知識にも真理にも叡智にも成長にも限界というものがないと悟った時、あなたは真の意味で自由の身になります。
心の奥では間違いであることに気づいていること
理性が拒否していることを思い切ってかなぐり棄てることができた時、あなたは真の自由を獲得します。
新たな真理の光に照らして誤りであることに気づいたものを恐れずに棄て去ることができた時、あなたは自由の身となるのです。
シルバーバーチの霊訓(12)
*******************************************************************
あなたは魂の進化を促進するためにこの物質界に来ている
あなたは個性を築き魂の進化を促進するためにこの物質界に来ているのです
利己主義の道を選べば、それなりの代償を払わないといけません
人道主義の道を選べば、人間的成長という形での報いがあります。
そうしたことはすべて摂理のもとに規制されており、いかに立派な教祖さまでもその働きを変えることはできません。
シルバーバーチの霊訓(12)
*******************************************************************
参考、
次に、
理性で己を制限することなかれ。の段階に行くのか。
蒼氓。
五感(感官)からの理性にどれほどの信用性があるのか?
理性で、真理を制限できるのか?
一つの常識的な、基本的な指標なのか。
感官という悪魔。
心身の神癒より。
***************************************
追悼
死後の世界を信じて、八十年以上を生きてきた
若い頃パスカルに触発されて私はクリスチャンになりました。そして思考を重ねてきていますが、日本の神様とも矛盾を感じません。仏教の高僧をも心から尊敬しています。
私は、神は存在するし、霊魂も存在し、死後の世界も存在するほうへ賭けたのです。
以来、今に至るまで、以上のようなさまざまなことを考えながら、八十年以上を生きてきました。
人は老いて死に、肉体は亡びても、
魂は存在するのか? 218p
渡部昇一著
若いころ物凄いご苦労をされた話を知り、感銘をうけました。 蒼氓。
*****************************************************************************************************
渡部昇一の名言・ 苦悩が偉大な人物を作る
真珠貝は貝殻の内側に入った砂屑が痛いため、それを包む成分を出しているうちに真珠を作り、詩人は自分の心の痛みを素として詩を作るという、貝にとっては、貝屑は異物である。それが貝にとっては違和感なのだろう。しかしそれが素となって美しい真珠が貝殻の内側に形成されるのである。
人の心も同じだ。強烈な違和感が偉大なる人物をつくる素になるのである。
日本の英文学者、評論家。上智大学名誉教授、ドイツ・ヴェストファーレン・ヴェルヘルム大学名誉博士。専攻の英語文法史だけではなく、政治、近代史、経済や仕事術についての多数書籍を執筆。
2017年4月17日(満86歳没)あの世へ戻られました。
******************************************************************* 渡部昇一「マーフィーの成功法則」
新世紀歓談、明治の億万長者、本多静六、ほか多数で勉強させてもらいました。
知の巨人、蔵書数15万冊以上。まさしく知の巨人です。
新世紀歓談では、和服も良くお似合いでした。時の流れを感じます、 蒼氓。
渡部昇一
人物情報 | |
---|---|
別名 | 大島淳一 |
生誕 | 1930年10月15日 日本・山形県鶴岡市 |
死没 | 2017年4月17日(86歳没) 日本・東京都杉並区 |
出身校 | 上智大学 ミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)大学院 |
配偶者 | 渡部迪子(ピアニスト) |
子供 | 長女:早藤眞子(オルガニスト) 長男:渡部玄一(チェリスト) 二男:渡部基一(ヴァイオリニスト) |
学問 | |
研究分野 | 英語文法史 |
主要な作品 | 『英文法史』 『英語学史』 『イギリス国学史』 『知的生活の方法』 |
渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日[1])は、日本の英語学者、哲学者。歴史論・政治・教育・社会評論家。上智大学名誉教授。
専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員[2]。
略歴[編集]
山形県鶴岡市出身。旧制山形県立鶴岡中学校在学中に学制改革が実施され、山形県立鶴岡第一高等学校(現山形県立鶴岡南高等学校)を卒業(1949年〈昭和24年〉)。なお同校は新制高等学校であるが、渡部は「私にとっての友達をつくる上で一番よかった時代は、やはり旧制高校に通っていたときだと思う」「旧制高校には各地域から選ばれた優秀な人間が集まってきていたので、周りを見渡せば『すごい』と思える人間ばかりだった」と回顧している[3]。
同年、上智大学文学部英文学科に入学。1955年、上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了、同科助手。同年、ドイツのヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学(通称ミュンスター大学)に留学。1958年、同大学よりDr.Phil (哲学博士号) を受ける。1958年、イギリス・オックスフォード大学ジーザス・カレッジ寄託研究生。
1960年上智大学英文科講師、助教授を経て教授。助教授の頃、フルブライト・ヘイズ法(旧フルブライト・プログラム。法制化された)によるアジアからの訪問教授プラン(VAPP)によって渡米、4つの州の6つの大学で半学期ずつ講義を行う[4]。1994年、ミュンスター大学名誉哲学博士(Dr.Phil. h.c.)。2001年、退職、上智大学より名誉教授の称号を受ける。
古書の蒐集家であり、専門の英語学関係の洋書だけで約一万点を所有。その蔵書目録はA4判600ページあり[5]、日本ビブリオフィル会長を務めた。
他に主な役職としては、インド親善協会理事長、日本財団理事、グレイトブリテン・ササカワ財団(在イギリス日本財団)理事、野間教育財団理事、イオングループ環境財団評議員、エンゼル財団理事、「日本教育再生機構」顧問、「道徳教育をすすめる有識者の会」代表世話人[6]。
2017年4月17日、心不全により東京都杉並区の病院で死去、享年86[1]。
受賞・栄典[編集]
- 1958年(昭和33年) - ミュンスター大学で英文法の歴史を研究、ドイツ語で著した学位論文は現地で出版され、英語にも翻訳された。日本語版は『英文法史』として研究社から1965年に刊行された(絶版)。授与された学位は "Dr. phil. magna cum laude"「大なる称賛を以って 博士号」である(因みにこれはラテン語)[7]。
- 1976年(昭和51年) -『腐敗の時代』で第24回日本エッセイスト・クラブ賞受賞[8]。
- 1985年(昭和60年) - 第1回正論大賞受賞[8]。
- 1994年(平成6年) - ミュンスター大学から名誉哲学博士(Dr.Phil.h.c.)授与
- 2015年(平成27年)春 - 瑞宝中綬章受章[8]。
評論活動[編集]
専門の英語学以外にも歴史論、政治・社会評論を著している。1976年刊の『知的生活の方法』は、内面の充実を求める生活のさまざまなヒントとアイデアを示しベストセラーとなった[9]。歴史学を専門としたことはなく、「単に歴史を好んできた人間」であると自称する[10]。
政治・歴史に関する評論については、保守系オピニオン誌である『正論』や『諸君!』『WiLL』『voice』『致知』など保守派寄りのメディアへの寄稿が多い。