真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

お勧め図書  太陽の神人 黒住宗忠  山田雅晴著 渾身の書       一部抜粋   冬至の太陽を拝して「天命直授」を得る

それは文化十一年十一月十一日、冬至の朝のことであった。

宗忠は早朝に床を離れお湯を浴びて体をきれいに清め、神職の衣冠をまとい、静かに日の出を待っていた。

家人をはじめ、親友の小野栄三郎も彼の後ろに座していた。やがて東方の空に、太陽はゆっくりと荘厳な姿をあらわした。

その日の朝の太陽の美さは格別で、宗忠をはじめ人々は思はずひれ伏した。やがて静かに頭をあげた宗忠は柏手を打ち、我を忘れて一心不乱に祈った。

 

そして、お日さまの神気を、胸を開いて丸ごと呑み込もうと思った。その瞬間である。

彼の口から、日の神の陽気エネルギーの塊が、彗星のようにドーンと彼の体内にはいったのだ。

 

「太陽」が身体全体に満ちわたったとでもいうのか、胸に響きわたったのであった。彼の全身は太陽のコロナのような霊気に包まれ、その霊気を帯びた彼のオーラは、太陽のごとく大いなる白光をあたりに放射した。

宗忠は直観した。

「ああ、自分は今まさに天照太神さまと同魂同体となった!わが長年の念願はここに成就した」宗忠はたとえようのない感動と喜びに包まれていた。

その時の心は、「笛を吹き糸をしらべ、鉦をたたき鼓を鳴らして歌い舞うとも及びがたい」というほどの、うれしさと楽しさに満ちあふれたものだった。

宗忠はこの時に、「天地生々の霊機(いきもの)を自得したのである。

まさに、人間は大天地と一体であって、永久に生きつずける生命体そのものであると自覚したのだった。この神秘体験のことを

「天命直授」という。

 

冬至の日に生まれた彼にとっては、文化十一年(1814年)のこの日はまさしく三十五才の誕生日にあたった。

 

しかも年月日に「一」が続いているが、「一」は始め(根源)、つまり「根源の神・統一の神」という意味と解せられる。誕生日が子年だったことといい、彼にはいつも「最初(さきがけ)」という意味がついてまわる。

 

弘法大師空海は、四国の室戸岬の洞窟で「明けの明星(金星)」を呑み込むという神秘体験をしたが、宗忠は「太陽」という根源の霊気(太陽)を呑み込んだのである。

 

ここに、神人一体の境位が大きく開けたのであった。

 

そして、宗忠は多くの人々から不世出の神人と讃えられ、それ以降の神道家や宗教家の思想に多大な影響を与えることになる。

 

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 備考、

文化11年11月11日(旧暦)、古来「一陽来複」と呼ばれる冬至の日に昇る朝日に格別の思いで祈りを捧げていると、宗忠は全ての命の親神である天照大御神と神人一体になり、悟りの境地に立ちました黒住教ではこのことを「天命直授」(てんめいじきじゅ)と称して、黒住教立教の時としています。

以来、宗忠は世の中の苦しむ人や助けを求める人のために昼夜を問わず祈り、教え導き、多くの人から生き神と称えられた。すでに神仕えの身であったこともあって自然な姿で回りから神と仰がれました。

 

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冬至の日に記すことが、できることに感謝申し上げます。 偉大な神人、黒住宗忠。柏手合掌。