68
施しをしても自分の善事をトランペットを鳴らして吹聴してはならぬ。
むしろ右の手のしたことを左の手に知らさぬことである。
69
なぜならば、心(ハート)の底から為(し)たことは何であれ、あなたたちの父はそれを知り給い、豊かに報い給うからである。
70
天にましますあなたたちの父に祈る時は、外部に心を逸らす感官の扉を閉めて天に入らなければならない。
75
弟子は幾度許したらよいか、七度か、とペテロは聞いた。(その時の)わたしの言葉は七度の七十度(たび)であったことが(聖書に)録されているではないか。それは永遠の赦しを意味する。天にましますあなたたちの父は、あなたたちが赦しを求めたその瞬間に、み胸の中であなたたちを赦してい給うのである。あなたたちも又そうでなければならぬ。
76
父はあなたたちの胸の中にあるものを知り給い、あなたたちの必要とするものを知り給うからである。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972
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参考、
自我の施し(善事)、なすべからず。真我(神我)の施しをなすべし。
心の中に咲く花は弥陀より外に知る人はなし。
山崎弁栄 聖者。