第1話
50
霊的ななるものの中に生きることは実在の中に生きることである、それも衝動的にではなく、又、(自己限定もせず、他より)限定もされずに(生きること)である
無限の中にどうして時間や空間のある筈があろう。
神のましまさぬ処といってはないのであるから、あらゆる空間をみたしている神の心の中にあなたたちは生きていることを知るがよい。
51
あなたたち自身が久遠に実在し常住する神の分霊、すなわち神の心の裡なる、生かしかつ創造する力であることを真に知るならば、
時間や空間などある筈がないのである。
52
あなたたちは時間も空間もない状態に到達し、自分の魂の中に宿り給うあなたたちの主なる神の完全さの中に入ることができるのである。
主こそ、およそ実在する唯一の力である。iam(神我)(4)は主(the Lord)である。
心身の神癒 : 主、再び語り給う M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972
↓参考
訳者註4
神学者の説によれば、旧約聖書時代の神ヤーウェー(Yahaweh)という聖名の意味を示す定句ではあるが、その意味する処は、厳密ににいえば不明瞭であるという。
その全文は I am that(又はwhat) I am. とされ、ヤーウェーの原義は(存在すること、推移させること。或は又、在らんとする者)であり、神自身が自らを称する時は Iam.或はIwill be. という。「能動的、自己顕現する存在者」(active and self-manifesting Existence)とする解釈(新教出版社、聖書大辞典、310頁が真実義に近いと思われる。
その真実義は Good I am (吾神なり)の略、このGod(神)には、超越不普遍神(インド宗教哲学にいうブラフマン「梵」と内在神(仝上アートマン)の二義があり、
本書でも強調されているのはこの内在神としての I AM.である。
ギリシャ化した古代ユダヤ人は神聖な神の御名の代わりにギリシャ語 KUPLOS (主)と書き、これが、新約聖書において確立され、その英訳が Christ であるという。これに定冠詞のついた the Christ は
本書にあっては、 イエス自らが、各人に内在する主(神)の意味であることを、くり返しくり返し強調し、宣言しておられる。
****************************************************************************************************備考、
まさに、奇跡である。