いわゆる行者の中で人格的にもすばらしい人となると、なかなか少ない。なぜかというと、それらの言霊や手印をいくら行じても、その人の信仰が深まるわけでも心が成長するわけでもないからである。それは、あくまでも”能力”にすぎず、能力と人格とは必ずしも一致するものではない。
宗忠にとっては、「病の治るを”いろは”として、次第に誠の道に入らしむる」
多くの病人をマジナイによって治すということは、最初の「いろは」、すなわち誠の道、「生き通し」へのきっかけに過ぎない。病気になる原因はその人の心や生活習慣の中にあり、それを反省し、今後に生かすことこそが最も大切なのである。つまり、心が直ることによって、ついでに病気が治るというのである。「病は道の入り口、災難は道の元入れなり」つまり、病気が治るそれ自体よりも、病気が治してもらったことを入り口として、人々が喜び楽しみの道である”神ながらの道”に入ることこそが、宗忠にとっては大切なことであったのだ。
なお、ここで宗忠の生命哲学のキーワードとなる「生と通し」という言葉の意味について説明しておこう。
人間は本来、大生命である天照太神のご分身を宿した存在であるから、天照太神と同じように死ぬことのない永遠の生命である。そして、太神のご分心であるとはっきりと自覚することにより、単に死んでからも生き続けるだけでなく、生も死も超えてイキイキと前向きに一瞬一瞬を生き切ることができ、それによって充実した人生をい生きることができるのである。
つまり、日本人は古代から「お天道様にはずかしくないように生きる」ということを道徳観の基本にしたが、彼はさらに”生き通し”という言葉を使うことによって、その道徳館により深く、より積極的な意味をもたせたのである。
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備考、驚くことに、この思想はスピリチュアルヒーリング、スピリチュアルリズムと同じ考えであるのです。
天照太神=大霊 誠の道=真理
いかがです、スピリチュアリズムと同じ考えなのです。
イエス・キリスト=類魂=黒住宗忠
私見ですが管理人。
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