真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

第九話 67~71

67

最(い)と高きものも最(い)賤しきものも共に唯ひとつの聖霊の表現であることをしるがよい。そうすれば最と賤しき者も最と大いなる者となり、最と大いなる者も謙遜(へりくだる)るようになるであろう。

 

68

これ(この心境)がわたしの平安である。これがわたしの愛である。これがあらゆる魂の中に宿る神我の力である。あなたたちも又その通りに成るがよい。

 

69

一粒の種子が暗い土の中に蒔かれると、その裡なる力の故に成長し、自らに似せて再生し、かくて百倍にも増殖する。

 

70

あなたたち一同も又その通りである。神我という種子が世の闇の中に蒔かれる。この種子は世の光である。闇は光りに勝てなかった。

 

71

土の闇はその胸の中に植えられた種子には勝てなかった。世の闇もまたあなたたちの中に植えられる神我という種子には勝てないのである。

 

 

 

                   心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                                                     

                                 M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                                                                                                                    霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

 

 

第九話56~60     銘記するがよい、神我があなたたちの生命である、死を始めすべての敵が屈服する。キリストの中に生きることが永遠に生きることである。

 

56

銘記するがよい、神我があなたたちの生命である、死を始めすべての敵が屈服する。キリストの中に生きることが永遠に生きることである。

 

57

あなたたちは肉体の感官の中にいるが、もし目を挙げて自分の周りにあるものを見ることができさえすれば、わたしがこれまで話してきたことをもはや信じないわけにはいかないであろう。あなたたち自身の愛する故人が今、此処にあなたたちと共にいるのである。

 

58

彼らの大多数は、自分達が地上にいる間受けることができなかった真理をあなたたちが受けつつあることを知って喜びにみたされている。彼らは(その生存中)この真理を受けなかったために久遠の生命に対して無智のままで内なる世界に入ったのである。

 

59

あなたたちが死のないこと、死がやってきても個生命は何ら中断しないことを明確に悟って内なる世界に入るならば、(外界(地上界)より内界(霊界)に移ることに対して)あなたたちの受ける代償は実に驚嘆すべきものである。死とは、地上の体の中に蒔かれていたみ霊が霊の体に入って行く時に起きる一変化に過ぎない。あなたたちの地上状態の中で今生きているのは神我である、そして又未来永恒に生きるのも神我である。

 

60

この故に堅信、不動であれ、そうすればあなたたちは日毎に成長するであろう。その結果がすぐには見えなくても、闇の中にあってさえ成長は着実にしているのである。

 

 

 

 

                     心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                                                     

                                    M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                                                                   

                                                      霞ケ関書房, 1972   

 

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

 

 

 

 

人生で最も大切なことは魂を高めること

 

第46講 

人生の目的を探る(11) ダスカロスの内省・瞑想・祈り論

 

人生で最も大切なことは魂を高めること  

 

いま、私たちを取り巻く世界はますます複雑化して混乱している。

数えきれないほどの誘惑も存在する(5)。

目覚めたくてモガイている人が1割、

寝ぼけている人が3割、

眠っている人が6割というのが、この世の実情であろう。

麗しい絶世の美女も、逞しくスーツに身を包んだイケメンでも眠っている(8)。  

けれども、私たちは強い信念を持って、絶え間なく精進しなくてはならない。

外見上の生き方は大きく変化したとしても、人生の目的は何ひとつ変わっていないからである

 

ダスカロスによれば、私たちの人生では最も大切な仕事は真理の探究である(5)。

 それは、三つの身体からなる現在のパーソナリティーは、「乗り物」のようなものだからである(5)。

 

ダスカロスによれば、「人間の現在のパーソナリティーは、物質的な身体である肉体と、物質世界よりも遙かに『精妙』な物質から作られる4次元体・サイキック体(感情体)と、これよりもさらに『精妙』な物質で作られている5次元体・ノエティカル体(知性の体)からなる(13)。

 

そこで、永遠のパーソナリティーを培うことの報いは、肉体がなくなった以降も継続される。このため

 

苦労が多ければ多いほど、成果は得られると主張する(5)。

 

人間の思考や行動の80%は利己的な潜在欲望に流されている  ダスカロスは言う。

「私たちの思考や行動の80%は潜在的な願望や欲望から発している。けれども、その根源をめったに意識しない。そして、知らず知らずに願望や欲望の命ずるまま多くを経験し、人生を楽しんだり、苦しんだりしている。こうした願望や欲望は、エレメンタルの群れである。私たちはエレメンタルの欲望を満たすために行動し、そうすることでそのエレメンタルにエーテル・バイタリティーを供給し続けているのである」(2)。

 ダスカロスが言う

「エレメンタル」とは、人間が日々創り出している、想念(や言霊、生き霊)のことである(1)。

 

「ただし、全般的に見ると、エレメンタルの多くは自己中心的な目的のために使われている。私たちが直面する問題のほとんどは、私たちが悪いエレメンタルをつくり、エネルギーを与え続けていることが原因である。ただ利己的な欲望や自分勝手な感情で暴走すると、潜在意識は最悪の敵となる」(2)。

マスターたちの潜在意識は愛や慈悲が多い  ダスカロスはマスターたちは違うと指摘する。 「マスターと呼ばれるような人であっても、潜在意識は持っている。ただ、マスターたちの自己意識に対する潜在意識の割合は私たちよりかなり少なく、さらに彼らの潜在意識には、愛や慈悲という性質が多く見られる。もし、平均的な人間の潜在意識を荒れたジャングルにたとえるなら、マスターたちのそれは、穏やかな草原のようなものだ」(2)。

欲望と感情を理性のコントロールの下におく  ダスカロスは言う。 「そこで、潜在意識に聖霊の智恵を表現させれば、それは最良の友となる」。  ダスカロスがまず薦めるのは、自分の身体の状態をまず良好に保ち、次に、サイキック体(感情体)とノエティカル体(思考の体)との健全な交流を図ることである(5)。

 

 感情と欲望を節制や理性といった智恵の下において、現在のパーソナリティーと永遠のパーソナリティーを調和させる努力が大切なのである(5)。

 

現在のパーソナリティーが、愛・理性・正しい思考によって支配されるように、努力しなくてはいけない(2)。では、具体的にはどうするのか。ダスカロスが提唱するテクニックは以下のとおりである

永遠のパーソナリティーと調和するためのテクニック 観察 緊張せずに意識を集中する。

 

詳細に観察する能力と、観察したものを詳細に思い出す能力が育まれなければ、聖なる計画に気づくことができない。

観察は、聖なる本質のひとつの現われである(5)。

 

集中 創造的思考やヒーリングを行なうために、最も重要な要素のひとつが集中である。自分が選んだテーマや対象物に全思考を集中させることを学ぼう。拡大鏡で焦点を合わせるように集中すれば、外的な力の影響を受けずに、現在のパーソナリティーを一時的に脇に置いて対象物に同化できる(5)。  

毎日の生活の中で、意識を集中する訓練をすれば、人生のいろいろなことに気づくようになる。最初は毎日、15分間練習をする。散歩をして、蟻や花、音、声等、周囲のすべてのことに気づくようにする。すべてを意識し、すべてを感じる。最初はすべてに注意を払うことに慣れていないので疲れるけれども、この練習を始めると、15分が一日の中で一番完全に集中して生きていることを学ぶことになる(1)。  

通常起きている思われている状態が、実際には半分ぐらい催眠術にかかっている状態であることを発見する

そして、この15分間、世界への意識が10倍に広がることを発見する。普通は、物質界から受ける印象のほんの一部しか覚えていない。だから、サイキック界に行ったとしても、その体験をどのぐらいを持って帰ることだろうか。つまり、まずは物質世界で練習をして、それからサイキックな次元で練習するのがいい(1)。 視覚化(ヴィジュアライゼーション) 

注意深く観察したり、完全に集中するように努めることは、正しい視覚化の能力を身につけるための基本である。

視覚化が苦手だと考えている人もいるが、実際には誰もが得エㇾメンタルを作り出す際に、潜在意識において視覚化を行なっている

これこそが、私たちが世界を創造している方法なのである私たちの世界において、思考ほどパワフルなものはない。

視覚化とは、意識の拡張と、救済を求める人々のために建設的な方法で思考を活用していくプロセスのことなのである(5)。

 

内省~潜在意識を浄化するプロセス 現在のパーソナリティーは、良かれ悪しかれ、念入りに作られている。この非常に狭い現在のパーソナリティーという部屋から連れ出し、隠されていた潜在意識のベールをはがし(2)、パーソナリティーと潜在意識を意図的に作り直して、感情と思考の原因をたどる内的探究が内省である(5)。

「日々の内省は毎晩、眠りにつく前の、潜在意識に入りやすいタイミングで行う。ベッドに座ってもいいし、眠ってしまわなければ、横になって行ってもかまわない。完全にリラックスして、4:4のパターンド・ブリージング行う」(2)。

 この内省によって、これまで気づかなかった行動の理由や本当の動機がよりはっきりと見えてくる。それは、潜在意識を浄化するプロセスである。この浄化プロセスを通じて、私たちは自分自身をより深く理解できるようになり、同時に、自分の想念、感覚、欲望、行動を以前よりもはるかにコントロールできるようになっていく(5)。

 

「永遠のパーソナリティー」は、「守護大天使」からのサポートを受けて、常にあなたを導き、呼び覚まそうとしている(5)。このため、この内省を重ねることで、私たちの小さなパーソナリティーは、永遠のパーソナリティーの智恵ある庇護下に入っていく(2)。  新約聖書ヘブライ人への手紙9章14節に「わたしたちの良心を死んだ業から清めて」とあるように、エゴにふり回される行動から自分を自由にしようと決断することで、魂の智恵と慈しみの声に導かれていく(5)。

とはいえ、エゴイズムは巧妙でずる賢く「光の天使」になりすまして近づいて来る(新約・コリント2-11-14)。このエゴイズムによって努力が無駄にされることないよう充分に気をつける必要がある(2)。

 

瞑想~聖なる計画での自分の役目を見出す 日々の内省は、現在のパーソナリティーを高め、聖なる計画での自分の役割を見つけ出すための、最も安全かつ確実な方法である(2)。

より深い内省ができるようになれば瞑想の世界に達する。現在のパーソナリティーの世界を超えて、広大無限なマインドの世界に入り、普遍性や永遠性とひとつになっていく(5)。

内省と瞑想で浄化した空間を健全なエレメンタルで満たす  エレメンタルは、パーソナリティーの中で互いに微妙なバランスを保っている。このため、現在のパーソナリティーからエレメンタルを取り除いて非活性化する時には、空いた空間を健全なエレメンタルで満たすことを忘れてはならない。また、どのようなエレメンタルを再構築するのであれ、それは、ゆっくりと、確実に進めなくてはいけない。これが、たゆまぬ霊的前進に時間がかかる理由なのである。  内省や瞑想を行うことで、潜在意識が浄化されるだけでなく、同時に、私たちの聖なるパーソナリティーを通してロゴスと聖霊が表現される一定の空間、ロゴスと聖霊にふさわしい住まいの場が得られる。(2)。

 

地に平和をもたらすには祈ればよい  この世界には、あまりにも多くの痛み、悲しみ、争いがあふれている。多くの人たち、とりわけ、スピリチュアルな意識に目覚めた人たちは、こうした他者の苦しみを癒し、助け、た世の中のために貢献したいと願っている。けれども、具体的にどうしたらいいのかがわからずに悩んだり、「攻撃的な批判」を通じて世の中を変えようとしている人たちもいる(6)。  

ダスカロスは、私たち普通の人でも世界平和へ貢献できる日々の実践法を「エクササイズ25」でこう書き残している(6)。

 

「毎日午後9時に、座ってあなたの思考をきれいにしましょう。そして、心を無条件の愛で満たします。もし、あなたがキリスト教徒なら「主の祈り」を唱え、他の信仰をお持ちなら、自分なりの祈りを唱えてください。  

世界の老若男女、すべての人々の心が平和の気持ちで満たされているところを視覚化しましょう。数分間静かに座って、それから次の短い祈りを、心の中で、あるいは声に出して唱えます。

地球に平和がもたらされますように、皆に善意がなされますように。御心が行なわれますように、天におけるように地の上にも」  このところをTeru Sun氏はこう言いかえている。

「私たちの星、地球に平和が来ますように。みんなが親切な気持ちになれますように。そして、天上のように地上でもみんなが人に良いことをしてあげられますように」  時差のことは気にしないで、一人ひとりが現地時間の午後9時に祈り始めましょう。愛と平和に満ちた、祝福されたエレメンタルをつくってください。こうした聖なるエレメンタルによって地球上のあらゆる地域をエーテル・バイタリティーで満たし続けることは貴重な奉仕となります」   

           

                                    『エソテリック・プラクティス(p164)』(6)。

 

 

祈りは癒しに役立つ  信仰とは受身になることではなく、心を清め精神を浄化すべく、積極的に努力することである(5)。

そして、最近は、祈りの力が実際に癒しに役立つとして、関心を持たれるようになっている。科学者や医師たちも、集中的に愛と癒しに思いを向ける「祈り」が治癒プロセスに効果があることを認め始めている。  集団で行なう祈りが、一定人口に対してプラスの変化を与える事実も最近わかってきている。一定人口の1%が集まって同時に祈ることで、残りの99%の人々の行動に明らかな変化があったことが科学的な実験で証明されている。これはまさに正しい思考の力、愛の力のなせるわざといえよう(6)。 最も大切なものは愛  普遍かつ永遠の世界において、愛よりも偉大なものは何もない

新約聖書ヨハネの手紙1-4章18節に「愛にはおそれがない。完全な愛はおそれを締め出します」とあるのはこのことで、絶対存在の愛はまさに宇宙の中心で、すべての創造の源なのである。そして、私たちの源も同じ愛にあり、私たちの心に宿るのも同じ愛なのである(5)。

 

 ****************************************************************************************************

 

 

     

 

 

 

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

 

世界一のヒーラーダスカロス

世界一のヒーラーダスカロス

 

  キプロスの聖者 ダスカロスは、【世界一のヒーラー】と、語り継がれる、数々の驚異的な癒しの伝説をもつ素晴らしい覚醒者です

 

スピリチュアルの父といわれるハリーエドワーズや、「光の手」のバーバラ・ブレナンもキプロスまで行き、教えを受けたそうです若いときから、完全に全ての過去世を思い出しており、意識的に体外離脱をして、アストラル次元で地球や人々をサポートしつづけた人でしたニコニコ 多くの影響力有る人々を導いたダスカロスでしたが、名声を最後まで嫌い、 グルにもなることも避け、一市井人としてひっそりと1995年にアセンションしたのでしたよつばのクローバー 側にいた方が記録した本が、何冊か出版されています。

 

 彼のヒーリングや教えは、聖ヨハネイエス・キリストがもたらしていたそうです。

その為に、「私が癒したのではない。ヨハナンが癒しをもたらしたのだ。

私は、神の道具にしか過ぎない。」と、生涯、報酬を一切受取らなかったそうです

 

ダスカロスの好きだった言葉の1つで、印象的なものは・・・

 

『人生において重要と言えることなど何もない。 たいていのことは、まったく取るに足り無いことなのだ。』

 

覚醒者ダスカロスが、夜寝る前に、必ずしなければならない、と教えていたことがあります。

これが色々試してきた中で、私にとっては最も効果的でしたグッド 眠りに入る前、完全にリラックスした状態になります。

(このとき、自分のからだにリラックスしてね。リラックスして大丈夫!もっと深いリラックスをして良いですよと言い聞かせると効果的です)

 

そして、その日1日を始めから今に至るまで思い起こします。 自分自身を見つめ、自分自身に問いかけます。

 

*思ったり感じたりすべきでなかったことで、思ったり感じたりしてしまったことは何か?

*思ったり感じたりすべきことで、思ったり感じたりしなかったことは何か?

*言うべきでなかったことで、言ってしまったことは何か?

*言うべきだったことで、言わなかったことは何か?

*すべきでなかったことで、してしまったことは何か?

*すべきであったことで、しなかったことは何か?

 

これを、自分を非難することなく、また賞賛することなく行なうこと。 その日に起きたことをただ観察するこの練習をすると、自分の感情、思考、行動をその源まで遡って行くことを学ぶようになります。

 

つまり、自分の領域にどんな感情、思考、行動があるのか、どんなものを自分は生み出してしまっているのか、それはなぜ、どこからやってくるものなのか?を知る事が出来ます。

そして、不必要なものは手放し、執着しないのです

 

あとは瞑想で、足先から腰まで丁寧に、ホワイトブルーの輝きのオーラで包まれていくよつばのクローバーのをイメージします。

 

※要らないエネルギーは、鼻からか口から、出て行くイメージもします。 次に、お腹から首までをピンクゴールドの輝きのオーラおはなで包みます。 最後に、頭をゴールドの輝きのオーラで包みます。

 

 

****************************************************************************************************

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

エソテリック・プラクティス

 

 

エソテリック・プラクティス

Esoteric Practice

 あなたは、塩の味について説明できますか? 塩を一度も味わったことのない人に、言葉で理解させることができますか?   塩は白い水晶のような固体で、主に塩化ナトリウムから組成されている、と説明する人がいるかもしれません。 あるいは、その化学的組成がNaClだと言う人もいるでしょう。 しかし、私ならこう言います。

「まず、塩のひとかけらを舌にのせることです。そうしなければ、塩の味を知ることはできないでしょう」と。  

では、この塩を味わうために、私たちは何をすべきでしょうか? 私たちは、ツルハシを手に取って、塩の鉱山へと向うべきではないでしょうか。 ダスカロス  私たちは、言語や理論の勉強に打ち込むだけでは不充分なのです。私たちは、私たち自身や生命、そして天地創造についての内なる到達点を探求し、経験しなくてはなりません。  

いつもマスターがそばにいて欲しいと思う気持ちも分かります。また、世界のすべての聖なる書物に囲まれていたいと思う願いも理解できます。しかし、そのような願は、人生を歩んでいく上で、いつも松葉杖に頼っているのとさして違いがありません。

あなたは、生命を探求するために、心を込めて、恐れず、“自分自身”と向き合わなくてはなりません。私たちを取り囲む世界は、日々複雑性を増し、あらゆる混乱と誘惑がひしめいているため、私たちの注意を散漫にしてしまうのです。しかし、私たちはしっかりと大地に根を張るような不動心を持たなくてはなりません。すなわち、私たち自身に休みなく意識を傾注させて行かなくてはならないのです。なぜなら、私たちの人生を織り成すあらゆる事象というものは、何世紀もの間で変化し続けていくものですが、人間としての状態や経験や目的は変わるものではなく、永遠のものなのです。

 

ですから、あなたに内在するものの成長に向けて行動しなさい。違いを見分けられるようになりましょう。それが、適切な結果をもたらしてくれます。  これだけは忘れないで下さい・・・

私たちの人生には、“真理の探求”以上に求めるべき仕事はないということを。

宗教に係る活動は、消極的な関わりとは言えないかもしれませんが、心や想念を浄化するための積極的で懸命な取り組みとしては不充分でしょう。苦労が大きければ大きいほど、成果も大きなものになります。「聖なるパーソナリティー」を育てることからの恩恵は、物質的な肉体を離れた後も、永く引き継がれて行きます。  あなたの物質的な肉体の状態を良く知りましょう。そして、善い秩序を保つようにしましょう。サイキカル体(感情体)のコントロールが出来るようになると、それがノエティカル体(理性的な思考体)との健全な交流をもたらします。

3つの体を備えた、あなたの「現在のパーソナリティー」は、“経験”の収集と蒸留精製のための道具や媒体のようなもので、それらが「永遠のパーソナリティー」に相応しい自己教化と完全な成熟へ向けて導いてくれるのです。すなわち、これは、あなたの「現在の自己」を「永遠のパーソナリティー」へアチューンメントすることなのです。守護大天使の助けを受けながら、あなたの「永遠のパーソナリティー」は、休むことなく、あなたを刺激し気づかせ激励し、導いてくれています

中庸と理性に関する智恵が、あなたの断衝材として感情と欲望を包み込んでくれます。他により良い方法はありません。  私たちの最も価値のあるエクササイズ、

日々の内省」を例に取ってみましょう。

 

もし、内省に真剣に取り組めば、あなたが利己的な想いから行動しているか、あるいは、徳目や道義的基準に導かれて行動しているかを、誰でも今まで以上にはっきりと観ることができるようになります。利己的な言動は、結果としてあなた自身と同時に、他者にも痛みをもたらすことになります。他のエクササイズも、あなたのパーソナリティーにある破壊的なエレメンタルを確認する上で役立ちます。エクササイズを継続していけば、それらをゆっくりと、「生命活性型のエレメンタル」に置き換えていくことができるのです。

 

 

*****************************************************************************************************

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain

こうして内省を続けていくと、だんだん自分自身を観察することに熟達していきます。そしてやがて道徳面においても、霊的、神秘的な人生の側面においても、成長を加速していることに気づくはずです。

はんせい 【反省】

普通のとらえ方や自分の普段の行動・あり方を振り返って、それでよいか考えること。 「定説に―を加える」

 

【内観】より …内省ともいい,

みずからの意識体験をみずから観察すること。本来意識体験は私的な性格をもつものであり,自己観察によってしか観察されえないものである

 

「内省」と「反省」の違い

 

「内省」という言葉自体は一度は耳にしたことがあると思います。 だけど「反省」との違いや内省の方法を理解し、実践している人は少ないのではないでしょうか。

 

「反省」とは、自分が犯した過ちやミスを振り返り、原因を究明して改善することを目的としています。そのため、基本的には失敗をした時に行なわれるものです。

 

一方で、「内省」とは普段の自分の行いを振り返り、自分自身について考えることを指します。反省とは異なり、ミスや失敗、よくない行動に関してはもちろんのこと、よい行動も内省の対象となります。

 

内省では、起こった状況に対して自分はどのように感じ、行動・発言したのか、その理由などを考える。これにより、より深く自分の考え方の特徴や傾向を知ることができるのです。

 

リフレクション・内省と反省の違い リフレクション、

つまり内省に近い言葉に反省がありますが、

内省と反省はどのように違うのでしょうか?

 

反省は自分が犯した失敗について、「何がいけなかったのか」と振り返ることです。

失敗の原因を認識して、二度と同じ過ちは犯さないことを習得する機会とはなりますが、それで終わってしまいます。

一方、

リフレクション、つまり内省は、

これまでの自分の仕事を振り返り、あるいは鏡に映すように自分の姿を見つめ直すことです。過去の仕事を感情に流されずに、客観的に振り返ります。 そして、「あの時(過去)は○○と思って行っていたが、今思うと△△だった」などと冷静な気付きを得られ、それは未来の行動にプラスに働きます。 また、自分の仕事に客観的な意味づけをし、自分の業務への捉え方を見直していきます。日々変化する社会の中で、今確かに有益なものが、明日同じように有益であるかはわかりません。 有能なビジネスマンやリーダーシップのある人は、刻一刻と変わる時代の流れを読み、自分の立ち位置を振り返って次はどうあるべきかと常に内省し、そして新たな方向性を見つけていくのです。

 

  

 「内省」という言葉自体は一度は耳にしたことがあるだろう。しかし、「反省」との違いや内省の方法を理解し、実践している人は少ないのではないだろうか。

 

 「反省」とは、自分が犯した過ちやミスを振り返り、原因を究明して改善することを目的としている。そのため、基本的には失敗をした時に行なわれるものだ。

 

 一方で、「内省」とは普段の自分の行いを振り返り、自分自身について考えることを指す。反省とは異なり、ミスや失敗、よくない行動に関してはもちろんのこと、よい行動も内省の対象となる。  内省では、起こった状況に対して自分はどのように感じ、行動・発言したのか、その理由などを考える。これにより、より深く自分の考え方の特徴や傾向を知ることができる。

 

***************************************

 

 

「内省・自省・反省」  

自分の行為・行動について、自分で振り返って考えること。 そして、その後の自分の思想・行動を改善し高めていこうとする原動力となる行為である。

一生の間、果てしなく続く行為である。 「省」とは、顧みる・振り返るということである。 何のためかといえば、将来・未来を良くしようとするからである。

 

日々の内省 Daily Introspection Practice  

日々の内省は毎晩、眠りにつく前の、潜在意識に入りやすいタイミングで行ないます。ベッドに座ってもいいし、眠ってしまわなければ、横になっても構いません。 完全にリラックスして、4:4のパターンド・ブリージングを始めましょう。

まず、朝起きた時から順を追って、今日一日にあったことをすべて思い出します。一つひとつの出会い、出来事をもう一度見つめ直してください。この時、自分自身や誰かを責めることなく、客観的な第三者の目で見つめることが大切です。

慈悲と寛大な心をもって、自分自身に次のように質問しましょう •思ったり感じたりすべきでなかったことで、思ったり感じたりしてしまったことは何か?

•思ったり感じたりすべきだったことで、思ったり感じたりしなかったことは何か?

•言うべきでなかったことで、言ってしまったことは何か?

•言うべきだったことで、言わなかったことは何か?

•すべきではなかったことで、してしまったことは何か?

•すべきだったことで、しなかったことは何か?  

 

内省の目的は、自分自身や他の人々を責めることではなく、ましてや賞賛することでもありません。ただ、公平な目で、自らの思考や行動を観察することにあります。

その上で、気づいた点から自らの言動を改めるように努力しましょう。  

こうして内省を続けていくと、だんだんと自分自身を観察することに熟達していきます。

そして、やがて道徳面においても、霊的、神秘的な人生の側面においても、成長を加速していることに気づくはずです。

 

 

ナチュラルスピリット社版、ダスカロス著「エソテリック・プラクティス」より)

 

*****************************************************************************************************    参考、

   内省、反省、自省、の考察。

 

f:id:muratakazuhiko:20210626210358j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第九話 51~55

51

悟りによって扉を開きうる者が唯一人いる。それがあなたたち一人々々なのである。神我があなたたちの中で(その神性を)展開するにつれて、あなたたちは自分が既に父の家の中に在り、あらゆる善き物事の満載されているその豊かな食卓より満喫することができるのである。

 

52

これが、その中に於いてわれわれが生き、動き、かつわれわれの存在を保っている唯一無二の久遠の全能者という真理の栄光である。この真理があなたたちを自由にする。

 

53

わたしは神の愛と英智である、故にあなたたちの胸(ハート)の中にいるわたしの云うことに耳を傾けるがよい、そこにわたし住まいしているからである。

 

54

わたしの心臓(ハート)とあなたたちの心臓(ハート)とを一つのもののように鼓動せしめよ。そうすれば、肉体を始め外なるもの全体が生命の光によって点火されるであろう。なぜなら主にして王なる方が語り給うたからである。かくてあなたたちの肉体の全細胞が、あなたたちの裡なる生ける臨在という真理に目覚め、あなたたちのすることなすことすべて成功するであろう。

 

55

わたしの心臓(ハート)とあなたたちの心臓(ハート)とは一つになって鼓動しなければならない。このことを軽く聞き流してはならない。その意味を胸(ハート)内深く感じなければならない。

 

 

 

 

 

                   心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                                                               

                                M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                                                                                   

                                                 霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

f:id:muratakazuhiko:20151130123509j:plain