真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

8.「シルバーバーチの霊訓」の画期的な「善悪観」

 

「善悪観」と宗教

 

 人生を論じるうえで重要なテーマとなるのが、善と悪の問題です。何を善とし何を悪とするかという善悪についての考え方や見解が「善悪観」です。シルバーバーチは人類に、画期的な「善悪観」をもたらしました。「正しい生き方とは何か?」を知ることは、人生観の重要な内容です。善と悪の見解が明らかでなければ「正しく生きよ、間違った人生を送るな」と言っても掛け声だけで終わってしまいます。このように「善悪観」と「人生観」は表裏一体の関係にあります。

 

宗教にとっても、思想・哲学にとっても、道徳にとっても「善悪観」は中核をなす重要なテーマであるにもかかわらず、現在に至っても明確な結論は出ていません。人類共通の善悪観は、いまだに確立されていません。それぞれが、思い思いの見解を示すにとどまっています。

多くの宗教では”善”の根拠を「神」においていますそして「神=善」「神の教えに忠実な生き方=善なる行為」と説きます。それと同時に神への反対勢力・悪の勢力としてのサタン(悪魔)魔王や悪霊などを設定し、それによって善と悪との間に明瞭な線引きをします。こうして「神=善」←→「サタン(悪魔)=悪」という対立の構図ができ上がることになります。その代表がキリスト教イスラム教の一神教の宗教です。これらの宗教では、善と悪の問題を「神とサタン(悪魔)の対立」という構図のもとで考えてきました。シルバーバーチに代表されるスピリチュアリズムでは、霊的事実に基づいて、神とサタンに関連づけた従来の宗教の善悪観を完全に否定します。「神とサタンの対立」などというものは、霊界にも地上界にも存在しないからです。

 

”善”の絶対基準を「神」におく考え方には、合理性と正当性があります。ところが実際には、多くの宗教では神を”宗教的組織”とすり替え、自分たちの宗教の教義が善なる教えであり、それを実践することが正しい生き方・正しい人生と説きます。自分たち教団の教えだけが正しいものとし、その教えに忠実に従うことが神の意思に適った善なる生き方であると主張します。組織拡大の為に貢献することが神に貢献することであるとし勝手に善の基準を”宗教組織(教団)”に置き換えてしまうのです。そして「神=自分たちの宗教=善」という構図のもとで教団の教えを強制し、人々を洗脳します。このようにして地上の宗教によって人工的な善悪観が形成され、人々の”魂”は束縛されることになりました。

善と悪の基準は、宗教によって、また宗派によって異なります。この善悪観の違いが、しばしば醜い争いを引き起こしてきました。善悪観は、宗教によって異なるばかりでなく、時代によっても変化します、親子の間においても善悪の基準が異なり、世代間での断絶が引き起こされています。かつては”善”とされていたものが、時代が変わると”悪”となることもよくあります。また一つの社会での”善”が他の社会では”悪”となることもあるのです。このように善悪の基準は、人間によって次々と変化してきました。

 

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