11
書物や言葉や文字など、すべてそれ自身としての価値はゼロである。み霊が(その人の)想念を不可視のものに繋ぎ、かくて五官の世界を貫き通す手段としての言葉を用いた時始めてそれらのものに価値が生ずるのである。
12
かくして言葉は大いなる値の真珠を内に秘めている外側の殻にすぎない。あなたたちが或る言葉を自分の心の中に取り入れて、例えば『神我』『わたしは生命である』という言葉を口に出して云うならば、その言葉は一応肉体の器管を通して出るのではあるが、それを(肉体、器管を使用しての単なる物理的振動現象に終わらせることなく)
久遠常在の霊的状態に高めることができるのである。
13
従って、いわゆる聖なる書を読む際、あなたたちは(聖書にある)言葉を使用してそれを高めることができるのである。五官の目で見、五官の心を通して読むのであるが、本有(先天的にもっている)のみ霊の力によって、それらの言葉を肉我の理解を絶した或る霊的状態に高めるようになる。
14
聖書は生命の法則を教え、生命の法則を正しく用いさせるために、み霊の導きにより天啓によって書かれたものである。
15
その故にわたしは法則をこぼつために来たのではなく、法則を満たし、それが人間の肉体にあらわれるのを示し、
子の中に生き子を通して御自身を現し給う無限なる父の栄光を神我が肉の身に顕現し得ることを証しするために来たのである。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972