私は大阪時代、友人や先輩から研究実験の依頼を受け、自分の余った時間をすべてそれに注ぎこみながら、普通の人の五倍ぐらい仕事をしていた。
そういう生活を二十年ぐらい続けたお陰で、工学や医学などのあらゆる分野の知識を修得することができた。それが後に数多くの発明に役立ったことは、すでに述べたとおりである。
また、それらの発明も、特許を私物化せず、無償で社会へ提供いているとして、生命体から陰徳と認められ、寿命までも延ばしていただいた。
ありがたいことで、まさに「情けは人の為ならず」という諺どうりであった。
このように、
人のためになろう、人に幸せを与えようと努力していると、与えた分だけエネルギーが自分に返ってきて、自分の人間性が向上できる。
ここが大事なのだ、と私は思う。
六十歳を過ぎてから、私の身の回りに信じられないような奇跡が次々と発生し、最高の幸福を感じられるようになったとき、作用と反作用の原理は、物理的現象だけではなく、生命体の因果応報となって、精神的な面にもあらわれるということに、私は気ずかされたのである。
つまり、自分の人間性を向上させること。
これがこの世に生きる私たちの最高の幸せということになってこよう。
したがって、本当の意味で幸せになりたかったら、私たちは無条件で、しかも自分で意識せず、人に幸せを与えることではなかろうか。
自分の自己満足のために人々に幸福を与えようとするのであれば、それは人にとっても自分にとっても幸せではない。
単に、自分の欲望を満足させるにしぎないだろう。
その意味でいえば、意識して社会奉仕(ボランティア)をしようというのは、最大の欲望である。ボランティアは、するものではなく、自分の行為がそのまま社会のために役立つことである。
それが本当のボランティアというものであろう。
生命体のエネルギーは修行によって高められていく。真の修行とは、自分以外の人々に幸せや喜びを与える行為を積み重ねていくことにほかならない。
それによって生命体のエネルギーが高められ、自分の人間性が向上していったとき、その高められたエネルギーによって、私たちは常態の1000倍も1万倍もの力を発揮することができ、まさに「この世に不可能はなくなる」のである。
人に幸せを与えるエネルギーがある間は、間違いなく私たちの寿命もある。そのエネルギーがなくなったとき、少なくても私は、自分の寿命はなくなってもいいと思っている。
したがって、生きている限り、私は人のために尽くし続けていくことになるだろう。それが私の人生、生き方である。
この世に不可能はない。より 工学博士、政木和三。
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参考、
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備考、政木和三さん、シルバーバーチ、全く同じことをいっています。
スバラシイデス 管理人。
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