真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

神我とは

 

 

 

『神我は父なる神、すべてを支配し給うみ霊、生ける大生命のみ子であり、すべての魂の中に宿っている。

聖霊とは、「吾は生命なり」と悟了したキリスト意識の完全なる現れである。

何ものもあなたたちを襲うことはできない、なぜならばわたしは裡なる征服者であるからである。

あなたたちが自分自身の情念(ハート)と精神との中でこの真理を感じ得るならばあなたたちもまた征服者であり、従って無礙自在であることを知るであろう。

かくて感官という悪魔は征服される。

 

『サタンよ、わが後ろに去れ』。 では神我を通して神を拝するがよい。その他に道はない、未だかってあったためしもない、形ばかりを除いては。

 

わたしはかつて生き、十字架につけられた者である。

 

しかし見よ、わたしは尚も永遠に生きている。 わたしは道であり、真理であり、生命である。

 

何人もわたしによるのでなければ父のみ許には参れぬ。

 

キリストとは至上無限の生命意識が世に顕現(あらわ)れたもののことである。

 

神我は真理であり、生命であり、すべてを神に結び合わせる愛である。

愛によってのみあなたたちは神と偕にあることができるのである。

 

それは神が愛だからである。

 

わたしは愛によって父なる神と一体である。

 

汝魂を尽くし、情念(ハート)を尽くし、心を尽くし、力を尽くして汝の神なる主を愛すべし。

 

汝の隣人を己自身のごとくに愛すべし。

 

 

    

 

       心身の神癒 - 主、再び語り給う

          マードゥ・マクドナルド・ベーン/仲里誠桔

 

 

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 参考、↓

 


  

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『心身の神癒―主再び語り給う』

 

 

この、『心身の神癒―主再び語り給うは、

私の生涯で、最も真実であると感銘を受けた著書の一つです。

(すでに絶版になっています。)

この、『心身の神癒―主再び語り給う』の著者であるマクドナルドペイン氏は、

その講話の中で、キリスト意識によって、下記のように紹介されています。

 

『われわれの愛するこの同胞〔著者〕は  若いときに〔真〕の祈り方を教えられた。  

子供の頃よりすでに霊導されていたので、彼の生涯は波瀾万丈であり、  多くの人々に聞かしてやりたい程である。  

彼は生まれつきの霊媒であり、  まだいたいけない子供の頃に  すでに顔が触れ合わさんばかりにわたしの顔を見たことがある。  

これなどは彼の数多い体験のひとつであった。  

大師達の法話の媒体となる方法を学ぶために彼はヒマラヤに連れて行かれ、 その結果わたし自身が彼に懸(か)かれるようになったのである。

やがて彼が世に出る時が来た。  健康に恵まれ、その魂は若い。 われわれはこれから先も長期にわたって彼を肉体の中にとどめておきたい。  

なぜなら、この地上における彼の仕事はまだ終わってはいないからである。 』

 

                                      (心身の神癒 第3話より

 

 

 

すなわち、

キリスト意識をできるだけ純粋に (フィルターがかからない状態で)全人類に伝える為に、 いろいろと学んできた方ということです。

さて、講話は全14話あり、 何度も読めば読むほどに新たな気づきと、心底からの安らぎを覚え、 また、深い感銘を受けています。

 

 

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備考、

   ①ここが、バーバネルとちがうところか?。

 

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(霊能者がタバコを吸いすぎたりアルコールを飲みすぎたり、そのほか生活面で真 理に忠実ではなく品行に問題がある場合は、それが霊能にも悪い影響を及ぼすか)

 

もちろんです。

 

いかなる霊媒能力、とくに精神的霊能について言えることは、その 霊能者の質が高ければ高いほど通信の内容も質が高いということです。

 

身体と精神 の質を落とすようなことは霊にとっても同じ影響が及びます。 忘れてならないのは、身体と精神と霊とは一体関係にあることです。

緊密な相互関 係があり、絶えずエネルギーや感情が行き交じっております。

 

💮霊の世界と物質の世界は実は一つの実在の二つの側面なのであり、お互いに影響し合っております。

両 者は融合し合っていて、はっきりとした境界線というものはないのです。

 

そのことを理解なされば、

 

物的身体に悪いものは霊的身体にも悪く、精神に良くな いものは霊にとっても良くなく、したがって霊の宮(からだ)を汚すようなことは 必ずその持ち主を通過して届けられる通信の質を汚すことになることがお分かりに なると思います。

 

理想を言えば完全であるに越したことはありません。

 

そうすれば完全な通信が得ら れることでしょう。が、

 

所詮、私たちが扱っているのは物質の世界に住む人間味た っぷりの道具です。

 

アルコールもタバコもほどほどにたしなむのであれば大した害 にはなりません。

 

ただし、

 

霊能者は常に理想を目指していなければなりません。

 

                                                                                          シルバーバーチ  (霊訓9 P235-6)

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備考、  

💮最高のものは、最高の状態から、生まれる。    

💮 実際に自分の肉体が真昼の太陽よりも遥かに強烈に輝くほどの強力な神の純白光 

 

 

 

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【心身の神癒】-主、再び語り給うー はしがき

 

 

 

はしがき

 

この講話が述べられるようになった経緯を説明するのは不可能と思われる、なぜなら説明したところで自分の意見を述べる丈であって、それも又不正確であるかも分からぬからである。しかしわたしの得た感じを読者諸氏に述べることはできよう。

この講話の始まる前数ヶ月間というもの、睡眠中、明らかにわたしに話しかけている或る声が聞こえては目を覚ましたものである。夢でも見ているのかと思ったが夢ではなく、ほんものの声であった。しかしそれがわたしの声であったか、それとも誰か他の者のそれであったかは定かではない。

その声を聞くと同時にその意味が推し量られるのが不思議であった。

こういう体験を幾度も繰り返した後、その声は、適当な時期が来れば特別の講話をしようというのであった。

いよいよその時期が到来した。するとその声は、出席者が選定されたら或る日の夜に話を始める、とおしえてくれた。その日以後は、講話の続いている間中は何人も入れてはならないこと、これらの講話は速記をし、テープ・レコードにも取って一語も失わぬようにしなければならぬこと、になった。

 

やがて指定の講話の夜が来て、わたしは講堂に坐をしめた。これから何が起きようとするのか、わたしは少なからず不安だった。丁度その時、千ボルトもの電流がわたしの全身を貫く感じがした。巨大な或る力。わたし自身の意識を遥かに超える或る意識がわたしに臨んでいるのを自覚したが、わたし自身の意識を失いはしなかった。それどころかわれわれは或る不思議な方法で結びついていたのである。しかしその方法はわたしには説明できない、なぜならわたしには解らないからである。

 

やがてわたしは自分の声を聞くことができた。しかしそれは何時ものわたしのそれとは違っいた。それは大いなる権威、絶対的英知をもてる人の権威を似て語っているのである。わたしは語られることに極めて注意深く耳を傾け、嘗て体験したこともない程明瞭それを理解しえたのであった。

語られる言葉には毛筋程の欠点もなく、講話のつづく間中淀むことなく、完璧であった。わたしは驚嘆した、なぜなら、かくの如きは何人の頭脳を以てしても真似ることができないからである。しかもそれが二週間長きに亘って各週毎に繰り返されたのである。

 

これらの講話をテープ・レコーダーで改めて聞いた時始めてわたしは、常ならぬまでに美しき何ものかが起きたことを思い知ったのである。読者諸氏はここにその語られたるものをみずから読むことができる。もしそれが、わたしや、これらのみ言葉を直接に聞く特権を得た人々に与えたように、慰めと満ち足りた思いとを読者に与えるのであれば、み言葉もまた無駄ではなかったことになる。

 

これらのみ言葉は、一語たりとも勝手に加えることなく、又一語たりとも勝手に削ってはいない。

 

    💮      💮      💮       💮       💮

 

 

同席した聴講者、聞法者たちの数多くの体験のうち、若干を次の数頁に録しておいた。                                                                                                                         

                

             M・マクドナルド・ベイン

 

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備考、

            まさに、奇跡の書、としか言いようがない。

                                                                               

                                                                                    たんきゅ者、蒼氓。

 

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7.「シルバーバーチの霊訓」の画期的な「人生観」「価値観」

 

唯物論者の「人生観・価値観」

 

 

唯物論者にとって人生とは、肉体生命が存続する間の物質世界での営みにすぎません。彼らは、死とともにすべてが消滅してしまう以上、一度限りの人生をできるだけ楽しく過ごさなければ損だと考えます。彼らにとっての”幸福”とは、

 

本能的欲望、を満たすこと以外の何ものでもありません。唯物論者たちは、肉体生命と肉体の健康、そして本能的快楽をもたらしてくれるお金や権力を「価値あるもの」と思っているのです。

 

 

現在の地球上では、お金に最大の価値をおく”金銭第一主義”が個人から社会・国家に至るたるまで共通の傾向になっています。人々の多くは宗教を信じているものの、

 

その生き方の実態は”唯物論者”と大差ありません

地球人類の大半が、モノやお金を重要視する

「物質的価値観」に翻弄され、物欲・肉欲の追求に走っています。できるだけお金を稼いで、たくさんのモノを手に入れたいと考えています。

 

立派な家や高級車を持ち、趣味や娯楽に興じ、

 

美食やセックスやアルコールなどの肉体的刺激を追い求めている人たちーー

 

彼らは本能に翻弄された人生を”幸福”だと思い込んでいるのです

 

しかし、そうした本能的快楽を心ゆくまで満喫できるのは、一部の金持ちに限られます。

 

そのため多くの人々は金持ちをうらやましがり、自分の不幸を嘆いて不満を募らせることになります。

 

人の妬みを買うほどの財産を手に入れ、物質的快楽・肉体的快楽に浸っていた人間も、

 

死の恐怖から逃れることはできません

 

否応なく忍び寄ってくる死を前にして、

 

大半の人間は恐怖や孤独感に苦しめられるようになります。死という避けられない宿命を前にしたとき、

唯物論者の幸福はあっという間に瓦解してしまいます。

 

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参考、

  

youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の寿命は天に定められている

 

 

東洋の「天命」という言葉は、私の立場から言っても深い真理を表した言葉である。人間の寿命は天が決めているものだからだ。幼くして死ぬ者もいれば、百歳近い長寿を保つ者もあるが、これはすべて天の定めるところなのだ。  

 

私は常に「人間は天国の種子だ」と言っている(もちろん地獄の種子でしかない人もいる)。それは、人は死してのち天国にいたる可能性を宿した存在だからだ。そして、そのためには、この種子は人間である間(天の理の定めた寿命の続く間)は、人間として自らの種子を育て、死してのちは天国に至る樹木として成長しなければならないようになっている。

この観点からも、人は天命をまっとうしなければならない。そのためには、その間は死の世界との直接の接触はしないほうがいいことになっている。  

人間には普通、自分の寿命などわからない。しかし、「天の理」にはわかっている。寿命は、霊の世界にあるそれぞれの人間の“戸籍簿”に登録されているようなものなのだ。  

このように、あの世とこの世はつながったひとつの世界なのだが、「天の理」は世界をそのようにつくりながら、一方ではそのことを人間にはわかりにくくしている。そして、ここに「天の理」の二段構え、三段構えの知恵が隠されている。   「天の理」の測りがたい知恵のことを知らないと、霊の世界のことは正確には理解しにくい。しかし「天の理」なるものが、この世もあの世も含めた全世界をつくっている根本原理だということだけは忘れないでほしい。

 

 

 

 

 

         エマニュエル・スウェデンボルグの 霊界 ―― Ⅱ

 

           人間は、霊界に支配されている

 

         E・スウェデンボルグ・著 今村光一・訳

            中央アート出版社 2000年刊

 

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その本来の使命は各自が自分の力で神との直接の繋がりを待つべきであり神保者(※)は無用であることを教えることにある。 (※キリスト教で説くイエスのように神との仲立ちをする者───訳者)

 

 

われわれメンバーにとってはシルバーバーチは同席しているメンバーとまったく変わらない実在の人物である。

彼が常に訴えるのは理性であり、行いの試金石は動機であり、望みとしているのは自分を役立てることのみである。

 

慈悲の心と思いやりと理解力に溢れるシルバーバーチは決して人を諌めることはしない、しばしば非難の矛先を組織へ向けることはあっても、決して個人へは向けない。

 

援助の要請も絶対に断らない。自分が役に立つ可能性があればいかなる労苦もいとわず、いかに難しい説明も試みてくれる。  

初めて出席した招待者が礼を述べると、シルバーバーチはきまって、

 

礼は神に述べなさいと言う。

そして〝私は一介の僕に過ぎず、

礼を述べていただくわけにはまいりません。

 

すべては神へ捧げるべきです〟と述べる。

 

と言うのも、シルバーバーチの主張するところによれば、

かつての使者によってもたらされたメッセージがその使者を崇める者たちによって影が薄くなってしまっている。

 

したがって我々がシルバーバーチに感謝するようになれば、それは何時かはシルバーバーチという使者を崇めてメッセージは二の次となり、ついには本来の使者を台無しにしてしまいかねないというのである。

 

その本来の使命は各自が自分の力で神との直接の繋がりを待つべきであり

 

神保者(※)は無用であることを教えることにある。 

 

(※キリスト教で説くイエスのように神との仲立ちをする者───訳者)

 

 

               シルバーバーチ霊訓(5)まえがき (編者)

 

 

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神の美について

 

神の美について

                                           

 

                                                          『ルーミー詩撰』

                                     メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

 

神の美について 1

 

 

 

王侯たちは大地に口づける、

大地は美をもたらすがゆえに。

神がその極上の杯から美をひとしずく

埃まみれのこの大地に混ぜ合わせたもうがゆえに。

 

優しき恋人よ、埃まみれの口づけでさえ

百の陶酔をもたらすならば

考えてもみよ、混じりけのない「それ」と

交わるときの歓喜はいかばかりか!

 

 

 

1. 『精神的マスナヴィー』5-372. 共有: 共有

 

 

 

 

 

 

ジャラール・ウッディーン・ルーミー   

1207年9月30日 - 1273年12月17日 ペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人である。

 

神秘主義(しんぴしゅぎ、英: mysticism)とは、絶対者(神、最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在)を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場のことである

 

 

 

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埃(ほこり)

 

 

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