真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

スピリチュアルは永遠の探究。

 

 
    (前向きな生き方がまわりの霊的エネルギーを引き寄せる)

 あなたも今日から前向きの人間になり、絶対に後を振り向かないという決意をしようではないか。
 いつも楽観的に物事を考えよう。
 消極的な考えを積極的な考えと入れかえよう。
 取り越し苦労はもう止めよう。
 心配を信念と置きかえよう。
 絶望的になったり落胆したりすまい。
 一日一日を存分に生きよう。
 こうした生き方の中で周りの霊的エネルギーが引き寄せられるのである。

    M.H.テスター『現代人の処方箋』(近藤千雄訳)
      潮文社、1988、pp. 152-153

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        (明日のことを思い煩ってはならない)

 あなたの荷の三分の一は過去である。後悔、無念、悲しみ、罪悪感、等々。そんなものは今すぐ捨て去ることである。忘れることである。どう悔んだところで過去は変えられないのである。もう終わったのである。済んだことである。涙を拭って、もう後悔は止めよう。自分を責めるのはもうこれきりにしよう。
 いかがであろう。気持ちが軽くなったように思われないだろうか。当然である。荷を三分の一減らしたのだから。
 もう少し荷を点検してみよう。
 やはりあなたにも取り越し苦労という将来への重荷が三分の一ある。これから先どうなるだろうかという心配である。お金のこと、家族のことが心配でならない。不安で胸がいっぱいである。それもきれいさっぱり捨て去ることである。将来はまだ来ていないのである。来た時に処理すればよい。それまではアインシュタインの言葉に耳を傾けるとよい。
 曰く―「私は将来のことは決して考えないことにしている。なぜなら、そのうち必ずやってくるからである」と。これも先哲が繰り返し説いていることである。
 バイブルのマタイ伝にもこうある。「ゆえに明日のことを思い煩うなかれ。明日は明日自らが思い煩うであろう。今日の苦労は今日一日にて足れり」

  M.H.テスター『現代人の処方箋』(近藤千雄訳)
     潮文社、1988、pp. 154-155

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        (明日のことは明日になってから考えればよい)

 私は、人間が一番案じていることは決してその通りにはならないと確信している。あなたは今夜寝ているうちに死ぬかもしれないのである。明日はないかもしれないのである。幸い明日も生きていれば、その日は希望と幸福と生き甲斐にあふれているかもしれない。
 だから、明日のことは明日になってから考えればよい。それまでは考えないことである。取り越し苦労、悩み、恐れ、こうしたものは捨て去ることである。

  M.H.テスター『現代人の処方箋』(近藤千雄訳)
    潮文社、1988、pp. 155-156

  

 

 

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       (死への恐怖は向こう側へ気安く飛ばないための安全弁)


 矢作 多くのかたにとって、死の恐怖というものは非常に強いものではないかと思います。死に対するとらわれというのは、人間にとって、大きな問題であることは確かでしょう。
 死に対する不安、恐怖、心配。それが私たちを苦しめます。しかし、私は考えようによっては、これはいいことではないかと考えているんです。
 中 それは、どういうことでしょうか。

 

 矢作 というのも、死が怖くなかったら、大変なことになります。人間のような未熟な意識の場合、もしも死んだ後、どうなるかということがはっきりわかってしまったら、浅薄な結論に飛びつく人が大量に出現するのではないでしょうか。
 例えば、善良に生きて死んだ後、だれでも天国へ行けるとわかったら、未熟な意識は、このめんどうな生にさっさと見切りをつけて、どんどんあの世へと行ってしまうおそれがあるんですね。


 中 確かにそうですね。いかにもありそうな話です。

 

 矢作  つまり、死への恐怖というのは、ある意味では、私たちが向こう側へ気安く飛ばないようにする安全弁のような働きをしていると思うんです。この肉体というものは、非常にうまくできている。人間の脳はすばらしいというけれど、しかし、脳も、また、もっと高い存在から見れば、非常に出来が悪いわけです。その出来の悪い脳のフィルターを通して、私たちはすべてを見ている。
 出来の悪いフィルターを通して見ているからこそ、何も見通すことができないし、死が怖くてジタバタする。私たちがすべてを見通すことができて、また、いつ死んでもいいと簡単に見切りをつけられるようになったら、生きている価値も下がってしまうに違いありません。
 このように手枷足枷をはめられた存在であるがゆえに、生きていける。見通せないがゆえに、悟りたいという願いも生じ、努力もする。

 

  矢作先生のおっしゃりたいことは大変よくわかります。わかりますが、それでも、なお死が怖い。怖いから、なんとかしたいとジタバタするのが人間なんですね。

 

  矢作直樹・中健次郎『人は死なない。では、どうする』マキノ出版、2012、pp.120-121

 

  

 

    

  youtu.be

    素晴らしいです、感動です。 

 

                永遠の探究者でありたいです。

                              蒼氓。

 

 

    

  youtu.be

   魂の叫び。素晴らしい感動しました。

             

    7分~8分30のメッセージ圧巻です。 

    

  こうゆう曲は、普通の人にはかけない。                      

 

                         蒼氓。