真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

第十三話 57~62 わたしの弟子たちでさえ、わたしが彼らの前に再び現れてみせるまでは、十分には悟らなかったのである。

 

 

57

わたしの弟子たちでさえ、わたしが彼らの前に再び現れてみせるまでは、十分には悟らなかったのである。

 

 

 

 

58

久遠なる、神の分霊(キリスト)は永遠に生きる。しかし彼ら弟子たちはその事を十分には悟らなかったのである。

 

 

 

59

今でさえ、ここに集まっているあなたたちの中には、あなたたちに話しているのがわたし(イエス)であることをよくは知っていない人々が多い。

 

 

60

トマス又(死刑後出現したのがわたしであることを)信じなかった。彼もわたしの両手両足を見たがり、わたしの脇腹に手をつっこんでみて始めて信じたのである(ヨハネ伝20章24節以下)。

 

 

トマスの疑い - キリスト教の問題点について考える

 

61

わたしの弟子一同が集り、トマスも一緒だったのは(はりつけの)八日後だった。わたしはトマスの手を取ってわたしの脇腹に入れ、わたしの両手と両足を見せた。トマスは(それに)圧倒されて、わが主、わが神よ」と叫んだのである。

 

 

62

死という体験の後でも人は依然として生きていることを知って彼は圧倒されたのである。

 

 

 

このことの中にあらゆるものに内在する力の秘密はあるのに、それを完全に理解しうる者は僅少にすぎない。

 

 

 

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参考、 

 

 

 

僅少(きんしょう)=ほんの少し。 

 

 

 

たったこれだけの文章で私は奇跡を見たような気持ちになりました・・・

瞳から、宝石のような愛の涙が自然にこぼれていました。

 

 

                          蒼氓。

 

 

 

 

you were There   あなたがいたから↓

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聖書(ヨハネ福音書20章) 24

 

十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

 

25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。

しかし、トマスは彼らに

 

「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。

 

26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。

 

 

27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

 

28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

 

29 イエスは彼に言われた。

 

あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。

 

 

 

 

 これ以上、ありません。

 

 

 

                                                                                                              蒼氓。

 

 

     

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