真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

雨ニモマケズ

 

 

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク 決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ クニモサレズ

サウイフモノニ ワタシハナリタイ

 

 

 

 

  法華経、の精神

 

「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲の束ヲ負ヒ」 このように労をいとわず手助けをし、 「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ」 とあるのは

 

法華経』の常不軽菩薩の精神を表していると指摘されています。

なお詩句の最後の箇所は手帳の見開き右のページで終わっており、同じ見開きの左のページに 「南無無辺行菩薩~…」という題目が記されています。

中央の「南無妙法蓮華経」の行は、他の行よりやや字粒が大きくなっています。

 

賢治と法華経 

賢治と法華経 賢治は生涯、法華経の行者でした。

24歳のときに国柱会に入信して、以来、亡くなるまで法華経を説きます。

 

遺言にも『国訳妙法蓮華経』を千部印刷し、周りに頒布するよう書いています。

経の仏意に触れて無上の道に導かれるようにするのが、自分の生涯の仕事だと。

雨ニモマケズ」は法華経の祈りを描いたものだといわれます。

 

 

雨ニモマケズにはモデルがいた? 

 

最近、この詩にはモデルがいたと考えられています。

内村鑑三の最期を看取った唯一の弟子、斎藤宗次郎がその人です。

 

宗次郎は花巻出身。地元の小学校の教師でしたが、キリスト教徒であることを理由に学校を追われます。 退職後は新聞販売を兼ねる書店を経営し、キリスト教の伝道を志しました。

新聞配達のために、雨の日も風の日も大風呂敷を背負って走りました。 配達や集金の際には病人を見舞い、子供達には菓子を分け、貧困の者には小銭を与えました。

出会った人々の悩みに耳を傾け、土地の人に慕われました。

宮沢賢治の父、政次郎が宗次郎と懇意な間柄でした。

賢治も、宗次郎のことを尊敬していました。

若い頃の賢治はよく教会に行っていたと弟の清六はいいます。

賢治とキリスト教の関わりには深いものがあるのです。

 

 

 

  17分50秒       アブラハムが生まれる前から私はいるのです。

                                                                           

 

 ヨハネ福音書          法華経寿量品、

 

 法華経を通して信じられてきた「久遠実成の仏」=永遠の釈迦は影であって、その信仰の実体はイエス・キリストにあった。

 

 

 

 

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46

 

あなたたちは、神が一切の生命であり、この生命は目に見える、或は目には見えないが、完全なる愛であることを学び知るのになぜこんなに長くかかるのだろうかとよくいぶかったりするが、それは、真理を内からではなく外からつかもうとするからである。

 

47

なくなりはしまいかと恐れているものに、何とまあ誰も彼も同じように執着していることか。おのが生命を得んとする者はこれを失い、おのが生命を棄つる者はこれを得る。

 

48

わたしは神我より語る、わたしは常にそうしてきた。わたしの言葉が外側にのみ住む人々にとって奇異に思われたのはそのためである。幾百万もの人々が自由に出入りしてわたしと食事を共にするように常にすべての人々に開かれている。

 

49

ところが悪魔がその道を遮ろうとしている。その悪魔とはすべての者が克服すべき偽我であり感官という悪魔である。

 

50

果敢なき感官のこの迷いのみが真の霊意識の顕現への唯一の障害である。なぜならば天国は常にあなたちの中にあるからである。二千年前も今も変わることなく私は生命である。モーゼとエリヤはわたしの地上への出現より二千年も先立ってはいるが、それはすべての人々に現れているのと同じ生命なのである(故に)

 

わたしはアブラハムより前に実在しているのである。              

 

                                     

                                         心身の神癒

                                                  第二話

 

*****************************************************************************************************     共鳴しています。

わたしはアブラハムより前に実在しているのである。

 

                                                                         心身の神癒。