東洋の「天命」という言葉は、私の立場から言っても深い真理を表した言葉である。人間の寿命は天が決めているものだからだ。幼くして死ぬ者もいれば、百歳近い長寿を保つ者もあるが、これはすべて天の定めるところなのだ。
私は常に「人間は天国の種子だ」と言っている(もちろん地獄の種子でしかない人もいる)。それは、人は死してのち天国にいたる可能性を宿した存在だからだ。そして、そのためには、この種子は人間である間(天の理の定めた寿命の続く間)は、人間として自らの種子を育て、死してのちは天国に至る樹木として成長しなければならないようになっている。
この観点からも、人は天命をまっとうしなければならない。そのためには、その間は死の世界との直接の接触はしないほうがいいことになっている。
人間には普通、自分の寿命などわからない。しかし、「天の理」にはわかっている。寿命は、霊の世界にあるそれぞれの人間の“戸籍簿”に登録されているようなものなのだ。
このように、あの世とこの世はつながったひとつの世界なのだが、「天の理」は世界をそのようにつくりながら、一方ではそのことを人間にはわかりにくくしている。そして、ここに「天の理」の二段構え、三段構えの知恵が隠されている。 「天の理」の測りがたい知恵のことを知らないと、霊の世界のことは正確には理解しにくい。しかし「天の理」なるものが、この世もあの世も含めた全世界をつくっている根本原理だということだけは忘れないでほしい。
エマニュエル・スウェデンボルグの 霊界 ―― Ⅱ
人間は、霊界に支配されている
E・スウェデンボルグ・著 今村光一・訳
中央アート出版社 2000年刊