真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

実在に目覚めた霊からの助言

 

       妻の背後霊が語る「生命の実相」

 

かなり以前の話になるが、妻の親友にラックマンドという女性がいて、その人の子供が、生後二年半で発作を起こして精薄児になってしまった。

霊感の鋭かったラックマンド夫人は、それがスピリットによるものと直感し、妻と共に憑依現象の研究を始めた。

さて、ラックマンド夫人が他界する一年ほど前に、妻との間で一つの約束が出来ていた。それは、どちらが先に死んでも、死後の存続を実証してみせる、ということだった。その約束どおり、夫人は、二週間後の夜に物質化して、妻の枕元に立った。が、その容姿があまりにも地上時代そのままなので、妻は、一瞬それがスピリットであるとは気ずかなかったという。が、夫人がかがみ込んで妻の頬に手を触れた時に、我に返った妻は、「まあ、ラックマンドさん!」と叫んで起き上がった。すると夫人が、

「アンナ、スピリットが地上に戻ってくるのは本当よ。あたしは、これからあなたの霊能を発達させてあげる。招霊会の仕事は続けてね」と言った。

その後、夫人は、交霊会に再び物質化して出現し、前回と同じように「スピリットが戻ってくるのは本当よ。招霊会は続けてね。あたしが、あなたの霊能を発達させてあげる」と述べた。以来ラックマンド夫人は、妻の背後霊団に加わって、おもに身体の保護を担当し、同時に度々出現して語っている。次がその一つである。

 

 

1920年9月29日

スピリット=ラックマンド夫人

 

「地上の人間は、なぜこうも神また生命について正しく理解しないのでしょうか。やたらに神という言葉を口にしないで、或いは自分で為すべきことを神にお願いしないで、神とは「理解」という名の光であることを知るべきです。そう理解すれば、利己主義も、取り越し苦労も、争いごともなくなるはずです。

 

例えば、拝金主義がなくなるでしょう。金さえあれば幸せになるかに考えるようですが、そもそも幸せとは何かをご存知ありません。買いたいものが買え、食べたいものが食べられ、飲みたいものが飲める程度が幸せと考えて、その為に先立つものは金と考えるようですが、そうなることは身体の健康にとっては害にしかならないことを知りません。人類が進歩すれば、大自然に顕現している驚異的な神の御業を理解することこそ、幸せの道であることを悟るようになるでしょう。花の一つ一つが、神の顕現なのです、花の香りも神の顕現なのです。神がその存在を知らしめる為に発散なさっているのです。手で触れなくても、その美しい花から輝き出る(と私は言いたい)香りを通して、神の存在を知ることが出来るのです。たとえ目には見えなくとも、分かります。大気中に広がっているからです。

花の一つ一つが、神の御業です。同じものが人間にこしらえますか。絵の具で同じ色が描けますか。あの香りが出せますか。それにまた、なぜ品種ごとに個性のある花を咲かせて、なぜゴチャゴチャにならないのでしょうか。赤い花が、なぜ緑色になったりしないのでしょうか。

 

花や植物の世界から動物への世界を見てきますと、男と女の世界に見られないもの、すなわち絶対的忠誠心ともいうべきものがあることが分かります。

人類は万物の霊長であるべきところを、懐疑心と教義によって、雁字搦めにされております。自分を聖なるものと信じている人が多いようですが、勝手にそう思っているだけです。

日常生活において、それに相応し努力はしておりません。

日曜日に教会へ行き、神へ祈り、「あなたに忠実に生きております」と申し上げながら、教会に通わない人のことを悪い様に言います。本当は、その人たちの方が自分に正直に生きている場合があるのです。その意味では、神におべっかばかり言っているクリスチャンよりも、よほど真摯に生きております。

人間に憑依する自縛霊は、いわば人工の「悪魔」です。利己心がそういうものを生み出しているのです。生命の実相を知らないまま肉体から離れた後、地上時代に信仰していたことと何もかも違うことを知って戸惑い、挫折し、憎しみを抱き、彷徨して歩いているうちに、同じ波長の人間に憑依してしまうのです。

 

その種のスピリットには気をつけないといけません。精神病の研究に熱心に取り組んでいるようですが、肝心の霊的原因を知らずにいます。霊的実相を知らないまま彷徨っている自縛霊の憑依が全ての原因なのです。そのことを知らずに、精神病者はすぐに隔離されますが、モルヒネを打たれて閉じ込められるだけのことで、他の人間に害を及ぼさないことになっても、本人には何の意味もありません。

ラックマンドでした。失礼します」

 

        迷える霊(スピリット)との対話

       スピリチュアル・カウセリングによる精神病治療の30年

        カール・A.ウィックランド(著)近藤千雄(翻訳)

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