無智なる者は命なき者を崇拝め、賢明なる者は神の中に生きる。
第11話
25
偶像は人の手によって造られたただの金、銀にすぎない。
26
口はあるが語ることは絶えてなく、目はあっても視ることはできない。
27
耳はあっても聞くことはできない。その中には生命の息ひとつない。
28
無智なる者は命なき者を崇拝め、賢明なる者は神の中に生きる。
29
たとえ偶像が象微として維持されているにせよ、
意識は象微の背後にあるものに気付かねばならない。
何も知らずに偶像を拝むのは無益である。
父の中に生きること、父は自分の中に生きてい給うことを知ることが本当の崇拝である。
30
故にわれわれ自体は自分達が何を崇拝しているのかをよく知ってはいるが、
一般大衆は自分の崇拝しているものが何なのかが分っていない。
故にわたしはあなたたちに云うが、
み霊であり実在である神を崇拝せよ、神はみ霊であり、唯一無二の実在であるからである
わたしと父とは一体である。
31
しかし又わたしはあなたたちに告げるが、
地上の何人も礼拝してはならない、
天にまします御方のみがあなたたちの父であるからである。
32
父はあなたたちの中にある生ける生息、あなたたちの中において
個別化した神の分霊(キリスト)である。
33
神我(キリスト)はすべての人類の中にある神の霊である。わたしは神の愛である。
この霊を知るためには愛である神を敬慕しなければならない。
34
ではいかにして愛なるところのものを敬慕するか。それはーーあなたたちの裡なる最高のものに達することによって、あなたたちを創造り給うた方からあなたたちに流れくる愛を与えることによって、
あなたたちの魂を通じて流れるこの生命と愛の溢れる河を
自覚することによってーーである。
35
自分自身の魂と胸(ハート)とに流れ入る生命と愛との流れを実際に表現す時、あなたたちは神の愛を実感するのである。
悉皆を愛することは神を愛することである。
神はすべてを愛し給う、すべては神の被造物であるからである。
だからこそわたしは、あなたたちの隣人を自分自身のように愛せよというのである。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972
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参考、
悉皆とは、本来文字が示すとおり「ことごとくすべて」という意味です。
奇跡としか言いようがない。感動で、肉体が無くなりそうです。
蒼氓。
父の中に生きること、父は自分の中に生きてい給うことを知ることが本当の崇拝である。
神はみ霊であり、唯一無二の実在であるからである。