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人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。
苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。
何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。
何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。
困難にグチこぼしてはいけません。
困難こそ魂のこやしです。むろん困難の最中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。
しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこのうえない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。
この世に生まれくる霊魂がみな楽な暮らし送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。これはきびしい辛い教訓でありますが、何事も価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。
魂の懸賞はそうやすやすと手に入るものではありません。神は一瞬たりとも休むことなく働き、全存在のすみずみまで完全に*1通暁しております。
神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日も神の働きです。有限なる人間に神を裁く資格はありません。
宇宙を裁く資格もありません。物的尺度があまりに小さすぎるのです。
物的尺度で見る限り世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。
当然かもしれません。
しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。
地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。
なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。
ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず*2平衡を取り戻します。
霊的に見て、あなたにとって何が一番のぞましいかは、あなた自身には分かりません。
もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることも有り得るのです。
ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するように努めることです。
というのは、あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、
あなた方にとって幸福と思えることが、私どもから見れば不孝だと思えることもあるのです。
祈りはそれなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしもあなたが望んでいるとおりの形ではなく、
その時のあなたの霊的成長にとっていちばん望ましい形で与えられます。
神は決して我が子を見捨てるようなことは致しません。
しかし神が施されることを地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません。
三章 なぜ苦しみがあるのか 57p
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備考、*2平衡(へいこう)つりあいのとれていること。
*1通暁(つうぎょう)すみずみまで非常にくわしく知ること。
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