天界と地獄#9
9. 天使たちは、英知によって、いっそう深い理解に進みます。かれらは、あらゆる種類の善と真理だけでなく、
〈いのち〉もすべて主からくると言います。かれらの確信は、次のようです。
すべて存在するものは、自力で実在する existere a se のではなく、みずからに先立つものによって存在します。
万物は、最初にある者、つまり、万物の「生命の本質そのもの ipsum Esse vitae」と呼ばれる方から、存在を受け、同時に、存続します subsistere。存続とは、いつまでも存在し続けることです。
ところが、この存続者は、最初にある者との間を結ぶ仲介の糸が切れると、たちまちくずれ、姿を消します。
生命の本源は一つしかありません。川の流れのような人間の生命も、その泉からの補給が断たれると、すぐ涸れてしまいます。
2. しかも、その生命の唯一の泉は主であり、〈神の善〉と〈神の真理〉はそこから発し、さらにその〈善と真理〉は、一人ひとりの受けいれに応じて、与えられます。信仰および生活で、それを受けいれる者の中に、天界は存在し、それを拒み、涸らしてしまう者は、地獄に変えます。そこで善は悪となり、真理は偽りとなり、生命は死に変わります。
生命はすべて主から来ます。それは、次の事柄でも明らかです。宇宙万物は、善と真理にかかわりをもっています。人の意志は、〈善にむかう愛の〈いのち〉〉であり、人の理性は、〈真理にむかう信仰の〈いのち〉〉です。
善と真理のすべてが、こうして上から来るものなら、すべての〈いのち〉も同様です。
3. 以上のように信じているため、天使たちは、自分がおこなう善に感謝されることをこばみ、もしだれかが、ある善を天使のおかげにすると腹を立て、そこから逃げます。だれかが自分から悟ったり、善を行ったりすると信じるのを見て、驚くほどです。
善を自分のためにした場合、かれらはそれを善とは言いません。
自分から出てくるものだからです。
善のために、善をすること、これを「神からの善 bonum ex Divino」と言います。このような善こそ、天界をつくります。というのも、善は主を示すからです。
天界と地獄 #10
10. 生前、自分が行った善、自分が信じた真理を、自分に由来するものだから、自分のものだと考えた精霊がいました。
善業は功績だと思い、これに正義の報いを要求した人は、みなこのような信仰をもっています。
かれらは天界に受けいれられません。天使たちは、かれらを愚か者、泥棒とみなして逃げさります。
かれらは神を見ないで、
自分ばかり絶えず見つめている愚か者で、
主のものを主から奪って自分のものにするため、泥棒と思われます。
かれらは、天使のいる天界をつくるのは、主の神性に他ならないという天界の信仰とは、まる反対のことを考えています。