真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

第九話 41~45

 

 

41

古き絆は破れ、古き死せる教条は崩れ行く。樹の枝にも似て、それは樹液すなわち生命なくしては生きていることはできない。

 

42

全人類がより高き思想の界層に挙げられつつある。わたしはあなたたちの中に在って、もれまでもろもろ無益な言葉や独断の造りな成せる虚空を満たす。故にあなたたちはもはや虚妄にしがみつくことはない。

 

43

もはや遥かなる神なるものを説く者達に聴くことをやめよ、吾が裡なるみ霊耳を傾けよ、よこにこそ真理は宿る。

 

44

もしあなたたちが他人の信じていることによって縛られているならば、すでにその繋縛は否定のしようもない。わたしは繋縛を解くため、あなたたちを自由にするために来たのである。わたしは唯一無二の生ける神という真理、あなたたちの中にいます生ける神という真理、を与えることによってあなたたちを自由にする。

神生き給うが故にわたしは生きている。神はおんみずからの中に生命を宿し給うが故に子の中にも生命を宿すことを許し給う。

 

 

45

自分が神との一体であることの知識、それを意識し自覚することが、あなたたちの全面的救いである。これが自由への開かれた扉である。

 

 

 

 

                 心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                                                     

                              M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                                                                   

                                            霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

 

 

 

繋縛(けいばく)の用語解説 - 仏教用語。心が煩悩や妄想あるいは外界の事物のために束縛されて自由を失った状態をいう。解脱の対語。

 

 

 

 

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第九話 36~40

 

36

再び云う、わたしを死者より挙げ給うた父はあなたたちの裡にも宿り給い、わたしを挙げ給うたようにあなたたちを挙げ給うであろう。

 

37

あなたたちは肉に負うのではなく、神のみ霊によって生きているのである。故にあなたたちは神の息子であり娘なのである。

 

38

今や人類の意識が掻き立てられつつある。至る所で真理が、あらゆる幹や枝に生命を送る樹液のように、沸き上がりつつある。

 

39

全人類に浸透しつつあるこの真理という樹液は、すべての生ける魂の中に生存する神我なる生命という真理であり、それは分離のないことを啓明している。

 

40

宇宙における生きとし生けるものはすべて愛と生命という唯一無二の源泉より発し、ありとしあらゆるものすべてがその存在をこの本源に負う。

 

 

 

 

             心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                                                                     

                             M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                                                                                   

                                             霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

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----霊が自分が受ける試練を決めるとき、決め手になるのは何ですか。

 

 

 

それは自己の欠陥を償うのに役立つもの、同時に、より早く進歩させてくれるもの、そういう試練を選びます。

 

その目的のために、ある霊は貧困を苦を自己に課して、それに耐える勇気を養おうとします。

またある霊は、財産や権力の試練で抵抗力の訓練をしようと望みます。それは財産や権力を持てばそれを悪用したり、またそれがあるために悪感情をもったりするので、更に危険の多い道なのです。

 

またある霊は、悪い環境と闘う運命を選んで、自己の善意を養っていこうとします。

 

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----最も苦痛の少ない試練を選ぶのが当たり前だとおもえますが・・・・。

 

1*みなさんの立場からすればそう思えるでしょうが、霊の立場からすれば違います。

 

人が物質から解放されると、そういう考えはなくなっていきます。

 

*訳者注解----人間は地上にあって物質の影響下にある時は、試練のつらい面だけを見て、物質的喜びに結びつく体験の方を選ぶ。

 

しかし霊の世界に入ると、チラリと不変の至福が目に入るので、それと物質的な一時的な快楽とを比較して、ちょっと苦労さえすればその至福が手に入ると判断する。

そこで、霊は最もつらい試練を選択し結果としてつらい人生を引き受ける。そのことによって、迅速に幸福へ到達できることを願うからである。

それはちょうど病人が、病気が早く治るために苦い薬を飲むのとおなじである。

 

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             霊の書 上 

                 試練の選択

 

      アラン・カーデック編 桑原啓善訳

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備考、

1*みなさんの立場からすればそう思えるでしょうが、霊の立場からすれば違います。

だいぶギャップがあるようです。

                                

                                   蒼氓。

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次に来るのが蘇りである。死に定められたこの肉の身よりの魂の蘇りである。神我(キリスト)は肉の中に顕現した神の霊であり、昇天とはこの実在を真に認識すること、久遠の神我(キリスト)を真に把握することである。               

                                                         

 

                                              奇跡の言葉

 

 

 

 

生命を再び得んがために十字架にわたしの生命をかけそれによって生命を再び得たことがあらゆる経験のなかで最大のものであった。

 

 

しかしそれはわたし自身のためではなく、およそ生きているすべての人々、そして又

 

「わたしを信ずる人々が決して死なないようにするため」

 

であった。事実彼らは久遠の生命の秘蹟をすでに得たのである。

 

 

                                                                                              第一話 67

 

 

 

 

 次に来るのが蘇りである。死に定められたこの肉の身よりの魂の蘇りである。

 

神我(キリスト)は肉の中に顕現した神の霊であり、

 

昇天とはこの実在を真に認識すること、

 

久遠の神我(キリスト)を真に把握することである。                                                                                  

 

  

                          

                                                                                               第一 話68

 

 

 

 

 

キリストはあなたたちの中に在るのであって、外部からのものは何ら役には立ちえない。

 

ひとつの魂が進化すれば全人類が高揚する。

 

それは全人類がひとつになるためである。

 

                                                                                                第一話69

 

 

 

 

 

 

              M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                            

                                                       霞ケ関書房, 1972  

 

 

 

 参考、

 

 

秘蹟 読み方:ヒセキ(hiseki)

基督によって定められた、恩恵を受ける手段・方法

 

 

 備考、

 

感動を通りこした。こうした、メッセージを誰が送っているのか。内なるマインドであるわたしの心をかりたてて。 外ではない。

 

                                                                                                                蒼氓。

 

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神のいない場所は存在しません

 

 

神のいない場所は存在しません

 

 「死の床での牧師による最後の儀式も、法則の働きを変えることは出来ません。

いくら誠心誠意の祈りでも、それだけで法則を変えることは出来ません。

どんな教義を忠実に受け入れても、法則を変えることは出来ません。

なぜなら、法則は完全な公正が行き渡るように働かねばならないからです。

あなたの行動の結果を、代わりに背負える人はいません。 あなたのすること考えることの一つ一つに、あなたが責任を取らねばなりません。

聖人と罪人が同じように向上することは出来ません。

魂をごまかしたり偽ったりすることは出来ません。

神はあらゆる人間の内部に宿っているという意味では、人間性があると言えます。 が、

神は法則であるという意味では、非人間的存在です。 ましてや、自分を信じる者は可愛がり、信じない者には意地悪くするような、そんな恨み深い存在ではありません。

法則によって、原因と結果が定められています。 神はあなたの中に存在するのです。

受胎の瞬間から、神性のタネが植えられているのです。 それに芽を出させ、花を開かせ、豊かな実りをもたらすチャンスは、日常の中にいくらでも用意されています。」

一 全てが神の懐の中で行われているという言い方は正しいですか?

 

「結構です。

神はあらゆる場所に存在します。

神のいない場所は存在しません。」

 

                                        

                                   シルバーバーチ霊訓 (11)

 

 

 .

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最後の一文はさらに大切なことを教えている。

 

 

人間は大ざっぱに言えば、肉体と精神と霊とで構成され

ているが、成長するにつれて意識の中核が、肉体から精神

へ、そして霊へと移ってゆく。理屈ばかりこねている人間

は精神的段階に留まっている証拠であり、まだ真の自我に

目覚めていない。その段階を抜け出ると直観(直感ではな

い)で理解するようになる。理屈や証拠を超えて真相を洞

察してしまうーーわかるのである。

 

霊的能力というとすぐに霊視や霊聴を思い浮かべる人が多

いが、最高の霊的能力はその直観力である

 

 

 

 2章  神はときには荒れ狂う嵐のごとく・・・  抜粋

   

                     一読をお奨めします。                蒼氓。

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見栄や肩書きははぎ取られて魂がまる裸にされる霊界

 

 

 

私はすでに多くの方が直感的に、あるいは理性的・論理的に理解しておられる単純な真理を改めて説いているに過ぎません。その真理の仕入れ先は霊界です。

        

 

しかもその上層界です。そこではすべての人が実在を目の

       

当たりにします。

 

 

原因と結果が即座に働き、他えの思いやりの多い人が少ない人より偉いとされ、

 

 

地上時代の肩書きはすべてはぎ取られ、魂がまる裸にされて、長所も短所も衆目にさらされてしまいます。そういう世界で学んだことをお届けしているのです。

 

 

              シルバーバーチの霊訓(12)

 

 

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名声とは子供の玩具のようなもので何の価値もない

 

 

名声が何になりましょう。子供のオモチャのようです。

 

何の価値もありません。

 

そもそも名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。

 

お金があるとか世間的に出世したということで名が知れたにすぎません。

 

エスはそういう名声をいっさい求めませんでした。

 

先師、聖者、先駆者、改革者といわれた人は名声を求めたでしょうか。

 

大切なことはどれだけ人のために役立つことをしたかであって。

 

その人の名前ではありません。

 

ですから、いわゆる有名人の名前を名のって出る霊には気

       

をつけた方がよろし。判断の基準は何と名のっているかで

 

はなく、どういう態度でどんな事を説いているかです。

 

 

           シルバーバーチの霊訓(12)

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 備考、

有名人の名前をなのって出る霊には気をつけた方がよろし。巷ではやりたい放題やっている教祖もおるようですが。・・・

 

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