真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

心身の神癒3話

 

 

 

    

   

 

 

35 あなたたちは、あなたたちを取り囲んでいる外側のものだけにしか気付かないのか。もしそうであれば、あなたたちは依然として俗的意識の中に留まっているのである。しかしわたしはあなたたちに断言する、神のみ霊が自分の意識を通じて顕現し、しかも、それは外からではなく、裡から来るものである。と悟るのが唯一真実の悟りである。

36 人間の神我性は既に完全無欠である。神我は、あなたたちの裡なる愛してやまぬ神、すべてが神なるが故にすべてを愛する神の、不偏不党の、非利己的な現れである。人類はこの「わたしとの一体」に入らねばならない。

37 これが、「内なるもの」を因とする「外なるもの」の進化であり、常に前へ前へ、上へ上へと内なるものの真の顕現を促してやまないのである。「外なるもの」は「内なるもの」とならなければならない。又、「内なるもの」は「外なるもの」とならなければならない。

38 神我の栄光が肉の中に完全に顕現する時が来るであろう。なぜならば、肉はこのことには何ら関知しないからである。神我は至高であり、その支配は必ず最高となるべきことが全能者の天命である。人の裡なるみ霊が「永(とこし)えに生きる吾」なのである。

39 キリストは神であり、神はキリストである。神の分霊があなたたちの中で『今』働いておられるという神智を吾がものとしたことを歓ぶがよい。

40 この真理の悟りの中に生きよ、そうすれば真理は必ず生活の中に顕現する。『征服者』キリストがあなたたちを解放するであろう。

41 神我を信ずる者は神より生まれし者であり、何ら肉即ち人の衝動によって生まれた者ではない。

 

地上における何人をも父と呼んではならぬ。天に在す方こそがあなたたちの父であるからである。

42 わたしのこの説法の意義は恐らくはあなたたちによくは把握されていないかもしれない。あなたたちは肉の中に生まれはしたが、肉は何ら決定的なものではないのである。あなたたちは神霊(みたま)より生まれたのであり、神霊がありとしあらゆるものを創造(つくる)る唯一の創造力である。これが神と偕にありし言葉、神なりし言葉、肉と化した不死の言葉である。

43 神を見た者は一人もいない。しかし神は吾が裡なるキリストによって現されている。故に何人であれ吾を見る者は父なる神を見る者である。


44 神は御自身を分離されはしない。神は御自身の中に、御自身の肖姿(にすがた)を創造(つく)り給う。これがあらゆる人の裡にある光りである。


45 わたしたちはすべて同一の生命に属する。なぜなら生命は生命自身の中で異なったものとは成りえないからである。形体には生命の〔顕現〕程度はあるが生命それ自身は非人格的であり、生命みずからの創造(つく)った形体を通じて自分自身を表現する。

46 無限なる父の大いなる智慧は、父御自身の実現のためにあらゆる形体を創造(つく)り給うた。その中にある生命はすべて同一である。それは唯一の根源からのみ流れ出で、その創造り給いしすべての形体を通じてながれ給う。それは最微より最大に到るあらゆる形体の中に顕現してい給う。生命は生命の創造(つく)り給うあらゆる形体に生命自身を顕現しつつあるのである。

47 生命である神霊によらないで存在するようになったものはひとつもない。生命の『顕現』程度は、生命を認め、生命を表現することによって理解される。故に、御自身に似せてわたしたちを創造(つく)り給うた神は、わたしが生命を表現し、生命が神なることを知る程度に応じて、わたしを通して顕現(あらわ)れ給う。

 

48 神の生命を自分自身の意識において認め、かつ表現することによって、大生命の顕現媒体となる。意識が神の自己表現する点であり、同時にまた自己の裡にまします神我という神を表現する点である。


49 このことをあきらかに自覚するならば、その時こそ大生命そのものの秘密が吾がものとなったのである。


50 自分が肉によるのでもなく、人間の意志によるものでもなく、神なる神我(キリスト)によって生まれたものであることを知る人々以外には、今尚、この真理は大衆に対しては秘められている。


51 故に、わたしは、かくの如き大生命なのである。天上天下における一切の権能(ちから)がわたしには与えられている。『先ず神の国とその正義とを求めよ、そうすればあらゆるものがあなたたちに加えられるであろう。』


52 意識は大生命が表現される程度を決定する。わたしは自分が神の生命であること、『わたしは神なる神我であることを自覚している。わたしは、わたしの中で働き給う父なる神の実子である』。


53 キリスト意識は、天上天下のあらゆるものの対して支配権を持ち給う父なる神を示現する。これがまことのキリスト意識である。


54 わたしが嘗てこの地上に生き、世の末まで、すなわちすべての人々がこのキリスト意識を認めかつ実現してわれわれが皆一体となるまで、依然としてあなたたちと偕にいるのは、この為なのである。


55 この真理の認識と実現とによってわれわれがすべて一体となるように、わたしは辛抱強く待っている。真実については、人は争わない。虚偽(ニセモノ)についてのみ人は争う。自分が生きていること、現に生きつつある事実には人は争わない。人はただ、様々の信仰や観念(かんがえ)について争うのみである。死に定められたる者は肉の世からより優れる世界への出口を求めている。故に死に定められた者は自分自身と問答をする。しかし神我(キリスト)は決して問答はしない。神我はすでに直接知っているのである。故にニセモノとホンモノとを見分けることは容易である。


56 "I am"は聖語である。"I am that I am"(*4)。各時代の予言者たちはこの永遠の秘密を知っていたが、それを理解しうる者は僅少にしかすぎなかった。しかし、いずれはすべての人々が理解するようになるであろう。なぜならば、子が父なる神を顕示し、すべての者をして神を知らしめることが、父なる神の御意志であるからである。わたしの父の御意志を行うものがわたしの母であり、姉妹であり、兄弟である。

 

 

 

  

                         

                                  

 

       神癒の原理 ヒマラヤ大師の教え | Enaの日記 ~Agelessエイジレスな生き方~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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