スピリチュアリズムにおける理性と神の実感の関係
肉体という物質の身体に覆われ霊(魂)が閉じ込められている地上人は、霊界人のように神を実感的に認識することができません。
神の実感と神の理性的理解が同時になされるというようなことは、ほとんどありません。
そうした地上人の神に対する理解は大部分が的外れであり、事実から大きく隔たっています。
多神教の神観は言うまでもなく、キリスト教・イスラム教に代表される一神教の神観でさえも真実と懸け離れています。
地上人は神秘主義宗教を通じて、稀に実感的神認識・神との触れ合いを体験してきましたが、そこから地上人類に共通する神の理性的理解(神観)を導き出すことはできませんでした。
そのため霊界の高級霊たちは、「霊界で認識されている共通の神観を地上に伝える」という方法を選択しました。
霊界人に共通する神観の基本的内容を教え、地上人に神を正しく理解させようということになったのです。
それがスピリチュアリズムによってもたらされた「神に関する霊的真理(スピリチュアリズムの神観)」です
(*その内容は(7)で取り上げます)。
スピリチュアリズムでは霊的真理を通して、地上人に「真実の神の理解(理論的認識)」を促します。基本的な神観が一致しないかぎり、霊界主導の地球人類救済計画を進めることはできないからです。
霊界の高級霊たちが地上人に伝えようとしている霊的真理の中には、神による宇宙支配のシステム・万物維持のシステムに関する内容も含まれています。神の造られたシステムとは「摂理(法則)」のことです。
摂理は神の属性の一つですが、地上人にとって唯一、理性によって神の性質・内容を直接的に確かめることのできるものなのです。理性による神認識が可能となる対象なのです。
このため霊界の高級霊たちは、自然界をはじめ神の造られた世界を支配する「摂理」についての理解を地上人に促します。
自然界の中に神を認識できる事実を繰り返し訴えています。
シルバーバーチは次のように述べています。
「大霊は無限の叡智であり、無限の愛です。我々の理解を超えた存在です。
が、その働きは宇宙の生命活動の中に見い出すことができます。」
『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』
(スピリチュアリズム普及会) p.198
またインペレーターも、同様のことを述べています。
「その姿を拝したことはありません。(中略)しかし拝したことはなくても、我々はその御業を通して奥知れない完璧さをますます認識しています。その力、その叡智、その優しさ、その愛の偉大さを知るばかりなのです。」
『霊訓(完訳・下)』(スピリチュアリズム普及会)第19節 p.30~31
*霊界人と言えども、神のすべてを認識することはできません。
神を実感的に認識することはできても、
神のすべてを認識することはできないのです。
つまり神そのものを直接的に認識することはできないということです。
インペレーターは次のように述べています――
「(地上にいたときより)神への理解が深まりました。しかし神そのものを直接には知ることはできません。
(中略)我々にとっても神は、その働きによって知ることができるのみです」
(『霊訓(完訳・下)』(スピリチュアリズム普及会)第2節 p.38)。
このようにシルバーバーチもインペレーターも、神の真実の姿は、神の摂理の働きの中に見い出すことができるものであることを教えています。
スピリチュアリズムでは、霊界から示された「霊的真理」を通じて神の正しい姿を理解(認識)すると同時に、自然界の中に現れている「摂理」という神の属性を観察することによって
神の一側面を理解(認識)しようとします。スピリチュアリズムは、こうした形で地上人の理性に訴えて、正しい神認識の基礎をつくり上げようとするのです。
それと同時に、「瞑想・祈り」が地上人にとって実感的な神認識に至る方法であることを教え、できるかぎり瞑想・祈りをするように勧めます。
瞑想・祈りを通して神の実感的認識を促そうとしているのです。
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参考、
摂理は神の属性の一つですが、地上人にとって唯一、理性によって神の性質・内容を直接的に確かめることのできるものなのです。
「大霊は無限の叡智であり、無限の愛です。我々の理解を超えた存在です。が、その働きは宇宙の生命活動の中に見い出すことができます。」
『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』
「その姿を拝したことはありません。(中略)しかし拝したことはなくても、我々はその御業を通して奥知れない完璧さをますます認識しています。その力、その叡智、その優しさ、その愛の偉大さを知るばかりなのです。」
『霊訓(完訳・下)』(スピリチュアリズム普及会)第19節 p.30~31
「(地上にいたときより)神への理解が深まりました。しかし神そのものを直接には知ることはできません。
(中略)我々にとっても神は、その働きによって知ることができるのみです」
(『霊訓(完訳・下)』(スピリチュアリズム普及会)第2節 p.38)。