第1話
74
あなたたちは自分達の物質的感官世界で、善にも悪にも同じ力があるようにみせかけてしまっている。しかし、これは人間的感覚による理づけであって実在の真理ではないのである。
75
神には善とか悪とかいうものはなく神は今の今完全無欠に現れてい給う。もしあなたたちが偏在し給う神が善であるといい乍ら悪もまた存在するというのであれば、あなたたちの理論は間違っているーー偏在する善の中にいかにして悪が存在しえようか。
76
考え違いが、悪の存在を信じ込ませるのである理屈を立てずに、神の愛があなたたちを通して現れるに任せよ。そうすれば恐れを抱かしめるもの、真実の表現を妨げるものは本来の無となって解消し去るだろう。よく考えてみるがよい、
そうすれば恐れと悪とが造り出されているのは実は自分の心の中であることが分かるであろう。
なぜならばそれは偏在している神の中には存在しないし、又存在しえないからである。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972
***************************************
参考、
へん‐ざい【遍在】 [名](スル)広くあちこちにゆきわたって存在すること。
****************************************************************************************************
参考動画。
全ては一つ 一元論(悟り)二元論迷い。
****************************************************************************************************
参考、
分かりやすく尊徳先生が言ってます。
本来からいえば、(天地自然には)善も悪もない。
善といって分けるから悪というものができるのだ。
善悪は人間の考えからできたもので、人道上のものだ。
だから人がなければ善悪はない。
人があって後に善悪があるのだ。
(人にとっては→荒野を拓く=善、田畑を荒らす=悪。猪・鹿にとっては→人の逆。 世間から見ると→盗み=悪、盗人仲間から見ると→盗み=善) 善悪も遠近も人が相対的に決めること、
禍福、吉凶、是非、得失みなこれに同じ。 すべてはひとつの事象をいかに受け止めるか。 もともと一つであるものを半分善とすれば、半分は悪である。
それなのにその半分に悪がないことを願うのは不可能なことを願っている。
人が生まれたのを喜べば、死の悲しみもついて離れない。
(花→散る、草→枯れる、功徳天・黒闇天一体論) 天地自然には本来善悪はないという意味とは
二宮尊徳翁の言行録 12