真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

神は遠く離れた近づき難い存在ではなく自分の内部にいる

肝心なことは、魂が真の自分自身を見出し、全存在の源に触れることです。

神が遠く離れた近づき難い存在ではなく、自分の内部に宿っていること、従って困難や危機に遭遇した時に使用できる霊的な武器、力、貯え、潜在力がちゃんと備わっていることを知るべきです。

それだけではありません。 内部の莫大な潜在力とは別に、外部の無限の霊力の恩恵を受けることも出来るのです。

進化の階段を一つ一つ昇りながら、その一段ごとに、その霊格に合った霊が待機して、援助の手を差しのべてくれるのです。 これは大切な事実です。

 

 

 

             シルバーバーチの霊訓9

 

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大霊が定めた摂理は、新たに書き加えられることがなく、改訂版を出す必要も、修正されることもない。

摂理

大霊が定めた摂理は、新たに書き加えられることがなく、改訂版を出す必要も、修正されることもない。今働いている摂理は全て無限の過去から働いてきたものであり、これからも永遠に働き続ける、不変にして不滅のものである。大霊の摂理が行き届かなかったり、その枠から外れたりする者は一人もいない。良い行いをすれば霊性が増す。利己的な行いをすれば霊性が悪化する。それが自然の摂理であり、誤魔化しは不可能である。いくら懺悔を述べても、悪行がもたらす結果からは逃れられない。神は法則である。それさえ理解すれば、人生最大の秘密を学んだことになる。なぜなら、自然界が不変にして不可変、全智全能の法則によって、統治されていることを知れば、宇宙の創造活動の大機構の中にあって、誰一人として忘れ去られることがないと知るからである。人間に与えられている自由意思が混乱を引き起こす。

 

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危険がともなう、霊能開発。

質問、

「霊能開発の修行中の者が霊の救済活動に手をかけることについてはいかがでしょうか」 ?

 

 シルバーバーチ

「未熟な霊媒がそういう重大な仕事に手をつけるのは実に危険で、感心できません。暗闇の中で迷っている霊を救うには、高度な霊能を身につけた霊媒を必要とします。未熟な霊媒だと、その霊媒自身が憑依されて、いろいろと厄介なことになりかねません

 

 

     シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来

 

 

 

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参考、

 

自分がいちばんつらいと考えるのではなく、もっと悩み苦しんでいる人が、身近に、また遠くにいることを感じてほしいのです。

私のほうがまだ、彼らに手を貸す余力があるんじゃないかと。そのことに気づくと、自分のなかのうつろな部分が満たされます。

 

                                                                                                       日野原重明

 

青い鳥の

チルチル役を演じたのは

小学五年の時、その中の「幸せは外にではなく心の内に」というセリフが

私なりにわかってきたのは、九〇代の今です

 

                                                                                                       日野原重明

 

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丹波哲郎対談より。

 

 

池口恵観さん ( 高野山伝燈大阿闍梨 )

                      

僧侶の中でも最高 峰の位、高野山伝燈大阿闍梨でいらっし ゃる鹿児島最福寺 の池口惠觀さんを御紹介しています。     

今月も、大変興味深いお話が聞けました。僧侶の世界では、霊界の存在を否 定する方が多い中、池口さんは全く違った 考えをしています。

21世紀は、きっと宗教と科学の境界線はなくなり、西洋文化が 追求し続 けても判らなかった様々な事柄が、既に大昔から東洋文化が行き着い ていた事実に気付く時代でもあります。    

池口さんは、この激 動の時代に、厳しい「行」を通し、多くの人々の苦しみを自   分の苦しみとして、人の為だけに生きている方なのです。                         

 

                                                  生命は宇宙の一部

 

 

 

 

池口 

私たちは、霊を信じるから行が出来る。信じられなかったら行は出来ないんですね。  つまり、肉体はなくなったら土に帰る。魂=霊は残るんです。宇宙に偏満するんです。真言密教では「大宇宙大生命体」を「大日如来」というんです。その大生命体から生み出され、また大生命体に帰って行くのです。

丹波

まさにその通り。霊とは、宇宙全体の生命の一部分が我々に届いている。だから肉体など問題じゃないんですね。   ところで、池口さんは何故修行をするんですか。

 

 

                                            なぜ「行」をするのか

 

 

池口

1*いろろいな人達の苦しみを体験するわけにはいきませんから、苦しい「行」を通じて、皆さんの苦しみが、自分の苦しみとして解りたい。

そして、人の為になりたいと考えるからです。  

ただ「行」をして何かを悟っても、それで終わりだったら自分の為だけですから、それではだめなんです

「行」をすることは、人の為に生きるということなんです。

丹波

素晴らしいですね。大勢の者たちのカルマを、御自分が背負ってでも、やってやろうという意気込みで、伝統ある行者の家に生まれて来たんですね。  使命を感じていらっしゃることでしょう。

 

池口

何回生まれ変わってきても、皆さんの為になるような「行」をしたいというのが願いですね。 「行」では、八千本の護摩木を焚きます。それを弟子たちが私に渡して行くわけです。弟子の中に最後の護摩木を持ったまま、私に渡そうとして死んだ者がいます。ものすごく綺麗な顔をしていました。「行」をしている者は誰しも人の悩み・苦しみをお祈りしながら死んでいきたいと常に思っています。  

私も、読経しているときに、何とも言えないきれいな所へ行くときがありますが、そういう中にスーっとひかれて霊が離れていったのではないかと思いますね。

丹波

本当に素晴らしいお話が今日は聞けますね。

おっしゃるように、死ぬと言うより、肉体という着物を、どうやって脱ぎ捨てるかが問題なんですよね。

池口

そうですね。人の着物を破いたり(他殺)、自分の着物を破いたり(自殺)したら、この時は大変だと思いますね。  親(大日如来)から、せっかく頂いた着物ですから、大事にしなくてはいけないのに、粗末にしたら親は怒ります。  そういう時は、自分たちの魂が、すんなりと親の元には帰れないんですね。

そうしますと、どなたかに頼らないと成仏出来ないんです。

丹波

これを注釈すると、死んだ場合、守護霊様の指導が必ず必要です。守護霊様は私たちを常にガードしてくれています。こうしている今現在もそうです。そして、あの世の行くべきところへ連れていってくれます。  

だから、生きているときから守護霊様と親しまないといけません。守護霊様は、大勢の人達にやさしい心を持っている者を喜びますから、ガードしてもらいやすくなります。  これが、仏教で言う成仏ということになります。

池口

人を大事にし、人を喜ばすと「徳」として残る。それが、子供や孫に、そういう「徳の花」が咲くんですね。

丹波

徳」というのは、人の為に尽くした業績の集まりです。自分だけの為にやったことは「悪行」で、他人の為に尽くしたことは「善行」として積み重なるということですね。  

         

                                                     生命とは?

 

池口

生命とは、海の水をすくって、その水が再び海の中に帰っていく、そんなものだと思うんです。それが永遠なんです。それを信じるから「行」が出来るんです。

丹波

そうですね。生命が永遠なら、心に余裕が出来て、人の為に尽くそうと思えるわけです。  たとえば、車を運転していて、時間があれば、他人に道を譲ろうとします。「ありがとう」という合図に対して「いいんですよ」と答える。そうすると、一日気持ちがいいじゃないですか。でも、時間がなければ、我先にと争いになるでしょう。事故も起こすかも知れません。生命とは、時間があるどころじゃない、永遠なんですね。  如何に生きるかが、後々自分自身に帰ってくるんですね。 『情けは人の為ならず』です。人に対しての思いやりは、巡り巡って自分自身に返って来るんですね。 今日は本当に有意義な時間ありがとうございました。

                                                                                                                                      《おわり》 

 

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備考、

1*皆さんの苦しみが自分の苦しみとして解りたい、そして人の為になりたいと考えるからです。

をするということは、人の為に生きるということなのです

 

ほかの人の痛みをそのまま体験することはできません。けれども、

共感することならばできます。

 

                                                                                                              日野原重明

 

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神の公正

神の公正

 

霊界での体験を重ねていると、単なる推測による判断を超えて、そこの住民の生の精神活動の中へ深く入り込んでいく。その結果として私が得た教訓を集約すると、基本的な霊的真理は霊界へ来てから学ぶよりも地上において学んでおく方がはるかに効果的だということである。  不思議に思う方がいるかも知れないが、事実、地上において築いた精神に霊的要素が欠けていると、霊界入りしてからも空のままなのである。

そのハンディがどの程度の期間続くかは、『記憶がこしらえる世界』の見出しのところで幾つか例をあげたつもりである。  

高い界層へ行くほど知識を多く、かつ幅広く入手出来るようになることは既に述べた。それは、高い波長になるほど高い指導を受け易くなるからである。

ある時私は霊界入りしたばかりの人が明るい境涯で静かに座って体力の回復を待っているところを見かけ、その人達の思念とコンタクトしてみた。どうやらそれは

『自分はこんなに幸せと楽しさに浴するだけのことをしてきたのだろうか』ということだった。  

実は平凡な生活の中でもそれだけのことはしていたのである。

神の摂理に決して誤りはないのである。心が友愛に満ち、他人への思いやりの情を失わない限り、たとえ霊とか宗教とかに縁がなくても、霊界へ来ると自動的に同じ波長の境涯へと引き寄せられていくのである。そこは当然明るい境涯であろうし、そこでさらに霊力と知識とを身につけて、進歩も楽しみ容易なものとなることであろう。といって、後に残していく親友や友人との縁が切れる心配は無用である。

なぜなら高き者が低き者へ手を差し伸べることは常に可能だからである。  

ここでご注意申し上げなければならないのは、私の霊界での体験は主として英国とヨーロッパに関連したものばかりであることである。これは勿論私の思考形態と生活習慣によるわけである。人間各自にそれぞれの波長があるごとく、各国、各民族にもそれぞれの波長がある。それを思うと『神の創造的思念』の広大さは人間的創造力を超越する。  霊界の先輩達はそれを『大数学者であり同時に大芸術家である』と表現しているが、確かにそう表現する他に用語がないであろう。

 

                 私の霊界紀行

             F.C.スカルプソープ・著 近藤千雄・訳

 

 

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大切なのは今現在です

過去はもう過ぎ去ったのです。 これまでに犯した間違いは忘れることです。 皆さんは間違いを犯し、それから学ぶために地上へやって来たようなものです。

過ぎ去ったことは忘れることです。 大切なのは今現在です。 今、人のためになることをするのです。

どんな形でもよろしい。

自分が置かれた物的環境条件から考えて、無理でない範囲のことを行えばよろしい。

先のことをあまり考え過ぎてはいけません。 皆さんが皆さんの役目を果たしていれば、私たち霊は私たちの役目を果たします。

そして、そうした協調関係の中では絶対に挫折はないことを約束いたします。

 

               シルバーバーチの霊訓9

 

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ダスカロスとの質疑応答

 

ダスカロスとの質疑応答

あなたは、瞑想時間が1日に7時間にも及んだり、あるいはリトリートが何ヶ月や1年にも及ぶような方法には賛成しないと思いますが、どうでしょうか?

そのようなやり方は、ある伝統の中では適切かもしれませんが、私たちはキリストの教えの中で、奉仕にあることを考え、助けを求める同胞のために支援を放棄すべきではないと考えています。私たちは、世界との関わりを強調していますが、それらに隷属することではありません。ジョシュアも次のように述べています。

「わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです」

                      (新約、ヨハネによる福音書17:16)

 

適切な瞑想の時間については、どのように考えられますか?

このように考えては如何でしょうか。例えば、あなたが1本の“苗木”を持っているとしましょう。あなたは日当たりを考え、良い土壌をあたえ、毎日ある程度の水をやるとします。そうすれば、それは予定通りに育つでしょう。しかし、もしあなたがそれを太陽の強い炎天下にさらし、あるいは根にあふれるほどの水をやれば、それはしなびて枯れてしまうでしょう。

 

すなわち、瞑想をやりすぎると、瞑想過多の危険性として、瞑想期間と正常な意識時間との間に極端な分離感をつくり出してしまいます。私たちがお勧めするのは、1回15分程度を基本として、長くてもせいぜい20~30分程度の瞑想で、1日に2~3回程度でしょう。  私は、瞑想過多による神経システムの深刻なトラブルをいやというほど診てきました。私たちはまさしくこの世界に生きていて、弁証法的に現実世界と向かい合って行くべきなのです。  

 

より高いレベルのエクササイズや瞑想とは、原因、原理、イデア、そして法則を探求し、同期させて行くことであり、最終的には“一体化”させることを意味しています。それぞれの「実現性の循環」は、「全なる愛」、「全なる力」、「全なる智恵」という“神聖なる支配力”に従って働いています。これらの最も完全な生命の力と言うものは、私たちの「大天使的人間の形態」の内に存在しています。

 

真実の「エクスタシー」というものは、私たち自身を「神聖なる存在」と一体化することなのです。

 

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