真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

8.「シルバーバーチの霊訓」の画期的な「善悪観」

 

”善”と”悪”は霊的成長のプロセスにおける相対的な状態

 

シルバーバーチの「善悪観」には、さらに画期的な内容が含まれています。それは善と悪は対立した横の関係としてではなく、「霊的成長」という縦の流れの中で現れる状態として考えることです。従来の善悪観は、善と悪を”対立”という概念で捉えてきました。善と悪を対立する状態と見なし、敵対関係にあるとしてきたのです。その代表が、キリスト教における”神とサタンの対立”キリスト教と反キリスト教の対立”です。キリスト教では、これらを敵対する善悪の問題として考えてきました。

 

しかしシルバーバーチーー「善悪は、霊的成長において現れる相対的な状態にすぎない」と説いてます。そして、「悪とは、人間の未熟性・霊性の低さによって生み出される神の摂理への不一致行為である」としています。したがって、今は、”悪”として現れているもの、霊的成長にともなつて”善”に変化していくことになります。

 

一般的に、利己的で暴力な人間は”悪人”と呼ばれますが、”悪人”とは霊的未熟者さ(霊的成長の低さ)ゆえに摂理に反したマイナス面を表面化させている人間のことなのです。そうして悪人も、霊的成長とともに”善人”に変わっていくようになります霊的成長にともなって悪が善に変化していくようになるのです。今は神の摂理に反した生き方によって自ら霊的成長を妨げている人間(悪人)も、霊的成長につれて神の摂理に一致した生き方をすることができるようになっていきます。

 

一方、現在”善人”と呼ばれている人間も、実際には悪の要素を内在させています。地上人は誰もが、善と悪の要素を併せ持っています。善の行為をしたかと思えば、反対に悪の行為に走るようなこともあります。完全に善一色という人間は、地上世界には存在しません。完璧な善だけの生活を送っている地上人は一人もいないのです。

この事実はーー「善人・悪人と言っても、その基準は相対的である」ということを意味しています。霊的成長のレールの上でトータル的に善性が悪性を上回ったとき善人になるということです。「神の摂理」に一致した面をより多く発揮している人間を、一応”善人”と呼んでいるまでのことです。反対に、今は霊的未熟者から悪の要素をより多く発現している人間を”悪人”と呼んでいることです。そうした悪人も善性を内在させており、それを発揮できるようになれば”善人”に変化していくことになります。

 

このように、善人・悪人という区別は、霊的観点から見れば常に相対的なものなのです。しかしこれまでは、善と悪を決定的に対立するものと考えてきました。特に宗教にはその傾向が強く見られますが、それは間違った認識です。善と悪は、霊的成長という縦の流れの中で発生する相対的な上下関係にすぎません。善と悪は対立する横の関係ではなく、霊的成長のプロセスにおいて現れる相対的な状態のことを意味しているのです。

 

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「生命の旅路は進化です。進歩です。向上を求めての葛藤です。発達・発展・拡大・拡張です。あなた方が善だとか悪だと言っているのは、その旅路における途中の段階の高い低いの善にすぎません。終着点ではありません。あなたがたの判断はその中途の不完全な理解力によって行われているのであって,善だと言ってもその段階での善であり、悪だと言ってもその段階の悪にすぎません。その段階での判断にすぎません。」

 

      シルバーバーチは語る」(スピリチュアリズム普及会)p.122

 

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「(※何が善で何が悪かは)その時点の概念です進化の過程で到達したその段階での

顕現にすぎません。さらに進化すれば捨て去られます。完全な摂理が、正道から外れた媒体を通して顕現しようとしている、その不完全の表現にすぎません。(中略)内部には完全な霊(※ミニチュアの神・神の分霊)を宿していても、媒体を通してそれを完全な形で表現できないだけのことです。人間が”悪”と呼んでいるのは”不完全”のことです。」

 

     「シルバーバーチは語る」(スピリチュアリズム普及会)p128~129

 

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