真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

かれらは神を見ないで、自分ばかり絶えず見つめている愚か者で、主のものを主から奪って自分のものにするため、泥棒と思われます。かれらは、天使のいる天界をつくるのは、主の神性に他ならないという天界の信仰とは、まる反対のことを考えています。

 

 

 天界と地獄#9

 

 

 

 

 

9. 天使たちは、英知によって、いっそう深い理解に進みます。かれらは、あらゆる種類の善と真理だけでなく、

〈いのち〉もすべて主からくると言います。かれらの確信は、次のようです。

 

すべて存在するものは、自力で実在する existere a se のではなく、みずからに先立つものによって存在します。

万物は、最初にある者、つまり、万物の「生命の本質そのもの ipsum Esse vitae」と呼ばれる方から、存在を受け、同時に、存続します subsistere。存続とは、いつまでも存在し続けることです。

 

ところが、この存続者は、最初にある者との間を結ぶ仲介の糸が切れると、たちまちくずれ、姿を消します。

生命の本源は一つしかありません。川の流れのような人間の生命も、その泉からの補給が断たれると、すぐ涸れてしまいます。

 

2. しかも、その生命の唯一の泉は主であり、〈神の善〉と〈神の真理〉はそこから発し、さらにその〈善と真理〉は、一人ひとりの受けいれに応じて、与えられます。信仰および生活で、それを受けいれる者の中に、天界は存在し、それを拒み、涸らしてしまう者は、地獄に変えます。そこで善は悪となり、真理は偽りとなり、生命は死に変わります。

 

生命はすべて主から来ます。それは、次の事柄でも明らかです。宇宙万物は、善と真理にかかわりをもっています。人の意志は、〈善にむかう愛の〈いのち〉〉であり、人の理性は、〈真理にむかう信仰の〈いのち〉〉です。

 

善と真理のすべてが、こうして上から来るものなら、すべての〈いのち〉も同様です。

 

3. 以上のように信じているため、天使たちは、自分がおこなう善に感謝されることをこばみ、もしだれかが、ある善を天使のおかげにすると腹を立て、そこから逃げます。だれかが自分から悟ったり、善を行ったりすると信じるのを見て、驚くほどです。

 

善を自分のためにした場合、かれらはそれを善とは言いません。

 

自分から出てくるものだからです。

 

善のために、善をすること、これを「神からの善 bonum ex Divino」と言います。このような善こそ、天界をつくります。というのも、善は主を示すからです。

 

天界と地獄 #10

 

 

10. 生前、自分が行った善、自分が信じた真理を、自分に由来するものだから、自分のものだと考えた精霊がいました。

 

善業は功績だと思い、これに正義の報いを要求した人は、みなこのような信仰をもっています。

 

かれらは天界に受けいれられません。天使たちは、かれらを愚か者、泥棒とみなして逃げさります。

 

かれらは神を見ないで、

自分ばかり絶えず見つめている愚か者で、

主のものを主から奪って自分のものにするため、泥棒と思われます。

かれらは、天使のいる天界をつくるのは、主の神性に他ならないという天界の信仰とは、まる反対のことを考えています。

 

 

 

 

 

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