真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

また、霊界の団体がそれぞれに性格的にもよく似た霊たちばかりが集まったものだということも彼らの訪問からわかる。

 

 

 

私はしばしば霊の訪問を受けたとき、やってきたのは初めはひとりの霊かと思っていた。しかし、よくたしかめてみると、多くの霊が同時にやってきていたのに気づくという経験をしてきた。

 

彼らは、私とまるでひとりの霊のように受け答えするのでひとりと思ってしまうのだが、実はそうでなかったということが多かったのだ。これも彼らが、共通のものをつくりだしているためだった。

 

いまのヴィジョンとはやや違って、一種の雰囲気とでもいうべきものをつくりだしているわけだ。また、これは個々の霊ばかりではなくて、ひとつのグループの霊が共通のものをつくりだす。霊がそれぞれ自分の団体に属して生きていて、そのそれぞれの団体は、それぞれの団体に特有な雰囲気を所属の霊の全員に共通のものとして、つくりだしているということになろう。

 

霊は、個々の霊においてもグループにおいても心によって、いま述べたようなものをつくりだす。

 

そしてあるグループが共通につくりだしているものが、すなわち何度も述べてきた霊界のそれぞれの団体だと考えればわかりやすいに違いない。

 

また、霊がつくりだすいまのような雰囲気なるものは、人間にもかなり大きな影響を与えるものだ。

 

大ていの人はそれに気づかないが、私はそのような影響をいつも実際に見もし、感じもしてきた。

 

そしてそれはある場合には雰囲気で終わることもあれば、ある場合には目に見えるヴィジョンとなってくることもある。

 

天国の霊、とくに最上界の天国の霊が近づいてくるときには幸福な気持ちになるなどというのは、霊がつくりだしている雰囲気のせいにほかならない。

 

また同時に、これはヴィジョンを伴って現れることも多い。小さな赤ん坊がミルクを飲んでいるといった平和で心なごむヴィジョンが現れたりするときには、私の体験では、いつも心の無垢な上位の天国の霊がやってくるときであった。

 

霊の無垢なる心が、そういう形にみえるヴィジョンを生み出すのであった。これはどんなタイプの霊の場合も同じで、たとえば理知ににすぐれた霊が現れる場合には、それを示す知性の勝った鋭い顔つきの人物が、見えてきたりするといった具合である。

 

 

          続、スウェデン・ボルグの霊界からの手記

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 備考、 

曼荼羅は何を意味しているか、

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「地上で有名だった人とは別に、そちらえ行ってから有名になった人がいるものでしょうか」

 

 

 

 

「もちろんですとも。地上での名声は単なる”生まれに由来し”ほかに何の原因もない場合が多いものです。

 

生きざま、努力、苦労によって勝ち得たものでないばあいが多いのです。

 

そうした中で、全く名を知られず偉大さを認められなかった人物が、こちらに来てそれ相応しい評価を受けている人が大勢いるものです。

 

魂こそ消すに消せないパスポートなのです。」

 

 

            シルバーバーチの霊訓(2)

               9章 この世、そしてあの世

             シルビア・バーバネル編 近藤千雄訳

 

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備考、オーラに刻まれている。皆さん頑張って霊性を向上させましょう。

                            霊性進化途上の管理人。

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追記、霊性はコップで水を飲むように一揆には上がらない。一歩一歩です。

    皆様の霊性進化に役にたてば本望でございます。

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シルバーバーチ最高の言葉

霊訓の原文1霊的真理の光は少しづつ暗闇を貫いていくものですの最後の言葉、

「私たちは、いつも永遠の尺度でものを見つめながら仕事を進めているのです」

ラクルです、感動以外の何ものでもありません。

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バイブレーションとはなにか

            (バイブレーションとはなにか)  

 

生命のあるところには必ず運動があり、リズムがあり、鼓動があり、バイブレーションがあります。生命は活動せずにはいられないものです。静止したり惰性的になったりするものではありません。生命には常に運動が付随します。その運動を理解し、その意味を理解するには、まずその定義から始めなければなりません。

私がバイブレーションという時、

それはエネルギーの波動の形で顕現している生命のことで、無数の生命形態ないしは現象の一つを指しています。存在するものはすべて振動し、何かを放射し、活動しています。私たちがこうして地上へ働きかけることができるのもバイブレーションのおかげです。

私たちはふつう物的感覚の領域を超えたバイブレーションの世界で生活しております。言わばオクターブの高い世界です。霊的エネルギー、霊的パワー、霊的現象はことごとく

物質より感度の高い、微妙なバイブレーションから成り立っております。  

地上のように物質に浸りきり包み込まれている世界と交信するためには、次の二つのうちどちらかの方法を取らなければなりません。

 

すなわち、人間の側がその低いバイブレーションを高めてくれるか、それとも私たち霊の側がその高いバイブレーションを下げるかのどちらかです。

 

両方が歩み寄れば・・・・誰しもそうお考えになるでしょう。

ところが、どうしてどうして、なかなかそううまくは行かないのです。

いつも私たちの方が遠路はるばる下りて来なければなりません。

地上世界からの援助は多くを望めないのです。

この霊媒(モーリス・バーパネル)を使ってしゃべるために私は私の本来のバイブレーションを下げております。

その状態から脱け出て私の本来の界へ戻る時は、その界に合った意識を取り戻すためにバイブレーションを加速しなければなりません。

 

こうしたことは全てバイブレーションの操作によって行われるわけです。それを簡単に説明するにはバイブレーションという用語しか見当りません。

 

それにしても、長いあいだ霊的な分野のことにはいっさい耳を貸さず目を瞑ってきた科学者が、今になって物質の世界の謎を解くカギはバイブレーションにあるという認識をもち始めたことは興味ぶかいことです。

 

             『シルバー・バーチの霊訓(3)』(近藤千雄訳)    

                                                                                       

 

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 参考、

すべての物質は、固有の振動数を持つ。 マックス・プランク

ドイツの物理学者 量子論創始者の一人 量子論の父 ノーベル物理学賞受賞者 1858〜1947

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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霊的向上の道は自分で切り開かないといけない。

 

 

危険信号が見えた時は、いつも注意してあげているのですが、それが無視されて病気になる人がいるのは残念です。 が、全てはその人の責任というのが、私たち霊の教えの基本です。 許されることなら、代わって荷を背負ってあげたいと思ったことが何度もありました。 が、霊的向上の道は自分で切り開かないといけない以上、それは許されないのです。

 

 

                   シルバーバーチの霊訓 (11)

 

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もしも私がある人にとっての真理を説き、それを聞いてあなたが “私には信じられません” と正直に言っても、私は不愉快には思いません。

あなたへの愛の気持ちは少しも減りません。 なぜなら、あなたはこの地上で、あなたなりの理性、あなたなりの良識を使い、納得しないものは拒絶することで自己開発するようになっているからです。 その最終的な裁定者として、私が敬意を表している理性によって、あなたの賛同を得ることが出来なければ、それは私が役に立たなかったことを意味します。

 

                    シルバーバーチの霊訓(11)

 

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魂というものは開発されるほど単純さへ向かいますが、同時に奥行きを増します。

単純さと深遠さは 同じ棒の両端です。

 

作用と反作用とは科学的に言っても正反対であると同時に同一物です。

進歩は容易に得られるものではありません。

もともと容易に得られるように意図されていないのです。

われわれはお互いに生命の道の巡礼者であり、手にした霊的知識という杖が困難に際して支えに なってくれます。その杖にすがることです。

霊的知識という杖です。それを失っては進化の旅は続け られません。

 

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魂というものは開発されるほど単純さへ向かいますが、同時に奥行きを増します。単純さと深遠さは同じ棒の両端です。

 

私はつねづね二つの大切なことを申し上げております。一つは、知識の及ばない領域に踏み込むときは、その知識を基礎とした上での信仰心に頼りなさいということです。

それからもう一つは、つねに理性を忘れないようにということです。

理性による合理的判断力は神からの授かりものです。あなたにとっての合理性の基準にそぐわないものは遠慮なく拒否なさることです。理性も各自に成長度があり、成長した分だけ判断の基準も高まるものです。一見矛盾しているかに思える言説がいろいろとありますが、この合理性もその一つであり、一種のパラドックス(逆説)を含んでいますが、パラドックスは真理の象徴でもあるのです。

 

                                                 シルバーバーチ霊訓(6)

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参考、 

  

信仰と理性  

 

「神を感じるのは心情であって理性ではない。信仰とはそのようなものである。」

パスカルが言うように、信仰には理性を超えたところがある。古典的な三段論法を使えば、次のようになるだろう。

 もしも神がすべての存在に先立つ「存在」であり、われわれがその中に生きている自然も神の創造によるものだとすれば、まさしく神は自然を無限に超えていると言うべきである

ところで信仰とは、その神を信じることである。とすれば、信仰とはまさに超自然的行為に他ならない。  自然のものごとにさえ理性を超えたものが無数にある。

超自然的なことについては言うまでもないだろう。  だが、それは理性の役割を否定することでは決してない最初から理性を無視するようなら、それは信仰ではなく、迷信や盲信と呼ぶべきである

 

パスカルはこうも言っている。

理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。それを知るところまで行かなければ、理性は弱いものでしかない。」

ただし、気を付けよう。これは理性を徹底的に行使し、理性によってとらえられる限界までものごとを追求することを前提として述べられているのである。

その上で、理性は自らの限界を認め、限界を超える領域については、心情のはたらきにゆだねる ―― これこそ、すぐれて理性的行為と言うべきだろう。

 

警戒すべきはむしろ「理性を排除すること」と「理性しか認めないこと」という「二つの行き過ぎ」である。  

 

信仰と理性は両立できないというのは、だから間違った先入観である。

だれも自分が知らないことについては確信がもてないように、信仰も、学び知る努力を伴わなければ人は神を信じることもその教えを受け入れることもできないのである。

より良く知ることによって理性が納得し、心情が同意したとき、はじめてそれは深い信仰となりうる。

パスカルにならって言えば、「理性の服従と行使、そこに真のキリスト教がある。」

 

 

                

     

 

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参考YOUTUE動画 奇跡体験 アンビリバボー 死後の世界は存在する 

著書 プールフ・オブ・ヘブン 脳神経外科医が見た死後の世界 エベンアレグサンダー。

 

 

【ハーバードの脳神経外科医が自身の臨死体験を語る】「プルーフ・オブ・へブン」を超えた対話DVD    

                                                                                  動画。

 

  

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 しばらくお待ちください。ダブルクリックで

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備考、

妹、ベッツイはあの時、私の記憶の中に存在しない死者ですだから古い記憶が混ざった幻覚ではありえない

 

死者とあえる、幻覚ではない世界、それはもう、

死後の世界しかありえない。

 

そう私は確信いたしました。

           エベン・アレグサンダー。

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備考、

youtue動画。

 

 いかに 愛が全ての存在の本質であるか。

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 しばらくお待ちください。ダブルクリック。2分4秒から・・・

 

  

「プルーフ・オヴ・ヘブン」を超えた対話の中DVD予告。動画の中で2:05秒あたり。

信じがたいほど神聖で愛に満ちた存在がー

光るオオブのようなものと、遭遇したといっています

 

 

おそらく、私の個人の考えでは、光輝く高級霊です

 

                                蒼氓。

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恐怖の克服は、自分の中に神が存在することを知ればよい

 

恐怖は〔真理に対する〕理解を欠くところから我の造り出す一種の念力であって、生命が魂と肉体とを貫流するのを一時的に妨げる効果を来す。

もし外ならぬ自分こそが主であることが分かればあなたたちは恐怖するであろうか。

キリストこそが自分の神我であると知ればあなたたちは恐怖するであろうか。

 

神のみが実存し、〔すべては〕神の自己実現であり、神によって創造された存在である

あなたたちは決して神から引き離されうるものではないと知れば、あなたたは恐怖するであろうか。

 

十字架を見詰めてその与える教訓を知るがよい。あなたたちがたとえ責め苛まれ、手足に釘うたれて十字架につけられようと、あなたたちは父なる神を否認せずに押し通せるであろうか。

 

あなたたちの力は常にあなたたちと偕にある神、すなわち愛に肖(に)せて〔あなたたちを〕造り給うた神、にこそ負うのである。

恐怖は化学変化をもたらし身体を悪変化する効力を有(も)つ。

 

しかしそれらの状態を克服するには愛という解毒剤、宇宙における唯一、恒久の力を用いればよい。

 

あらゆる想念、動き、行いはことごとく身体に或る化学変化をもたらす。

 

人は恐怖と不安とによって自分 の身体構造を絶えず変化させつつあり、それが不調和なのである。

 

しかし愛は調和であり魂と身体との癒しである(*42)。 』

 

 

 

「心身の神癒 主、再び語り給う」1-79~83 

 

 

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「スウェーデンボルグの死後の世界」 ブルース・ヘンダーソン著 訳 鈴木泰之 監修高橋和夫

 

スウェーデンボルグは数回、古代キリシャの哲学者たちが当時のままに暮らしているアテネと名付けられた天界の共同社会を描いています。

 

そこは大きな都で、図書館・博物館・大学・法廷などがあり、またいろいろな商業活動もなされています。

 

そこのスポーツ試合、女性によってなされる刺繍、それに「霊的な方法による芸術的腕前を持った」職人のことも述べています。

個人の住まいは、そこに住む人の性格を反映します。

あなたの住まいも、あなたが何に気を使い、何を大事にしているかといったあなたの性格をかなり物語っています。

天界では、もっとそうなります。各人の家は神からの贈物であり、どの天使の性格や個性にも完全に似合ったものです。

事実、あなたの永遠の家は、天界にあろうと地獄にあろうと、すぐに自分のものだと分かるほど自分の一部なのです。

これは、この世の生活を通して設計し建築したものだからです。

この家が永遠にあなたの住まいとなります。

 

この住まいは、完全で平和な秩序を持った国にあります。

スウェーデンボルグは、神から広がり出た相互愛の(スフィア)「霊気」が天使たちの社会に行き渡っている天界の統治形態も描いています。これは多くの人が望む統治です。論争やエゴがなく、支配よりも仕えることに専心する人々の統治を想像するのは難しいかもしれませんが、このことが統治を天界のものにします。そこでは天使たちは、ただお互いにとって最善なことだけを望みます。それで天界での統治は私たちのものと非常に異なっています。

 

そこの統治者たちをスウェーデンボルグは次のように描いています。

 

・・・他のだれよりも愛と知恵にすぐれ、だれにでも愛から善を願い、知恵から善をどのように与えたらよいかを知っている。

 

このような人は、支配したり命令したりしないで、奉仕し仕える・・・

 

自分を他人よりも偉い者としないで、劣る者とし、社会と隣人の善を優先し、自分のことを後回しにする・・・。

 

それでも、統治者たちにも名誉と栄光がある。彼らは共同社会の中心に、他のものよりも高いところにある荘厳な邸宅に住んでいる。

 

けれども、この名誉と栄光を受けているのは、自分のためではなく、従順のためである。この名誉と栄光はじつに主から与えられたものであり、よれゆえ従わねばならないものである。とそこのだれもが知っている。

 

スウェーデンボルグは地獄の統治も描いていますが、天界と地獄を対比させてみれば、その正反対の性質を知ることができるでしょう。

地獄でも統治は欠くことができません。「なぜなら、統治がなくては、そこの人々を拘束できないからです。しかし地獄の統治は天界の統治と正反対のものである。

 

だれもが他人を支配し、頂点に立とうとする。自分の側に来ない者を憎み、復讐し、暴力による危害を加える。

 

自己愛とはこうしたものである。

 

こうして最も悪い者が支配し、他の者は恐怖から服従するのである。」

 

 

          第5章 天の御国103p

 

 

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