真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

第三話  ~キリストは汝の裡なる生命なり~ 

 

 

  第三話 

~キリストは汝の裡なる生命なり~ 

1 神我(キリスト)の声の及ぶところ、それは広大である。それは遠く又近くに及ぶ。遍在するからである。いずれにあれ、父なる神のいます処わたしも又そこにいる。いずこにあれわたしのいる処、父なる神常にわたしとともにおわします。

2 全能なる神のみがおわしまし、それが全てである。存在するものにして神によらざるものなく、又、その子、神我を経ざるものはない。これこそが大いなる真理である。

3 世界の平和は神我の中に宿っており、すべての人々の魂が神我なる生命に気づき、父なる神の愛と美と力と智と強さとを顕現(あらわ)すことを待っている。

4 父なる神のみが生き給い、しかも神は愛であり、智であり、平和であり、唯一無二の実在であるというこの真理を認識し、把握することによって、それが自然と発露してそれ自身を顕現していくようにしさえするならば、あなたたち全員の裡には常に平安と愛とが変わることなく存在しつづけるであろう。

5 神我の力は、先ずそれに気づき、次にそのことを完全に把握し、静寂の時間(複数)を割いてその間に主たる汝の神の臨在を一層自覚するようになることによって、涵養(かんよう)される。

6 真理の把握とは、久遠の神が今、此処に実存し給うことを知ることである。『父なる神とわたしとは一つである』。父なる神はわたしより偉(すぐ)れて大きい、しかしわれわれは共に一体として働くのである。父なる神なくしてのわたしは何事をも為しえないが、父なる神と偕であれば、神の為し給うみ業はすべてわたしもそれを為すことができる。われわれは一体であるからである。

7 認識が先ず第一である。次に十分に把握をし、静寂の時間(複数)を置くようにすれば、わたしの力〔普遍なる神我の力〕があなたたち自身の意識の中で発達して行く。しかし意識は実は只ひとつあるのみであって、それが全宇宙にわたって具象化しつつあるのである。それが大生命自身の裡なる意識である。大生命がすべての形体(かたち)あるものを創造(つく)り給い、その形体の中に大生命がその栄光を意識的に顕現しうるようにし給うたのである。

8 大生命が大生命自身の意識の中に自己顕現することができるように人間の魂と体とを創造(つく)り給うたのである。このことを真に了得した時、あなたたちは神我(キリスト)の力を自分自身の生活の中に発動するようになる。

9 あなたたちは物質生活、商取引の生活から抜け出て、暫しのあいだ神の国に休らわねばならぬ。そして、常にあなたたちの生活の中に顕現しようとして待機している真の大生命と神我(キリスト)の力とを自分が着実に成長させかつ展開させつつあることを知るがよい。

10 神我(キリスト)がその儘顕現(ままあらわ)れ出ているという態度を持ち続け、その事が自分にとって意味するところのものをよく考え、ジッと沈黙したままで待つがよい。こういう生き方によって着実な成長が得られるのである。

11 この状態は誰かが云うような「空白」状態でもなければ「空無」の状態でもない。又、意識が理解もしないうちにやみくもに認容することを強制されようとする蔡の緊張でもない。

12 あなたたちはこのような極端な生き方は避けなければならない。そして、自分と父なる神との間にはいかなる分離もあり得ないという正しい理解に満ちた静けさを、自分の胸の中に保ち続けることである。

13 胸(ハート)の中でこう云うがよい、「わたしの中に留まり給うのは父なる神である。この神こそがみ業を為し給いつつあるのである」と。これがあなたたちの個我意識を遍在している神意識に結びつけるのである。

14 あなたたちがわたしを認め、わたしの生命が久遠に活発として働いていることを認める時、わたしはわたしの神性を現す。わたしの生命の久遠なる特質を認めるのは、神我(キリスト)があなたたちの中で顕現しつつあるという事である。天上天下にこれ以上の大きな力はない。天上天下のあらゆる権能(ちから)がわたしに与えられているのである。これがわたしの本態であり、神の愛の現れである。わたしの生ける臨在が常に活気凛々(りん)としてあなたたちと偕にある以上、それがあなたたちにとってどういう事になるのかを胸(ハート)の中で考えるがよい。その事をよくよく了解することの中に栄光と平安とはある。

15 肉体の彼岸に移った人々はまだ生きている。そういう人々の中には、まだ肉を保っていると思い込んでいる者もあれば、まだ夢を見ているものもいる。しかしいずれは皆生ける神があらゆるものの中に神御自身を永遠に顕現しつつある真理に目覚めるであろう。神の顕現は久遠であり、常在であり、あなたたちの裡なる神我として展開しつつある。

 

 

 

    

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.神我の力は、先ずそれに気づき、次にそのことを完全に把握し、静寂の時間(複数)を割いてその間に主たる汝の神の臨在を一層自覚するようになることによって、涵養(かんよう)される。

 

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「涵養する」とはどういう意味ですか?
 
〘名〙 (「涵」はひたすの意) 自然に水がしみこむように、徐々に教え養うこと。 だんだんに養い育てること。

 

 

 

 

 

 

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参考、

 

 6 真理の把握とは、久遠の神が今、此処に実存し給うことを知ることである。『父なる神とわたしとは一つである』。父なる神はわたしより偉(すぐ)れて大きい、しかしわれわれは共に一体として働くのである。父なる神なくしてのわたしは何事をも為しえないが、父なる神と偕であれば、神の為し給うみ業はすべてわたしもそれを為すことができる。われわれは一体であるからである。

 

 

 

    

 

   

 

 

 

 備考、 

    初めて、この本を読んだとき驚愕していました。何度もブログの題名に奇跡の

    言葉と書いていたとおもいます。

                             蒼氓。