言葉は波動より 「たとえ神が何であるか知らないで、「吾、神なり」と発した言葉でさえ、あなたに影響およぼしますよ!」 「吾、神なり」という想いが神への一心集中なんです。 明想(=瞑想)ということは、一つのものへの一心集中…ということは神のみを考える、神以外のことを絶対に何も考えない…これが集中力なんですネ!
たとえ神が何であるか知らないで、「吾、神なり」と発した言葉でさえ、あなたに影響およぼしますよ。
知って発する言葉は、もっと力を及ぼしますね。
自分が神であるんだと、神は否定できないんだということが、わかって発する言葉というものは、これは「御言葉」となりますので、力ですからこれを「神言(しんげん)」というわけですよ。 神意識とは何かというと「想い」ですよ。だから、想念は実現の母と言って、あなた方の思ってる通りのものの波動しか出ないんですよ。
「吾、神なり」と発した前と、発した後のあなたというものは、再び元に戻ることはありません。
我神なりと思えば思うほど、あなたに神の波動は跳ね返ってきますね。
「吾、神なり」という想いは、あなた自身の内を清めます。
発声音は外を清めるんですよ。今ここで発せられた「吾神なり」という想い、波動は、全てに神の波動の影響をおよぼしますよ。全てにですよ。
この小さな雰囲気じゃないんです。宇宙全体にこの波動は伝わりますね。
そして宇宙全体から伝わったものが何処に跳ね返ってくるか?・・・ 今、発していますのでここに跳ね返って来ますよ。
これは時間がかかるもんじゃないんです。即時に跳ね返ってきますね。山彦のごとくなんですよ。
『放つものは得る』…太陽と同じこと。
太陽は常に燦然と光を放っているから常に光を得ているんですよ。 これが《循環の法則》です。