それを単に知っているだけでなく、これによっていつも霊的に生きているといったレベルのものである。
だからこれは「知っている、理解している」といった認識のレベルのものではなく、「そう行動している」といった行動のレべルなのだ。
これはひとつレベルの低い認識レベルの「信」に対し自分自身が「信」そのものになっているといっていいだろう。
そして、そうなって初めて霊は最上の天国にも入れる。一言でいえば、霊はこのような階段をひとつひとつ登って行くことによって初めて最上の天国に入れる。
中には例外的に、死んでいくらもたたないうちにすぐ最上の天国に達する者もないわけではない。しかし、それはあくまで例外でそんな人は人間だったときから天国の胚種を強く持って生きていた人だけなのだ。だから、私に最上の天国にはいれないといって嘆いた多くの死後間もない霊たちは、いってみればあまりに性急すぎる望みを持った者たちだということになる。
だが、当然いまのような段階を無事に通過することができれば、最上の天国の門はどの霊にも公平に開かれているわけだ。
霊界のそれぞれのレベルの国は「信」だけでなくいろいろな点でレベルに相違がある。しかし、いま私はもっともわかりやすい「信」のレベルで説明してみた。また、いまは「信」のレベルのことだけで見たが、冒頭でいった第一~弟三状態とはどんことなのかもいまの例は教えてくれる。
知識を誇った学者のこっけいさの例は「正編」でも簡単に紹介したが、彼らの知識なるものが霊の世界では通用しなくなるのは、それが外面的なものに過ぎないためだ。
第一状態から第三状態への変化とは、つまり人間(霊)がより内面の本質に従って生きるようになるということにほかならない。
そして、その観点からは知識などは、人間がまとう衣服と同じにたんに表面を飾るものでしかないからだ。
続スウェデンボルグの霊界からの手記 抜粋。
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