招待客が友人からの質問として「悲しい命日は心の痛みを呼び覚ますだけだから愚かで無意味だという考えはいかがでしょうか」、と述べそれに自分の考えとしてこう付けくわえた。
ーーいまさらどうしょうもないことは分かっているのに年に一回、心の痛みを思い出すのは間違いだと思います。
「その質問者のいう”悲しい命日”とは何のことでしょうか」
-ー故人が亡くなった日です、その日に何もしたがらない人がいます。改めて悲しい思いをしたくないのだと思います。
「誰にとって悲しいのでしょうか」
ーーその人を失った家族です。亡くなった本人ではありません。私はあなたのお考えに同感です。亡くなった人を悲しむのは一種の利己主義だと思います。
「一種の自己憐憫の情です。自分自身の哀れみであり、愛するものを失ったことを嘆いているのです。
苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。もちろん地上生活が利己的すぎたために死後もあい変わらず物質界につながれている人(自縛霊)がいますが、それは少数派に属します。
大部分の人にとって死は牢からの解放です。新しく発見した自由の中で、潜在する霊的資質を発揮する手段を見出します。無知の暗闇でわなく。知識の陽光の中で生きることが出来るようになるのです。
過ぎ去った日々の中に悲しい命日をもうけて故人を思い出すとおっしゃいますが、いったい何のために思いだすのでしょう。そんなことをしてその霊にとってどんな良いことがあるのでしょうか。何一つありません!過ぎ去ったことをくどくどと思い起こすのは良くありません。
それよりも一日一日を一度きりのものとして大切に生き、毎朝を霊的に成長する好機の到来を告げるものとして、希望に夢をふくらませて迎えることです。それが叡智の道です」
訳者注ーー”シルバーバーチは語る”と題されたカセットテープの中で司会者が「ルドルフ・シュタイナーの一派では死者に向かってリーディング(仏教でいう”読経”で読心術ではない)をするのですが、何らかの効用はあるのでしょうか」と質問したのに対してシルバーバーチは「害もありませんが、さして薬になるとも思いません。
こちらはこちらで救済のための施設がたくさん用意されています」と述べている。
たしかにたとえば「ベールの彼方の生活」を読むと高級霊団が地上各地から地縛霊を大勢救出されて戻ってくる一行を描写しているところがある。国籍が入り混じって服装もさまざまで、救出された者どうしがキョロキョと互いの服装を見くらべて 不思議そうな顔をするユーモアあふれる場面もある。
そのほか慰安や看護の施設も何度か出てくる,その観点から言うとシルバーバーチの言う通りなのであるが私は日本人特有の問題として、供養とか戒名とか院号とかにまつわる日本的しきたりにあ余りこだわった地上生活を送った人の中には,向こうえ行ってからも自分もそうしてもらわないと気が済まないーーいわゆる”成仏”できない霊がいて霊界の主導霊を手こずらしていることが多いことは事実として認めざろう得ないように思う。この手の地縛霊はけして少数派とはい言えない。そういう霊は言わば”わからず屋”なのであるから、そのわがままをある程度聞いてやる必要があるので、それは地上の人間の協力を要する問題となってくる。
ただしシルバーバーチはつねに永遠の時を念頭において説いていることを忘れてはならない、人間が余計な心配しなくてもいつかは霊界のほうで何とかします、という意味に解釈すべきであろう。
シルバーバーチの霊訓(8)
******************************************************************