真理との邂逅 高級霊のメッセージ    無限なる愛と無限なる叡智をあなたへ

示す者なきときは、すなわち目前なれども見えず。説く者なきときは、すなわち心中なれども知らず。   「わたしと神とは一体である」と常に云うがよい。心身の神癒より。 理性を超えたものは悟るしかない。

心身の神癒ー主再び語り給う

 

 

この、『心身の神癒―主再び語り給う』は、

私の生涯で、最も真実であると感銘を受けた著書の一つです。

(すでに絶版になっています。) 

 

この、『心身の神癒―主再び語り給う』の著者であるマクドナルドペイン氏は、 その講話の中で、キリスト意識によって、下記のように紹介されています。

 

『われわれの愛するこの同胞〔著者〕は  若いときに〔真〕の祈り方を教えられた。

子供の頃よりすでに霊導されていたので、彼の生涯は波瀾万丈であり、  多くの人々に聞かしてやりたい程である。

 

彼は生まれつきの霊媒であり、

まだいたいけない子供の頃に すでに顔が触れ合わさんばかりにわたしの顔を見たことがある。  

 

これなどは彼の数多い体験のひとつであった。  

大師達の法話の媒体となる方法を学ぶために彼はヒマラヤに連れて行かれ、  

その結果わたし自身が彼に懸(か)かれるようになったのである。  

やがて彼が世に出る時が来た。  

 

健康に恵まれ、その魂は若い。  われわれはこれから先も長期にわたって彼を肉体の中にとどめておきたい。  

なぜなら、この地上における彼の仕事はまだ終わってはいないからである。 』

                

                                           (心身の神癒 第3話より)

 

 

すなわち、キリスト意識をできるだけ純粋に (フィルターがかからない状態で)全人類に伝える為に、 いろいろと学んできた方ということです。

 

さて、講話は全14話あり、(現在第2話までご紹介しています) 何度も読めば読むほどに新たな気づきと、心底からの安らぎを覚え、 また、深い感銘を受けています。

 

そのため、これを読んだ後には、 静かで穏やかな安らぎに満たされ、愛の心に包まれます。

 

 

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

 

あなたは大霊であり、大霊はあなたなのです。

 

私たちから大霊に直接語りかけることはできるのでしょうか。もしできるとしたら、それは私達自身に内在する神性のことでしょうか。

 

あなたは大霊であり、大霊はあなたなのです。

 

その違いは種類でも本質でもなく顕現の度合いに過ぎません。

 

大霊は完全の極致です。あなたはそれに向っての努力を限りなく続けるわけです。

したがって大霊は内部と外部の双方に存在するわけです。 あなたが愛・寛容心・慈悲・哀れみ・仁といった神性を発揮すれば、その時あなたは大霊と通じ合っていることになります。

 

なぜなら、あなたを通じて大霊が表現されているからです。  

 

一方、大霊には無数のメッセンジャー、無数のチャンネルがあります。

 

神意を行きわたらせることを任務とした高級神霊の一大組織が張りめぐらされております。

ですから、もしもあなたが大霊に向かって語りかければ、黙って念じるだけでも、精神統一でも、あるいは声に出して祈ることによってでも、

 

あなたの意志が大霊に届けられます。

 

声に出すということは良いことです。念じるだけではとかく乱れやすい思念を明確にまとめ、具象化することになるからです。  しかし声に出す出さないに関係なく、💮衷心からの切望は大霊に知られると同時に、神意の行政を司る任にある高級霊に届きます。

   

 

 

                   シルバーバーチの霊訓(十一)

            四章 既成宗教のどこが間違っているか  ───キリスト教を中心に

 

 

******************************************************************************

 

 

 参考

💮衷心より 読み方:ちゅうしん

心の奥底から、心から、心底、といった意味合いの表現。

 

 

 あなたを通じて、大霊(神)が表現されているからです。

 

①これを、神我顕現と言う。

                                                                                探究者。

 

 

  

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

 

 

 

 

すべてが神がふところの中で行われている、という言い方は正しいでしょうか。

 その牧師には夫人の他にもう一人、学校で宗教教育を担当している女性が同伴していた。

その女性が尋ねる───

 

───私はあなたの霊言集を読み続けております。その中のどこかであなたは、人格神は人間が発明したもの以外には存在しないとおっしゃっています。

〝大霊とは法則です〟

と述べておられるのですが、

 

別のところでは

〝未来永劫にわたって神の愛と愛の神が存在します。

皆さんが愛念を表現するごとに神がみずからを顕現なさるお手伝いをしているのです〟

とも述べておられます。

これらの表現や他のもろもろの言い回しを拝見しておりますと、

私にはあなたは神を人格を具えた存在であるかに表現しておられる印象を受けるのですが、その辺を明確にしていただけないでしょうか。  

 

分かりました。

 

でも、これはとても難しい問題です。

なぜならば、無限なる存在を有限なる言語で定義することは事実上不可能なことだからです。

大霊は人間が考えるような意味での人物的存在ではありません。

人間を大きく拡大したような存在ではありません。

男性でもなく女性でもありません。  

大霊は宇宙最高の力、無限の知性、愛、慈悲、叡智、要するにありとあらゆる

霊的資質の原理の総合的化身です。

が、その概念をお伝えしようとすれば、どうしても人間の言語を使用せざるを得ません。

もしも私が大霊のことを中性名詞で〝それ〟と呼んだら、男性名詞で〝彼〟と呼ぶよりもさらに厄介な問題が生じます。

 物的世界は、他のすべての世界と同じく、絶対不変の摂理によって支配されております。

その摂理は無限の過去から存在していましたし、これからも無窮の未来まで存在し続けます。

予期しなかった事情が生じて改めざるを得なくなることはありません。 これまでの摂理では間に合わない新たな事態が生じるということも絶対にありません。

その作用は完ぺきであり、停止することも、無効になることもありません。

無限の知性によって考案されたものだからです。  

生命の存在するところには必ず摂理が働いております。原因には必ず結果が生じます。タネ蒔きには刈り取りが付随します。その因果関係に干渉して、生じるべき結果を変えてしまうような力をもつ存在はありません。

 

地上世界のどこで何が起きようと、それも摂理のもとに生じています。

 

突発事故も偶然の出来事もありません。大自然の摂理はありとあらゆるものを包摂しております。  

こうした事実は、その背後に崇高なる知性が存在してそれが摂理を生み出し、万物の全側面と全活動を維持・管理していることの証ではないでしょうか。

 

同時に又、その全摂理を通じて愛が支配し、従って完全なる公正が行きわたっているに違いないことを暗示してはいないでしょうか。 悪いことをすればそれ相当の罰が与えられるように、善いことをすればそれ相当の報いがもたらされます。

 死の床での牧師による最後の儀式も、自然の摂理の働きを変えることはできません。いくら誠心誠意の祈りであっても、それだけで摂理が変えられるものではありません。いかなる教義を忠実に受け入れても、摂理を変えることはできません。

なぜならば摂理は完全な公正が行きわたるように働かねばならないからです。

 

あなたの行為が招いた結果を代わりに背負ってあげられる人はいません。

 

あなたのすること考えることの一つ一つにあなた自身が責任を取らねばなりません。

 

聖人と罪人とが同じ霊格を具えるようなことはあり得ません。

 

霊格をごまかしたり偽ったりすることはできません。

 

そこに神の意志があり、神とはそういうものなのです。

 

 あなたは〝人間性〟を問題にされましたが、神はあらゆる人間に内在しているという意味では人間性があると言えます。

 

が、

 

神は摂理であるという意味においては非人間的存在です。

 

ましてや、

 

自分を信じる者は可愛がり、信じない者には意地悪くするような、そんな恨み深い神さまではありません。  

 

摂理によって原因と結果とがきちんと定められております。

 

神はあなたの中に存在するのです。

 

受胎の瞬間から神性の種子が植え付けられているのです。それに芽を出させ、花を開かせ、豊かな実りをもたらすためのチャンスは、日常生活の中でいくらでも用意されております。

 

すべてが神がふところの中で行われている、という言い方は正しいでしょうか。

 

 

結構です。

 

 

神はあらゆる場所に存在します。神のいない場所というものは存在しません。

 

 

 

 

                     四章 既成宗教のどこが間違っているか  ───キリスト教を中心に

 

                        シルバーバーチの霊訓(十一) 

 

*****************************************************************************************************

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

第十二話 116~120 (万物の)唯一の実質は神である。すべては神の心の中にあり、すべては神の創造物である。

 

115

 

物質が物質として実在であるという誤った考えに今尚しがみついたまま地上より(霊界に)移ってしまった人々が多い。この累世にわたる感覚信仰が多くの非常に敬虔かつ高尚な魂たちの進歩をおくらしてきたのである。彼らは今尚物質感覚の中に生きている。それは彼らにとっては依然として実在ということになっているからである。

 

 

 

116

 

よくよく銘記するがよい、

あなたたちの目に見えるものは実在ではないのである。

それは裡なる或物の反映にすぎない。

表面に見えるものは変化し、過ぎ去り、やがては無の中へと融け去る。

しかし本物は存続する。

 

 

117

 

物質を実在と見てはならぬ。

それは見えざるものの効果にすぎない。

物質が堅固である、或いは実在であるという考えを以て内界(霊界)へやってきている人々が多い。

 

 118

 

高尚な魂たちは信仰を持ってはいるが、神我の中に寝入っていて目覚めず、神我の力と神我生活の無礙、自在さを悟らない。これらの魂たちは、その制約された信仰と物の本性に対する理解の欠除のために妨害されている。

 

 119

このことが、かれらの前途に備えられているもろもろのより高き体験へと(神我)を開顕現することを妨げている。

 

 

120

(万物の)唯一の実質は神である。すべては神の心の中にあり、すべては神の創造物である。目に見えるものは神の御考えの反映にすぎず、本物はすべて神の永遠なる実在の中に久遠、永恒に根差しているのである。

 

 

 

                                                     心身の神癒

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123444j:plain

「生命の書にすべての事が記されている」「スウェーデンボルグの死後の世界」 ブルース・ヘンダーソン著者 訳者鈴木泰之 監修者高橋和夫

 

あなたは幼児のときから一生の終わりまでのすべての記憶をやはり保持しています。この記憶は霊的生活に入ってゆくと次第に消えてゆきますが、新しくこの世界と結び付き始めるときには重要なものです。

 

あなたの記憶は、心の同じ者同士がまとまって生活するときの基礎となるものです。それに、あなたがかって知り、経験したことのすべてを、死が一瞬のうちに拭い去ってしまうのでは、いかにもむごすぎます。

 

あなたの記憶によって、一つの生命から次の生命に本質的な橋渡しができ、またあなたの人生での責任から逃れられないようにもなっているのです。

 

もちろん、あなたの記憶は、特に子供の頃の記憶は完全に確実なものではありません。

 

しかしこれは自然的な記憶、すなわち「外部の記憶」です。

 

あなたはまた、スウェーデンボルグによって

 

外部の記憶をはるかに凌駕している」と述べられている

 

内部の記憶」も持っています。

 

ここに、あなたの生命のすべてのものーーーあらゆるあなたの言葉/思考・行動ーーーがそっくりそのまま記されています。

 

これがあなたの「生命の書」であって、それはーーー他界で開かれ、それに従って(あなたが)裁かれる。

 

人はほとんどこのことを信じることができないが、まったく本当のことである。

 

その人にとって明確でなかった目的であっても、またその人の考えたことも、すべてのものが、その人の話し行なったあらゆるものと一緒になって、最も些細なことまでもその書の中にあり、

 

そして主が許されるときにはいつでも、天使たちの前で白日に下に晒されるかのようにその書の内容が明らかにされる。

 

このことは何度も私に示され、少しの疑いも残らないほど多くの経験で立証されている。

 

 

   第3章ーーー死んだら何がおこるのでしょうか?63p

 

備考、「生命の書」 外部の記憶、内部の記憶、すべて記録されております。

 

スピリチュアルリズムでは、オーラに記憶されていると書いてあったと記憶しています。

だからオーラの読める人はその人の全てが解ります。

 

「生命の書が開かれ、死んだ者は全てその業によって審かれた」(黙示録20・13)          

 

                                                                                            蒼氓。

 

*****************************************************************************************************

 参考、

 

 

 

 

 

  

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

 

第十話  神について深く考えたり論じたりすることを一種の時間の浪費と想像する人がいる。

 

 

神について深く考えたり論じたりすることを一種の時間の浪費と想像する人がいる。

しかしわたしはあなたたちに、

一切の被造物の背後にある強大なる力について考え、

それを実感し、

それと相対的な関係にあるものはすべてこれお判別することによって、それを実感し、それと相対的な関係にあるものはすべてこれを判別することによって、それを把握するように強く勧める。

 

               

            

              心身の神癒

               第十話 16

 

 

 

 

                                                 

f:id:muratakazuhiko:20151130123444j:plain

 

 

 

 

 

 

 

あなたたちが世に在って占める地位は何ら重要ではない。

 

第一話

 

101

 

あなたたちが世に在って占める地位は何ら重要ではない。あなたたちにとって最も重大なことは、神おんみずからの真の現れである神の愛を受けかつ与える能力である。

 

103

 

偶像や肖像は心の中にある象微にすぎない.。そんなものより得るところは殆ど無い。われわれは神の愛を知り且現わさなければならないのである。キリストは神のみ霊であり愛によって天と地とにおける一切の力を与えられているのである。

 

 

               心身の神癒

 

 

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123444j:plain

 

 参考、

 

象徴(しょうちょう)は、抽象的な概念を、より具体的な物事や形によって表現すること、また、その表現に用いられたもの