美しいと思うには美意識の反応にすぎません。
宗教そのものは教会と何の関係もありません。
霊感のある人ー本当の意味で聖職者、つまり霊的能力を備えた人が民衆の要請に応えて神との取次をしてあげることと言ってもよいでしょう。
勿体ぶった神学的言説に基ずく行事をしたり信仰を告白することではありません。
教会でワインを飲んだからと言って、他の場所でワインを飲むよりも”宗教的”であるわけでわありません。
宗教的であることは宇宙の大霊の一部である自分を少しでもその大霊の御心に近づけることです。
内部の神性を発揮する上でプラスになることすることが宗教です。
その神性は人のために役立つ行為、愛他心、親切心、日々新たになろうという心がけ
ーどこにいても倒れている人を起こしてあげ弱った人を元気づけ、無気力な人の力になってあげ、病の人を癒し、真理と叡智を広め、不正を無くする行為となって表れます、
それが宗教です。
人間にはその人なりの宗教を実践する上で必要なものは全て授かっております、そのためにはまず、宗教とは*名僧知識が説くことを体系的にまとめることであるかのように考える、その誤った概念を捨て去ることです。
私どもは、どこかの礼拝のための建造物に出席することが神への義務が果たすことになるとは決して申しません。
出席される方は真面目な気持ちでそうされているかも知れませんが、真の宗教心はその人の生きざまの中でしか発揮されないのです。
各自の魂に内在する崇高なる霊性の働きと切り離されたところに宗教は存在しません
シルバーバーチの霊訓(三)
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備考、*名僧知識、仏道の悟りを開いた、すぐれた僧。