46
これまでのあなたたちの心は外からの誤った考えを詰め込まれ、かくて聖なる内奥、即、唯一の実在を閉ざしていたのである。
47
あなたたちが他人の云うことを闇雲に信じたり、他人の信じていることを丸呑みすれば、模倣者にはなっても考える人にはなれない、従ってあなたたちは束縛されているのである。
48
像を拝めばもはや自主的に考える力を失っており、自分の拝んでいるものが自分の思考を破壊する。
なぜならば、その人は無智の中に迷い、
自己の裡に宿る唯一無二の生ける神という真理を見ることができないからである。
49
あなたたちは気づいていないが、わたしからの、そしてお互い同志の、
更にまた
神からの分離間がこれまでのあなたたちの大きな敵なのである。
50
これまで多くの人達がーー人間は神の外にいるのであって、その中に入るには何か或る(特別の)のことをしなければならない、とあなたたちを信じ込ませてきた。
しかし、わたしはあなたたちに告げるが、あなたたちは既に神の家の中に居るのである。
あなたたちはこの真理に目覚めなければならないのである。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972
著者マード・マクドナルドベイン氏
素晴らしい、メッセージ有難うございます。
感謝、感謝、感謝。
続・太陽の神人 黒住宗忠
宗忠さまの御逸話の中に門人方との歌問答をされたお話が数話ありますので、その内の数話を今回から紹介したいと思います。
まずは、嘉永2年(1849)に入門された「野々上帯刀 高弟」との御逸話です。
野々上先生は、宗忠さまと同じく神職の家に生まれ、相当学問もあり、見識も世にすぐれた人であったと伝わっています。
また、和歌を嗜まれていたようで、正岡子規に「万葉集以来唯一の歌人」と評された平賀元義(1800-1865)の門人でもありました。
ですから、宗忠さまともさぞやお道について詠じられたことだと拝察します。
ある日、野々上先生は宗忠さまのご自宅に伺われた時に、
我ながらわが身尊し千早ぶる 神となるべきものと思えば という、歌を詠まれて
宗忠さまにご覧いただいたところ、宗忠さまは右の御手でお膝をたたきつつ、
「野々上さん、なるんじゃない、なるんじゃない!」
と仰せになられたそうです。
野々上先生は、すぐに宗忠さまが発せられたその言葉の深義を理解されて、あらためて・・・
我ながらわが身尊し千早ぶる
神と同じきものと思えば
と訂正され書き直された歌を宗忠さまにお目にかけられると、宗忠さまも我が意を得たりとばかりに、格別にニッコリとお笑いお喜びになられて、
「そうです! 道の極意はここです!!」
と仰せになられて、
ご自身も次の御歌を詠まれたと伝わっています。
千早ぶる神と人とはへだてなし すぐに神ぞと思ううれしさ
『我が本心は天照大御神の分心なれば、心の神を大事に仕り候えば、これぞまことの心なり。』
黒住宗忠
宗忠神社
光の道、鳥居。