真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

霊的真理の実践こそが、スピリチュアリストの真価を決定する、  抜粋

 

 

シルバーバーチもインペレーターも行為の重要性を強調します。

 

シルバーバーチは次のように述べています

 

「大切なのは行いです。行為です。つまり各人の毎日の生活そのものです」

 「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がおります。霊格の高さは信仰の多寡(たか)で測れるものではありません。行為によって測るべきです」

 

要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人の為に尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。

大切なのはそれだけです。

知識は無いより有った方がましです。が、その人の価値はは毎日をどう生きたかに尽きます

(以上「シルバーバーチの霊訓(3)p71、「シルバーバーチの霊訓」(6)p27

シルバーバーチの霊訓」(4)p140)

 

インペレーターはーー我々は信条にはさしてこだわりません。それよりも我々は行為を重要視します。

何を信じていたかは問いません何を為したかを問います。(中略)言葉より行いに、口先だけの告白よりも普段の業績に目を向けるのです

「我々の説く宗教は、行為と習性の宗教であり・・・

(「霊訓完訳・下」スピリチュアリズム普及会)p40)と言っています。

 

もしスピリチュアリズムに導かれながらも、依然としてスピリチュアリズムを単なる研究に終始していたり、真理は真理、日常生活は、日常生活で別物と考えているならば、霊界の導きを裏切ることになります。いつまでも知識の収集や、無意味な学集会、言葉の遊びや哲学ごっこをしていてはなりません。

私たちの意識が常に「霊的成長と奉仕・伝道」に向けられていないとしたら、スピリチュアリストとは言えないのです。

 

卒直に言って、シルバーバーチを読んでいるといいながら、霊的真理と全く無関係な歩みをしている人を見かけます。この世の人間と同じように、煩悩のままに流され傲慢になり、謙虚さとはほど遠い人がいるのです。内面的な努力をすることさえ忘れてしまっているような、情けない自称スピリチュアリストに出会うこともあります。

 

          スピリチュアリズム・ニューズレター バックナンバー11号抜粋。

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 「霊的真理は単なる知識として記憶しているだけでは、理解したことになりません。

実生活の場で真剣に体験して、はじめてそれを理解するための魂の準備が出来上がります。

 

             シルバーバーチの霊訓(一)p63

 

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「霊的真理は、これを日常生活に活用すれば、不安や悩み、不和、憎しみ、病気、利己主義、うぬぼれ等々追い払い、地上に本物の霊的同胞精神に基ずく平和を確立することでしょう。霊的真理を一つでも多く理解してゆくことが、あなた方の魂と霊的身体を霊界からのエネルギーを受けやすい体質にしてゆきます。」

 

 

             シルバーバーチの霊訓(一)p97

 

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