ある日、記者から宗教についての見解を求められたアインシュタインは、
「ここのにコーヒーカップをここに置いた人は、誰か分かりますか?」と問いかけた。記者は、当然のように「もちろんアインシュタイン博士あなたです」と答えた。
アインシュタインは、コーヒーカップなどの小さい物でも、ある力が働かなければ動かすことは出来ません。考えてみてください。この宇宙にはたくさんの星があって、それらを一定の軌道で運行させる、その力をだせるのは、神しかいません」と説明した。
あるインタビューでは、「一部の人は、宗教は、科学理論に合致しないと考えている。私は科学者で、今日の科学は、特定の物体の存在を証明することはできるが、特定の物体が存在しないことを証明するこはできない。従って、我々がある物体が存在することを証明できなくても、その物体が存在いしないということを断定してはならない」と語った。
さらに「原子核」を例として、「数年前に例えば我々が原子核の存在を証明できなければ、もしその時、「原子核は存在しないのだ」と断定したとしていたら、それは大変な誤まりを犯していたのではなかろうか?」と説明した。
アインシュタインは「神」の存在について、「今日の科学が神の存在を証明できないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。科学も神の存在を否定できないのであるから、われわれは、神の存在を信じるべきである」と語った。
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シルバーバーチの霊訓より
霊の力は無限大に強烈です
霊の力とはどんなものですか?
「人間によって認識されている、どんなモノサシにもかからないものです。
長さも幅も高さもなく、重さも色も容積も味も臭いもありません。ですから常識的な地上の計算法では霊力は存在しないことになります。
つまり、実在とは人間のお粗末な五つの感覚でとらえられるものと、決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊力は存在しないことになります。
しかし、愛は目に見えず耳にも聞こえず、色も味もサイズもないのに、立派に実感があります。
それは、深い愛の体験をした人が証言してくれます。
確かに愛の力は強烈です。
しかし、霊の力はそれより無限大に強烈です。
あなた方が生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いをめぐらすのも霊の力があるからです。
物を見、音を聞き、動きまわり、考え、言葉を喋るのも霊の力があるからです。
あなたがたの行動の全て、存在の全ては霊の力のおかげです。
物質界の全て、そして肉体も、生命力あふれた霊力の流入によって、存在と目的と導きと命を与えられているのです。
物質界のどこを探しても、意識の秘密は見つかりません。
科学者、化学者、医学者がいくら努力しても、命の根源は解明できません。
それは、物質の中には存在しないからです。
物質は一時的に借りている宿にすぎません」
シルバーバーチ霊訓(三)
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参考、
霊の力=神の愛。神の分霊(神我)。
蒼氓。