真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

私が下に説明することを 社会が受け容れられるほど進歩するまで お前にこの手紙を守ってもらいたい。

 

アインシュタインが娘へ宛てた手紙

 

友人の会社の理念体系を整理する際に

 

アインシュタインが娘へ宛てた手紙の

 

存在を知りました。

 
 

 

 

この手紙の真偽は不明なのですが

 

それはさておき

 

この不安定な時代を生きる私たちに

 

必要なメッセージと受け取りました。

 

 

長文ですが

 

お時間許す方はぜひご一読ください。

 

「人が持つ愛の力を信じよう」

 

という勇気がもらえます。

 
 
 
 

StartFragment

 

私が相対性理論を提案したとき

 

ごく少数の者しか私を理解しなかったが

 

私が人類に伝えるために

 

今明かそうとしているものも

 

世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。

 

 

必要に応じて何年でも何十年でも

 

私が下に説明することを

 

社会が受け容れられるほど進歩するまで

 

お前にこの手紙を守ってもらいたい。

 

 

現段階では

 

科学がその正式な説明を発見していない

 

ある極めて強力な力がある。

 

 

それは他のすべてを含み

 

かつ支配する力であり

 

宇宙で作用している

 

どんな現象の背後にも存在し

 

しかも私たちによって

 

まだ特定されていない。

 

 

この宇宙的な力は愛だ。

 

 

科学者が宇宙の統一理論を予期したとき

 

彼らはこの最も強力な

 

見知らぬ力を忘れた。

 

 

愛は光だ。

 

 

それは愛を与えかつ

 

受け取る者を啓発する。

 

 

愛は引力だ。

 

 

なぜならある人々が

 

別の人々に惹きつけられるように

 

するからだ。

 

 

愛は力だ。

 

 

なぜならそれは

 

私たちが持つ最善のものを増殖させ

 

人類が盲目の身勝手さのなかで

 

絶滅するのを許さないからだ。

 

 

愛は展開し、開示する。

 

 

愛のために私たちは生き、また死ぬ。

 

 

愛は神であり、神は愛だ。

 

 

この力はあらゆるものを説明し

 

生命に意味を与える。

 

これこそが私たちがあまりにも長く

 

無視してきた変数だ。

 

 

それは恐らく

 

愛こそが人間が意志で

 

駆動することを学んでいない

 

宇宙の中の唯一のエネルギーであるため

 

私たちが愛を恐れているからだろう。

 

 

愛に視認性を与えるため

 

私は自分の最も有名な方程式で

 

単純な代用品を作った。

 

 

「E = mc2」の代わりに

 

私たちは次のことを承認する。

 

世界を癒すエネルギーは

 

光速の2乗で増殖する愛によって

 

獲得することができ

 

愛には限界がないため

 

愛こそが存在する最大の力であるという

 

結論に至った、と。

 

 

私たちを裏切る結果に終わった

 

宇宙の他の諸力の利用と制御に

 

人類が失敗した今

 

私たちが他の種類のエネルギーで

 

自分たちを養うのは急を要する。

 

 

もし私たちが自分たちの

 

種の存続を望むなら

 

もし私たちが生命の意味を

 

発見するつもりなら

 

もし私たちがこの世界とそこに居住する

 

すべての知覚存在を救いたいのなら

 

愛こそが唯一のその答えだ。

 

 

恐らく私たちにはまだ

 

この惑星を荒廃させる

 

憎しみと身勝手さと貪欲を

 

完全に破壊できる強力な装置

 

愛の爆弾を作る準備はできていない。

 

 

しかし、それぞれの個人は

 

自分のなかに小さなしかし強力な 愛の発電機をもっており

 

そのエネルギーは

 

解放されるのを待っている。

 

 

私たちがこの宇宙的エネルギーを与え

 

かつ受け取ることを学ぶとき

 

愛しいリーゼル

 

私たちは愛がすべてに打ち勝ち

 

愛には何もかもすべてを

 

超越する能力があることを

 

確信しているだろう。

 

 

なぜなら愛こそが

 

生命の神髄だからだ。

 

 

私は自分のハートの中にあるものを

 

表現できなかったことを深く悔やんでおり

 

それが私の全人生を

 

静かに打ちのめしてきた。

 

 

恐らく謝罪するには遅すぎるが

 

時間は相対的なのだから

 

私がお前を愛しており

 

お前のお陰で私が究極の答えに

 

到達したことを

 

お前に告げる必要があるのだ。

 

 

お前の父親

 

アルベルト・アインシュタイン

 

 

※翻訳文引用元:ユニティー・インスティチュート Amebaブログより

 

EndFragment

 

 

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引力(いんりょく、attraction)または誘引力とは、2つの物体の間に働く相互作用のうち、引き合う(互いを近付けようとする)のこと。一方、斥力(せきりょく、repulsion)または反発力とは、同様に2つの物体の間に働く相互作用であるが、反発し合う、すなわち互いを遠ざけようとするのこと。

 

 

 「引力=愛」

 


 1980年代の末、アインシュタインの娘リーゼルは、父親から彼女に宛てられた1400通の手紙を、死後20年間は内容を公開しないという指示を添えてヘブライ大学に寄付しました。これはそのなかの1通;
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私が相対性理論を提案したとき、ごく少数の者しか私を理解しなかったが、私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。
 必要に応じて何年でも何十年でも、私が下に説明することを社会が受け容れられるほど進歩するまで、お前にこの手紙を守ってもらいたい。
 現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、ある極めて強力な力がある。それは他のすべてを含みかつ支配する力であり、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだ特定されていない。
 この宇宙的な力は愛だ。
科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。
 愛は光だ。
それは愛を与えかつ受け取る者を啓発する。
 愛は引力だ。
なぜならある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。
 愛は力だ。
なぜならそれは私たちが持つ最善のものを増殖させ、人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。
 愛は展開し、開示する。
 愛のために私たちは生き、また死ぬ。
愛は神であり、神は愛だ。
 この力はあらゆるものを説明し生命に意味を与える。これこそが私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。
それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを学んでいない宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れているからだろう。
愛に視認性を与えるため、私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。
「E = mc2」の代わりに、私たちは次のことを承認する。
世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った、と。
私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に人類が失敗した今、私たちが他の種類のエネルギーで自分たちを養うのは急を要する。
 もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、愛こそが唯一のその答えだ。
 恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を完全に破壊できる強力な装置、愛の爆弾を作る準備はできていない。
しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、しかし強力な愛の発電機をもっており、そのエネルギーは解放されるのを待っている。
私たちがこの宇宙的エネルギーを与えかつ受け取ることを学ぶとき、愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。
 なぜなら愛こそが生命の神髄だからだ。
 私は自分のハートの中にあるものを表現できなかったことを深く悔やんでおり、それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに到達したことを、お前に告げる必要があるのだ。

あなたの父
アルベルト?アインシュタイン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚え書き

 

 

心は、今の意識状態を顕す鏡・・・

今の自分が神意識へと繋がっているか、自我意識へと繋がっているか 心は鏡のように 今のあるがままの状態を素直に純粋に寸分の狂いなく顕したもう 心は意識そのもの・・・

 

意識が神に向いているとき、

心も光で満ちて純粋に素直になり輝きたまう

意識が自我に向いているとき、

 

心は重く暗く不平不満で苦しくなりたまう それが、今の自分の意識がどこにあるのかを測るものとなる

 

心が素直で純粋であるとき 神・高次元の存在と最も繋がりやすく、また繋がっているときである だから、この五感では感じ取れない目に見えない本来ある真のものが 顕れてくるのを感じ取る・体験することができる 真のもの・本来あるものは五感の目では見ることができない だからこそ、真実のものである それは、ただ体感する・感じることしかできない

 

常に心を観よ・監視せよ 心は今のあなたの意識がどこに向いているかを知らせてくれる 常に神に意識が向いていられるよう、日々訓練していきなさい

 

 

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参考、ユーチューブ動画ご覧ください。

   

   「天国でイエスと出会ったダイバー死の直前の祈りが聞かれる」。 

     動画、7分26秒に・・・

 

 

                            

                      f:id:muratakazuhiko:20210429074804j:plain

    

                    心身の神癒より、現象化したイエス

 

 

 

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示す者なきときは、 すなわち目前なれども見えず。 説く者なきときは、 すなわち心中なれども知らず。

 

 

示す者なきときは、 すなわち目前なれども見えず。

説く者なきときは、 すなわち心中なれども知らず。

 

【現代語訳】 真理を教え示す者がいなければ、その真理を目の当たりにしても見えません。

 

説き示す者がいなければ、真理を心中に持っていてもそれを知ることはありません。(『理趣経開題』)

 

 

月影 | 東海中学校・高等学校同窓会

 

 

 

 

 

 

 

 

あらゆることのうち最も重大なのは

 

 

 

 

 

3

 

     あらゆることのうち最も重大なのは、

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神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。

 

わたしの中に常に留まっておられるのは父であり、

 

父が父御自身の業をしていらしゃるのである。

 

この事も又あなたたちは悟らなければならない。

 

 

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                                          心身の神癒

                                                                               277p

 

 

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 追記

 

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                      奇跡だ、! 素晴らしい御言葉 ありがとうございます。

 

 

「苦しみは喜びの深さを知るためにある」

 

 

チベットのことわざに「苦しみは喜びの深さを知るためにある」というものがありますが、聖書の中で「苦難」の意味について触れている箇所があります。
 
 コリントの信徒への手紙二 1章4節に「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」と使徒パウロは書き記しています。
 悲しみや痛みを経験しなければ、悲しみ痛む人の苦しみを真に知ることは出来ません。
 
 「苦難」という言葉の聖書の本来的な意味は、「傍らに呼ぶ」という意味があります。苦しみや悲しみの深さの故に慰めの言葉が見つからないことがありますが、傍らに誰から添うているだけで癒されることがあります。
 
 そして「傍らに呼ぶ」という更なる意味は、
 
キリストが内側から支えてくれることをも意味しております。
 
苦しみの深さの意味を知る人は、内なる慰めの深さを知り、
 
その慰めをもって慰めを必要としている人々のために励ましを与える慰めの器として豊かに用いられることでしょう。
 
 「苦しみは喜びの深さを知るためにある」
 ということわざは言い得ている言葉です。
 
 
 

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「命日は記念すべきか」

 

 

 

招待客が友人からの質問として「悲しい命日は心の痛みを呼び覚ますだけだから愚かで無意味だという考えはいかがでしょうか」、と述べそれに自分の考えとしてこう付けくわえた。

                

ーーいまさらどうしょうもないことは分かっているのに年に一回、心の痛みを思い出すのは間違いだと思います。

 

「その質問者のいう”悲しい命日”とは何のことでしょうか」

 

-ー故人が亡くなった日です、その日に何もしたがらない人がいます。改めて悲しい思いをしたくないのだと思います。

 

「誰にとって悲しいのでしょうか」

 

ーーその人を失った家族です。亡くなった本人ではありません。私はあなたのお考えに同感です。亡くなった人を悲しむのは一種の利己主義だと思います。

 

「一種の自己憐憫の情です。自分自身の哀れみであり、愛するものを失ったことを嘆いているのです。

 

苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。もちろん地上生活が利己的すぎたために死後もあい変わらず物質界につながれている人(自縛霊)がいますが、それは少数派に属します。

 

大部分の人にとって死は牢からの解放です。新しく発見した自由の中で、潜在する霊的資質を発揮する手段を見出します。無知の暗闇でわなく。知識の陽光の中で生きることが出来るようになるのです。

 

過ぎ去った日々の中に悲しい命日をもうけて故人を思い出すとおっしゃいますが、いったい何のために思いだすのでしょう。そんなことをしてその霊にとってどんな良いことがあるのでしょうか。何一つありません!過ぎ去ったことをくどくどと思い起こすのは良くありません。

 

それよりも一日一日を一度きりのものとして大切に生き、毎朝を霊的に成長する好機の到来を告げるものとして、希望に夢をふくらませて迎えることです。それが叡智の道です」

 

訳者注ーー”シルバーバーチは語る”と題されたカセットテープの中で司会者が「ルドルフ・シュタイナーの一派では死者に向かってリーディング(仏教でいう”読経”で読心術ではない)をするのですが、何らかの効用はあるのでしょうか」と質問したのに対してシルバーバーチは「害もありませんが、さして薬になるとも思いません。

こちらはこちらで救済のための施設がたくさん用意されています」と述べている。

 

たしかにたとえば「ベールの彼方の生活」を読むと高級霊団が地上各地から地縛霊を大勢救出されて戻ってくる一行を描写しているところがある。国籍が入り混じって服装もさまざまで、救出された者どうしがキョロキョと互いの服装を見くらべて 不思議そうな顔をするユーモアあふれる場面もある。

 

そのほか慰安や看護の施設も何度か出てくる,その観点から言うとシルバーバーチの言う通りなのであるが私は日本人特有の問題として、供養とか戒名とか院号とかにまつわる日本的しきたりにあ余りこだわった地上生活を送った人の中には,向こうえ行ってからも自分もそうしてもらわないと気が済まないーーいわゆる”成仏”できない霊がいて霊界の主導霊を手こずらしていることが多いことは事実として認めざろう得ないように思う。この手の地縛霊はけして少数派とはい言えない。そういう霊は言わば”わからず屋”なのであるから、そのわがままをある程度聞いてやる必要があるので、それは地上の人間の協力を要する問題となってくる。

 

ただしシルバーバーチはつねに永遠の時を念頭において説いていることを忘れてはならない、人間が余計な心配しなくてもいつかは霊界のほうで何とかします、という意味に解釈すべきであろう。

 

            シルバーバーチの霊訓(8)

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(苦難の価値について問われてーー)

 

 

あらゆる体験があなた方の永遠の人生模様の一部を構成します。その永遠の人生をあなた方はとかくこの世だけの出来事によって判定しようとします。その皮相だけを見て偶発的出来事の連続のように思うようですが、何回かにわたる地上生活の全てを通して一本の糸が貫かれていることにお気づきになりません。

 

調和を基本的摂理とするこの大宇宙にあっては、あなた方一人一人が大霊の計画に貢献しているのです。地上生活での出来事は、時には辛さと絶望、痛みと悲惨さに満ちていることもあるでしょうが、その全てが、永遠の旅路に向かうための試練なのです。

 

暗黒と光、陰と日向といった、まったく対照的なものも、実は一個の統一体の側面の反射に過ぎません。陰なくしては日向も有り得ず、光なくしては暗黒もありません。それと同じ理屈で、困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップーーこうしたものは魂の試練なのです。それを克服した時、魂はより強くなり、より純粋になり、より充実し、かくて進化が得られるのです。

 

無限の可能性を秘めた魂の潜在的資質が、困難も苦痛もなく、陰も悲しみの体験もなしに発現すると思われますか。発現するはずがありません。

 

悲哀の極みをなめ尽くして初めて、魂の奥底からの喜びが味わえるのです。生命の階段を低く下りるほど、それだけ高く上がれるのです。地上人生の陰と思える体験を多く味わうほど、それだけ日向の喜びがひとしお身にしみるのです。

 

全てのことが霊性進化の肥やしになるのです。そのうち皆さんも肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上人生を振り返る時がまいります。その時,紆余曲折した一見取り留めもない出来事の絡み合いの中で、その一つ一つがちゃんとした意味をもち、皆さんの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解なさるはずです。

 

人間が体験する苦難の中で、正しく理解し正々堂々と立ち向かって何の益すももたらさないものは一つもありません。一体、困難も試練もない物的世界というものが想像できるでしょうか。そういう世界では何の進化もありません。克服すべきものが何もありません。あるのは堕落のみです。

 

 

    5章 絶対摂理の存在/シルバーバーチは語る 

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