真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

シルバー・バーチの霊訓(一) アン・ドゥーリ編 近藤千雄訳

 

問「霊的法則は霊界でも地上でも同じ作用をするのでしょうか。」

 

 

答「違います。

 

こちらでは同一レベルにまで進化した者同士の生活が営まれており、霊格にによる区別がはっきりしているからです。

ですから地上のように比較対照というものがありません。

 

各自がその霊格に合った階層で生活しており、程度の低い者と高い者とがいっしょに暮らすということがありません。

地上では精神的ならびに霊的発達程度の異なる者が毎日のように顔を合わせますが、こちらではそうゆういうことがありません。

 

ただし、使命を受けて(地上的な言い方をすれば)低い階層へ降りて行けば別です。

 

そうでないかぎり同じレベルの霊同士の生活が営まれます。

 

やがてそのレベル以上に向上してくれば次のレベルへ進んで行きます。

 

ですから一つの階層で対照的な生活が営まれることがないわけです。

 

とにかく私たちの世界には光と闇といった対照がなく、従って影もありません。

 

光だけです。

 

光の中だけで生きていける段階まで到達した霊は、光とは何かについて完全な理解が出来ております。

 

 

そうでなかったらその階層にはおれません。

 

その階層に至るまではやはり

 

光と闇の”錯覚の世界”である幽界に留まります。

 

進化していくとそういう比較対照を必要としない段階に至ります。

 

そうすれば実在の真相をより正しく理解するようになり、

 

実相をあるがままに知ることができます。

 

たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその”全体像”を見ることができれば、地上では見られない美しさが鑑賞できます。霊眼には全ての物の内側と外側とが見えるのです内側には地上のような外側だけの世界に見られない無限の種類の色彩があります。色調も無数にあります。そして物的感覚では理解できない霊的な実体感を有しております。

私たちは地球の引力の作用を受けません。

 

また永遠の光が存在します。

 

魂が開発されるにつれて、その程度にふさわしい美しさも開発されます。

 

こちらは創造進化の世界です。

 

そこに生活する者自らが創造していく世界です」

 

 

 

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備考、

 

また永遠の光が存在します。

浄土真宗阿弥陀とはサンスクリット語

「ア・ミター・ユス(バ)」「ア」は否定語(NO)「ミター」に量る、計るという意味「ユス」は時間「パ」空間を意味するそうです。

 

直訳すると、「時間、や空間では計算できない=いつ、どこにでもいる」仏様という意味だそうです。 

 

 

 

光明会、山崎弁栄聖人、心霊界の太陽。 

 

            黒住宗忠,天照太神    

 

                                                                                           蒼氓。

 

 

 

 

 

    霊界の太陽と、この世の太陽

 
人間の生命の源は霊界の太陽に大きく影響を受けている。

私は手記の最後にあたり霊界とこの世の関係がどのようになっている
かについて記すことにしよう。
 
霊界とこの世との間には「相応の理」というものがある、霊界にはこ
の世にあるすべてのものが(物質的な形をもたないが存在)あり、さら
にこの世にはないものさえ存在していると云うことだ。

霊界とこの世は別々の世界だが一枚の金貨の裏表のように、離しが
たく結びついていることだ。と理解してもらうのは無理な話しか。

しかし、このことをもっと正確に言うと次のようになる、霊界とこの
世は実は別々の世界ではなく「ひとつの世界」なのだ、大きなひとつ

の世界の「ふたつの違った部分」なのだ、霊界とこの世は別々の二つ
の世界ではないことだ。
 
ひとつの世界の異なった部分にすぎない両者の間には、いろいろな面
でまったく別の世界としか思えないような相違がある。

あくまでも一つの世界の二たつの部分にすぎない、その証拠にそれは
非常に緊密な関係があることだ。

  では、もっとわかりやすく説明しよう。

霊界の太陽から流れ出る霊流が、霊界の生命の源であることはすでに
述べたとおりだ。

この霊流には、霊界の上、中、下の三つの世界に直接太陽から注がれ
るもの(直接霊流)と、太陽→上世界→中世界→下世界の径路を経て
各世界に注がれるもの(間接霊流)の二たつがある。
 
人間の生命の源は霊界の太陽にあって、自然界の太陽は熱や光を与え
て自然界の生命をはぐくみ、生命の活動を助けることはできる、だが

生命の源泉そのものになることはできない、なぜなら自然界の太陽は
霊界の太陽の相応物でありいわば代代替である、この世の太陽は源は
霊界の太陽の分身に過ぎないのだ。

では人間はどのようにして、霊界の太陽からの霊流を受け取っている
のか霊界の存在ではない人間が、どうやって霊界の太陽から霊流を受
けることができるのか、その疑問には次のように答えよう。

人間の生命の根源は本来的に霊なのである、そのため人間の肉体に住
んでいるのだが、霊であるなら霊流を自分の中に自然に吸収しており、
これによって人間は生命を維持していることができるのだ。

物質界ではない霊界がその意図や意思を完結していくためには、霊に
人間という物質的形態(肉体)を与える必要があったのである。

人間界は霊界の終点であり、霊界の生命の根源そのものでもあるのだ。

霊流も終局点とする人間界に肉体を持たせ、その中に人として霊を住
まわせ霊に霊流の終局として霊流を与えることによって、霊なる魂を
高級化への完成に達する遠大な計画により霊界は永遠に動いている。