真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

「スウェデンボルグの霊界からの手記」 私は生きながら死後の世界を見てきた エマニュエル・スウェデンボルグ 今村光一抄訳・編

 

   地面の裂け目から出現した絵巻物の秘密

 

若い霊がと年寄りの霊に、霊界のはるか彼方にあるといわれている金色の淵について話している。「その淵は、あまりに遠きにあり、そのためその淵を訪ねた霊で、いまだ帰りきたる者なしという。そのわけは帰りの途を見失うからとも、また、その淵はほかの世界への通路だともいう」この金色の淵とは霊界での有名な淵だが、じつはなかば伝説的なものだ。そして、その淵(それは海岸の高い岩壁でとりかこまれたとこにあるという)は金色の波が寄せては返していて見た眼には如何にも美しいが、一度引き込まれたら絶対に逃げられない渦が渦巻いており、また淵のあたりには霊たちを知らないあいだに渦の中に誘い込む、誘いの風が怪しげに吹きわたっているともいわれている。

 

若い霊の話は続くーーー。「淵より帰りたる唯一の霊といわれる霊が、唯ひとりあり、その霊は、ここより数千億キロメートル離れたる団体にあり、われかつて彼を訪ね金色の淵に話を聞けることあり・・・」年寄りの霊ーーーといってもじつは若い霊より霊界の経験は浅く、つい数日前に霊界にはいったばかりの霊だから、数百年前に霊界に入っている若い霊よりも、じつは霊界では”若い”のだがーーー

 

この初めて聞く話に熱心に聞き入っていた。だが、しばらくするうちに、この年寄りの霊は話を聞きながら、どうも自分の注意が話の内容以外のなにかほかのものに引きつけられていくような気がし始めてきた・・・そして、そのほかのものがなにであるかが少しずつ彼にもわかり始めてきた。それは、話の内容とは無関係に起こるらしかったが、若者の霊の話をするときの口調の中に一種の諧調がたえず微妙な変化や抑揚をくり返しながら続いていることであった。彼は、それに気がつくと、あとは先輩の霊(霊界では年寄りの霊より数百年も前に霊となっていたこの若者は先輩なのだ)の教える話の中身は二の次にして、その諧調、リズムにばかり注意を払って聞いていた。言葉の中のリズムは高くなったり低くなったり、また強くなったり弱くなったりしたが、その高低、強弱の幅の中でもさまざまに変化し、また、これに応じて色合いもついているように思われた。そのうち年寄りの霊は、もうひとつのことにも気がついた。それは、言葉の”声”の中に現れるごとく小さな諧調の変化とは別に、言葉そのものの配列と音節のつなぎ方の中に何かがあらわれていくように思われたことだ。また、音節のうちでもウ、オといった音のひんぱんにでてくるときとイ、ア、といった音のでてくるように聞こえるふたつの場合があることであった。年寄りの霊はすっかり、このふたつのこと、つまり言葉の諧調と配列、音節のつなぎ方などに気をとられて、青年の霊の話の内容は、なかばそっちのけにしてしまった。確かに、この中にはなにかの意味が隠れている!年寄りの霊のそんな感じは次第に強くなっていった。だが、つぎに起こった事態は、彼のこのような瞑想めいた思いを一挙に吹き飛ばす驚きを彼に与えた。    

 

 

以後次回に続く。↓


 

                      

備考、

もう何年も前に読んだほんだが、この本は新たな発見がある。この原書である、「霊界著述」は、日本語にすれば数万ページに及ぶ膨大なものである。しかし、本書は、その膨大な量の中から、エキスだけ抽出し簡潔にまとめている。霊界の宣伝マン、丹波哲郎氏は、特筆するに値する大傑作といわれている。本章は霊界研究のバイブルであるとも。この言葉が、最近解かったような気がする。翻訳された、今は霊界にいる。今村光一氏に感謝の念をおくりたい   

                                                                                 蒼氓。

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