ですから、イザこちらの世界へ来た時は何の備えも出来ていないか、さもなければ、一から学び直さなければならないほど誤った思想・信仰によってぎゅうぎゅう詰めになっております。
本来そうしたものは地上の方が遥かに学びやすく、そのほうが自然なのです。
悲しみの人を慰め、迷える人を導き、悩める人を救うためには、自らが地上において苦難の極み、悲哀のドン底を体験しなければなりません。
自分自身の体験によって魂が感動した者でなければ人に法を説く資格ははありません。
教える立場に立つ者は自らが学ぶものとしての然るべき体験を積まなくてはなりません。
霊的教訓は他人から頂戴するものではありません。
艱難辛苦ー辛く、厳しく、難しく、苦しい体験の中で自らが学ばねばなりません。
それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です。
そうでなければ有難いのだが、と私も思うことがあります。
しかし側の者には分からないあなただけの密かな霊的覚醒、霊的悟り、魂の奥底からの法悦は、そうした辛い体験から得られるのものです。
なぜならその艱難辛苦こそ全ての疑念の誘惑を蹴散らし、祝福された霊として最後に安全の港へと送り届けてくれるからです。
これも神の摂理として定められた一つのパターンです。
霊的成就への道は楽には定められておりません。
九章 霊とは何か162p
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備考、スピリチュアリズムは、苦の哲学と言われるぐらいで、苦がなければ、地上にでる必要もないとまでいっつています。
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詩人は苦悩をも享楽する
永久の未完成これ完成である
宮沢賢治。