その言が自分にもないか。必ずあるとかく人間は自分の事は自分に判らぬもの。その心で相手から学ぼうとせよ。いま相手から教えられているのだと思う感謝の心、これが調和の初めである。

 

 

たち向かう人の心は鏡なり 己が姿を移してやみん 

               黒住宗忠       

 

 

感謝の心が生まれる時、ゆとりが生じる。その心で人に接する時、相手も初めとは違った気持ちになって、話し合ってみようという円満な空気が生じる。こちらの心が相手に伝わって相手を変えたのである。

 

           スピリチュアルな生き方原典

         脇長生・講述  桑原啓善・筆録  でくのぼう出版

 

 

 

     

            

 

 

 

 

 

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 備考、尊いお言葉、

       音もなく 香もなく 常に天地は 書かざる経を 繰り返しつつ

 

                              (二宮尊徳

                          この方悟ってましたね。

                        書かざる経は摂理の属性です。

                             

                                                                                                                         蒼氓。

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お勧め図書  太陽の神人 黒住宗忠  山田雅晴著 渾身の書       一部抜粋   冬至の太陽を拝して「天命直授」を得る

それは文化十一年十一月十一日、冬至の朝のことであった。

宗忠は早朝に床を離れお湯を浴びて体をきれいに清め、神職の衣冠をまとい、静かに日の出を待っていた。

家人をはじめ、親友の小野栄三郎も彼の後ろに座していた。やがて東方の空に、太陽はゆっくりと荘厳な姿をあらわした。

その日の朝の太陽の美さは格別で、宗忠をはじめ人々は思はずひれ伏した。やがて静かに頭をあげた宗忠は柏手を打ち、我を忘れて一心不乱に祈った。

 

そして、お日さまの神気を、胸を開いて丸ごと呑み込もうと思った。その瞬間である。

彼の口から、日の神の陽気エネルギーの塊が、彗星のようにドーンと彼の体内にはいったのだ。

 

「太陽」が身体全体に満ちわたったとでもいうのか、胸に響きわたったのであった。彼の全身は太陽のコロナのような霊気に包まれ、その霊気を帯びた彼のオーラは、太陽のごとく大いなる白光をあたりに放射した。

宗忠は直観した。

「ああ、自分は今まさに天照太神さまと同魂同体となった!わが長年の念願はここに成就した」宗忠はたとえようのない感動と喜びに包まれていた。

その時の心は、「笛を吹き糸をしらべ、鉦をたたき鼓を鳴らして歌い舞うとも及びがたい」というほどの、うれしさと楽しさに満ちあふれたものだった。

宗忠はこの時に、「天地生々の霊機(いきもの)を自得したのである。

まさに、人間は大天地と一体であって、永久に生きつずける生命体そのものであると自覚したのだった。この神秘体験のことを

「天命直授」という。

 

冬至の日に生まれた彼にとっては、文化十一年(1814年)のこの日はまさしく三十五才の誕生日にあたった。

 

しかも年月日に「一」が続いているが、「一」は始め(根源)、つまり「根源の神・統一の神」という意味と解せられる。誕生日が子年だったことといい、彼にはいつも「最初(さきがけ)」という意味がついてまわる。

 

弘法大師空海は、四国の室戸岬の洞窟で「明けの明星(金星)」を呑み込むという神秘体験をしたが、宗忠は「太陽」という根源の霊気(太陽)を呑み込んだのである。

 

ここに、神人一体の境位が大きく開けたのであった。

 

そして、宗忠は多くの人々から不世出の神人と讃えられ、それ以降の神道家や宗教家の思想に多大な影響を与えることになる。

 

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 備考、

文化11年11月11日(旧暦)、古来「一陽来複」と呼ばれる冬至の日に昇る朝日に格別の思いで祈りを捧げていると、宗忠は全ての命の親神である天照大御神と神人一体になり、悟りの境地に立ちました黒住教ではこのことを「天命直授」(てんめいじきじゅ)と称して、黒住教立教の時としています。

以来、宗忠は世の中の苦しむ人や助けを求める人のために昼夜を問わず祈り、教え導き、多くの人から生き神と称えられた。すでに神仕えの身であったこともあって自然な姿で回りから神と仰がれました。

 

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冬至の日に記すことが、できることに感謝申し上げます。 偉大な神人、黒住宗忠。柏手合掌。

 

 

 

 

 

 

 

 

苦難と悲しみ(苦労の意味)

 苦難と悲しみ (苦労の意味)  (障害や困難は大きな成長の機会)

 

 

 障害や困難の克服が、霊的な成長を促進するということは本当です。重い精神病や肉体的な欠陥などのように深刻な問題を持つことは進歩のしるしであって、退歩を意味してはいません。

私の見解では、こうした重荷を背負うことを選んだ人は、大変に強い魂の持ち主です。最も大きな成長の機会が与えられるからです。

もし、普通の人生を学校での一年間だとしたら、このような大変な人生は大学院の一年に相当します

退行催眠で苦しい人生の方がずっと多く現れてくるのは、このせいでしょう。

 

安楽な人生、つまり休息の時は、普通はそれほど意味を持っていないのです。

  

                ブライアン・ワイス『前世療法(2)』(山川紘矢・亜紀子訳) 

 

      

(障害の多い方が多くを学べる)

 

障害となるものが少ないよりも沢山ある時の方が、多くを学ぶことができます。

困難な人間関係や多くの障害や悲しみに満ちた人生は、魂の成長にとってもっとも大きなチャンスなのです。霊的な成長を促進できるように、あなたはわざわざ、より困難な人生を選んだのかもしれません。  失業などの良くない出来事は、時にはより良いチャンスへのドアを開けてくれるものであったりします。早まって悲嘆にくれたりしてはなりません。運命がその複雑なタペストリーを織りあげるには、もう少し時間がかかるのです。

苦痛と困難に加えて、この世界には愛と喜びとエクスタシーもあります。

私達は他の人々の間にいることによって、愛を学ぶためにここにいるのです。そして他の人々もまた、私達と同じ道で、同じレッスンを学んでいます。愛は知的なものではありません。

私達が気づかなくても、絶えず私達に流れ込み、通りすぎてゆくダイナミックなエネルギーです。

私達は愛を与えることも、受け取ることも学ばなければなりません。人間社会の中で、

 

人との関わり合いの中で、人々への奉仕の中でこそ、すべてを超えた愛のエネルギーを私達は本当に理解できるのです。  

 

                  ブライアン・ワイス『魂の療法)』(山川紘矢・亜紀子訳)   

 

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難有り、有難し。苦しみは成長のための試練。 』

                                                                                   

                                                             田嶋一雄   

 

 

 

 

難有り、有難し  

 

三重県松坂市の中居正博さんの会社に伺いました。1年前に、胃がんの全摘手術。

その何気ないお言葉に感じ入ります。  

「病気になって、人の優しさに気づけるようになりました。みんながいてくれることに感謝です。がんになって、ありがとうの思いです」。  

「難有り」を真反対にすると「有難し」、ありがとうです。人生の困難を、自分がどう意味づけるか。

 

                                                                                                         

 難有り有り難し                                                                  

 

 「有り難き中に住みける神々を 尚有り難く思う人々」

 かくの如き素直な人々こそ、神々も御守り下さるなり。

 

 有り難き事のみ思え人はただ 

 今日の尊き今の心の

 有り難し、有り難し。・・・
                       

                                                                                                 黒住宗忠

 

難有り=有難し 

有難し=難有り

 

有難いことです。 

        

                                                                                                       蒼氓。

 

 

 

 

 

 

 

 

第九話 46~50 像を拝めばもはや自主的に考える力を失っており、自分の拝んでいるものが自分の思考を破壊する。なぜならば、その人は無智の中に迷い、自己の裡に宿る唯一無二の生ける神という真理を見ることができないからである。

 

 

 

 

 

 

 

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           偶像崇拝

 

 

 

 

 

 

46

これまでのあなたたちの心は外からの誤った考えを詰め込まれ、かくて聖なる内奥、即、唯一の実在を閉ざしていたのである。

 

47

あなたたちが他人の云うことを闇雲に信じたり、他人の信じていることを丸呑みすれば、模倣者にはなっても考える人にはなれない、従ってあなたたちは束縛されているのである。

 

48

像を拝めばもはや自主的に考える力を失っており、自分の拝んでいるものが自分の思考を破壊する。

 

 

なぜならば、その人は無智の中に迷い、

 

自己の裡に宿る唯一無二の生ける神という真理を見ることができないからである。

 

 

49

あなたたちは気づいていないが、わたしからの、そしてお互い同志の、

 

更にまた

 

神からの分離間がこれまでのあなたたちの大きな敵なのである。

 

 

50

これまで多くの人達がーー人間は神の外にいるのであって、その中に入るには何か或る(特別の)のことをしなければならない、とあなたたちを信じ込ませてきた。

 

 

 しかし、わたしはあなたたちに告げるが、あなたたちは既に神の家の中に居るのである。

 

あなたたちはこの真理に目覚めなければならないのである。

 

 

 

 

 

                 心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                                                     

                             M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                                                                   

                                              霞ケ関書房, 1972   

 

          

     

          

    

     

                

       f:id:muratakazuhiko:20210506015544j:plain

     著者マード・マクドナルドベイン氏

 

 

    素晴らしい、メッセージ有難うございます。                                                                

     関連画像の詳細を表示                             

       感謝、感謝、感謝。

 

 

 

 

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       続・太陽の神人   黒住宗忠

 

 宗忠さまの御逸話の中に門人方との歌問答をされたお話が数話ありますので、その内の数話を今回から紹介したいと思います。

 

まずは、嘉永2年(1849)に入門された「野々上帯刀 高弟」との御逸話です。  

野々上先生は、宗忠さまと同じく神職の家に生まれ、相当学問もあり、見識も世にすぐれた人であったと伝わっています。  

また、和歌を嗜まれていたようで、正岡子規に「万葉集以来唯一の歌人」と評された平賀元義(1800-1865)の門人でもありました。  

ですから、宗忠さまともさぞやお道について詠じられたことだと拝察します。

 

ある日、野々上先生は宗忠さまのご自宅に伺われた時に、  

我ながらわが身尊し千早ぶる  神となるべきものと思えば という、歌を詠まれて

宗忠さまにご覧いただいたところ、宗忠さまは右の御手でお膝をたたきつつ、

 

「野々上さん、なるんじゃない、なるんじゃない!」

 

と仰せになられたそうです。

 

 野々上先生は、すぐに宗忠さまが発せられたその言葉の深義を理解されて、あらためて・・・  

 

我ながらわが身尊し千早ぶる  

 

 

神と同じきものと思えば  

 

 

と訂正され書き直された歌を宗忠さまにお目にかけられると、宗忠さまも我が意を得たりとばかりに、格別にニッコリとお笑いお喜びになられて、

 

「そうです! 道の極意はここです!!」

 

と仰せになられて、

 

ご自身も次の御歌を詠まれたと伝わっています。

 

千早ぶる神と人とはへだてなし  すぐに神ぞと思ううれしさ

 

 『我が本心は天照大御神の分心なれば、心の神を大事に仕り候えば、これぞまことの心なり。』

 

                                                                                              

                 黒住宗忠

 

 

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宗忠神社

 

 

 

 

 

 

   まとめ)宮地嶽神社「光の道」 : 光の情景 - kyushu photolog -

     光の道、鳥居。