真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

第七話 61~70

 

61

聖書に、神のみ霊が鳩のように下り、次のような神告を下し給うたと書かれている、即、「この者はわたしが喜んでいる、非常に気にいった、愛する息子である」。

 

62

見えざる者より直接み声を聞くのはこれまでも、度々あったものであり、わたしがかつて地上に居た時でも、律法を理解する人々の間では知られていないわけではなかった。それ(霊聴覚)は今より当時の方が、多く、用いられていたのである。

 

63

あなたたちの多くが天からの直接のみ声にはまだ慣れていないことをわたしも知っている。このみ声が聞けるのは沈黙の中にひたっている心のあの特殊の静謐の中に於いてである。それは心のヒマラヤ山脈(20)の中に於て極めて効果的に得られるのである。

 

64

当時顕現れたこの同一のみ霊が今あなたたちの中に顕現れつつあるのである。

 

65

またあなたたちがその事を信じさえするならばこの同じみ霊があなたたちに仕えるであろう。

 

 

 66

わたしが今云っていることの意味、すなわち、あなたたちの意識の中に移入しているわたしの想念の力が真理を啓示するのであるということ、があなたたちには解っているだろうか。本当にあなたたちに云うておくが、信念によって支えられている時の(人間の)最後の瞬間こそは最も大いなるものである。なぜならばその中にみ霊の栄光輝く力が見られるからである。

 

67

ペテロが波浪の上で自分自身を支えるのに矢敗したのはこの最後の瞬間に於いてであった。(マタイ伝十四章二十九ー三十一節)

 

 

68

この話は幾つもの言語に幾つもの方法で録されているが、事実は次の通りである。

 

69

水上を歩行する力は、それを成就するだけの悟りと信念があれば、すべての人々に本来備わっているのである(21)

 

70

始めて泳いでみようとする時は自信がなく、バタバタしだすものである。しかし次第に自信が増してくると、水面に

自分自身を支えることができるようになる。水上を歩行するには大いなる信念と悟りとを必要とするものであるが、それは可能なのである。

 

 

 

                        心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                         M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                           霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

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