第1章 人間は、霊界の支配下にあった
この世もあの世もひとつの世界
この世とあの世は別々な世界ではなく、ふたつをひとつにした大きな世界という1枚のコインの表と裏にすぎない。
私の30年の体験は、この世もあの世もひとつの世界のなかの、それぞれの部分だということを教えてくれる。
世間の人びとのなかには、「あの世なんて存在しない。世界とはこの世だけだ」と考えている人も少なくないが、それは世界の片側、つまりコインの片側しか見えない人の言い分にすぎない。
人には誰にでも必ず善い霊と悪い霊がついていて、毎日の生活に大きな影響を与えている。そう言われても、人には霊からの影響は見えないからピンとこないに違いない。このような関係は、私には樹木の種子と樹木との関係とそっくりに思える。
樹木には、大きく育っている樹木も、よく育たないで曲がっている樹木もある。樹木の場合は、それが誰の目にも見えるのですぐに気づく。しかし、その樹木のもとが種子だということは、たいていの人は忘れている。樹木として発芽したあとでは、種子は影も形もなくなってしまうからだ。だが、その種子の生命は樹木の中に流れ続け、樹木の成長を支配している。
だから、より根本的で本質的なものは、その姿が目に見える樹木よりも、姿が見えない種子のほうなのだ。人びとの毎日の生活を深いところから支配している霊の影響は目に見えないが、それは樹木と種子の関係だと思えばよく理解できるだろう。 私は30年の体験から、本当は目に見えないものこそが世界の根本であり、私たちはそれによって運命づけられ、支配されているのだと断言できる。
「死の技術」によって、ふたつの世界を同時に見続けてきた私には、実はふたつに見える世界もそれぞれひとつに結び合わされた「全体(全世界)」の一部であるということがよくわかる。このような世界をつくっているものが「天の理」と言うべき、世界創造の根本原理だということもわかる。
ときに人びとは、幽霊とか死の知らせとか憑依といった、いわゆる心霊現象を体験する。しかし、ほとんどの場合、体験した人自身が、その正体を深く極めることができない。そのため、人びとは霊界のことには気がつかないのだ。その結果、背後から自分たちを動かしている「種子」の働きには気づけなくなっている。
だが、このようになっている理由は、「天の理」のなせる配慮なのだ。つまり、「天の理」は、この世もあの世もひとつの世界の一部としてつくりながら、この世の人間にはあの世のことをわかりにくくしているのだ。
エマニュエル・スウェデンボルグの 霊界 ―― Ⅱ
人間は、霊界に支配されている
E・スウェデンボルグ・著 今村光一・訳
中央アート出版社 2000年刊