真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

シルバー・バーチの霊訓(一) アン・ドゥーリー編 近藤千雄訳

 

問「いたいけな幼児が不治の病で苦しむのは何か原因があるのでしょうか。これで神が公正と言えるだろうかと思うことがありますが・・・・。」 

 

答『本来霊的な問題を物的尺度で解決することはできません。地上生活という極めて短い期間の体験で持って永遠を判断することはできません。神の公正は無限の摂理によって支配されており、その全てを小さいひとかけらだけでもって理解することはできません。小さなものが自分より大きいものを理解できるでしょうか。一滴の水が大海を語れるでしょうか。部分が全体を理解できるでしょうか。宇宙はただただ感嘆するばかりの見事な法則によって支配されております。完璧な叡智によって創造されているからです。法則が狂うということは絶対にありません。時に不公平のように思えることがあるのは全体の一部だけを見ているからです。全体が見えるようにになれば考えが変わります。地上にいるかぎり、その短い期間で無限を理解することはできません。埋め合わせ、あるいは応報の原理は人間には理解できません。霊の世界の豊かさ、美しさ、見事さは、それを譬えるべきものが地上に無いのですから、人間には理解する手掛かりがないわけです。宿命的に判断力が制限され、視野が狭められている人間はどうして地上の裏側の世界が理解できましょう。子供の身体は両親の血と肉とでこしられる以上、両親の肉体的要素が全部その子に受け継がれていくに決まっています。ですから、子供は両親の身体的欠陥まで頂戴することになります。しかし、子供は誕生という行為によって宇宙の大霊の一部となるのです。神の遺産、あらゆる物的障害に負けない潜在的神性を宿しております。物質は霊を凌ぐことはできません。物質はあくまでも従者です。霊が主人です。霊的成長はゆっくりとして着実な道程です。霊的感覚と理解力は魂にその用意が出来た時に初めて得られるものです。私たちの説く真理が馬の耳に念仏である人もいます。が、それになんらかの感動を覚えた時、その人はその後に待ち受ける数々の真理を理解していく用意が出来たことを意味します。あたかも神の立場に立って判決を下すようなことをしてはいけません。」   

                       

                                 十章 質問に答える 180p    

 ******************************************************************

備考、

 

部分が全体を判るはずがありません。

霊的感覚と理解力は

魂にその用意が出来た時に初めて得られるものです。

 

        

                                                                      蒼氓。

        

     

  近藤千雄