真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

(2)実際の死の直後の体験談

 

1)テッド・バットラー霊の体験談(1964年2月10日の交霊会より)

 

イギリス人、テッド・バトラーは交通事故で死にました。

その彼が1964年2月10日の交霊会に現れました。彼はリーズで、妻と買い物をしていました。その時・・・

 

テッド・バトラー霊)

私は道路を横切ろうとしていました。すると急に何かが私に当たりました。それはブレーキが効かなくて坂道を転がり落ちてきた車だと思います。私は壁に叩きつけられて気を失いました。苦しかったという記憶はありません。何かが私の方にやってきたのを覚えています。それが、すべてです。その出来事は突然に起こったのです。

 

グリーン女史(*交霊会の司会者)は確認した。

「あなたは、どのようにしてご自分の状態に気がついたのですか?」

分かりません。私が覚えているのは、大勢の人々が立って何かを見下ろしていたことだけです。私もその人たちと同じように覗き込みました。するとそこには、私と瓜ふたつの男性が倒れていました。最初、私はそれが自分だとは分かりませんでした。「これはまったくの偶然の一致だ。彼は私にそっくりだ、まるで双子のようだ」と思いました

その時、私の妻が涙を流して立っているのが見えました。彼女は私がすぐそばに立っているのに気づかないようでした。それから死体は救急車に乗せられました。そして妻と数人の看護婦もその車に乗り込みました。私も一緒に乗り込み、妻の横に座りました。しかし、それでも彼女は私がいることに気づきませんでした。私は徐々に、「目の前に横たわっているのは自分の死体なのだ」ということが分かり始めました。

 

私たちは病院に着きました。私の遺体は遺体安置所に置かれました。私はそこが好きになれず、すぐ家に戻りました。妻はすでに家に帰っていて、隣のミッチェン婦人が彼女を一所懸命に慰めていました。それから葬式が行われました。もちろん私もその場にいました。私は、「葬儀の騒ぎといい葬式の出費といいまったく馬鹿げたことだ私はちゃんとここにいるにに・・・・」と思いました。誰も私に気がつきませんでした。年老いた牧師が聖書を読み上げていました。

私は、もし誰か今の私の状態を知ることができるとするなら彼以外にはないだろうと思ったので、彼のそばに立っていました。そして肘で彼の横腹をそっと押し続けましたが、彼は全く気がつきませんでした、彼は葬儀をそのまま続けました。

私は数週間家の周りをうろついていたに違いありません。

 

       スピリチュアリズム普及会 第一公式サイトより

 *********************************************************************************************