真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

第六話 70~80 

 

70

あなたたちの理想像が明らかとなるにつれて父なる神が益々美しく映じてくる。魂は内なる目の通りのものを示現するのである。

 

 

71

此の事があなたたちを誘い、終わりなき光の流れに乗らしめ、遂にその本源に到達するまで前へ前へと進ませるのである。

 

 

 

72

父なる神は、われわれが父なる神の謙虚さを以て拝する時始めてその偉大さを現わし給い、かくして父はその至上無二の愛もて一切のものを安全なる箇所へと挙げ給う。

 

 

73

二千年前わたしはひとつの寓話を与えた。それは放蕩息子(の話)と称されている。あなたたちがそのその寓話をもう一度読み直すならば父の愛の深さが解るであろう。

 

 

 

74

 

何人も父なる神から引き離されることはできない。最も不従順な子でさえそうである。しかもそのような子ほど、従順な子よりも愛が一層必要なのである。

 

 

 

75

この事がわかると父なる神の慈み深き愛に対する敬慕で一杯となる。なぜならわたしたちの神は人間心の中で造り上げられたあらゆる神々を超越してい給うからであり、わたしたちの父にして母なる神はおよそ人間の考え及ぶ最上の観念をも超越してい給うからである。

 

 

 

76

しかしわたしたちは、開かれた心を以てすれば、わたしたちの父にして母なる神の栄光を目のあたりに拝するようになる。それとともにあなたたちは変貌して、神の似姿となり、まさしく神我なるみ霊、すなわち神の子として父なる神を示現しつつ栄光より栄光へと至る。

 

77

父を認知するのは神我たる息子である。神我はあなたたちの裡なるみ霊でもある。あなたたちがそれを認め、かつ体認するならば、神我はわたしにして下さったことをあなたたちの為にもして下さるだろう。又、あなたたちがわたしを信ずるならば、もっと偉(おお)いなることを為すであろう。わたしは、あなたたちに父なる神を啓示する神我だからである。

 

78

 わたしの祝福された母(聖母マリア)が悟ったのはこの事であり 、母の理想像によってわたしは化身したのである。わたし(神我)は肉となった言葉である。

 

79

地上におけるあなたたちの母堂達は神に近く、あなたたちにとっても神にとっても愛しき者である。あなたたちの為に彼女らの払った犠牲が彼女らに与える悦びを想像してみるがよい。

 

80

母の愛に近づけば近づく程あなたたちは万物の中に顕現しつつある父の愛に近づく。

 

 

 

 

 

                      心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                     M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                       霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

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第六話 21~26  あなたたちが今後み霊の意識からのみ機能するようになれば、あなたたちの肉体は一層精妙となり、瞬間的に(内在のみ霊、意識に)服従するようになる。

 

 

 

21

わたしがあなたたちに教えている教理に反してさまざまの分離を惹き起こす人々に気をつけるがよい。分離は人の心の中のみにあるのであって、それ以外にあったためしは決してないのである。そしてこの分離は無智から生れる。

 

22

あなたたちが今後み霊の意識からのみ機能するようになれば、あなたたちの肉体は一層精妙となり、瞬間的に(内在のみ霊、意識に)服従するようになる。

 

 

23

これらの言葉すなわち、あなたたちが今すでに霊であることの重大性が理解出来さえすれば、霊的存在者となるのに何も肉体離脱(即ち死)まで待つ必要はない。あなたたちは既に霊的存在であって、始めからそうだったのである。

 

 

24

そしてもし神我の力に依り頼む時になって自分の本源を悟っているならば、あなたたちは肉体感官を超越した力を発揮するであろう。

 

 

25

神我には一切が既知ではあるが、人がその神我を開顕する時までは彼の裡なる意識にすべてが啓示されるわけではない。開顕した時裡なるみ霊はその栄光、その力、その髄質、その愛、その平安を啓示するであろう。心の静穏を通じてのみ真理は真理自身を展示する。

 

 

26

それなら、肉体感官の中に埋没しているあなたたちが断固として霊的(な自覚者)となり、かくして感官から来る雑多な示唆を認容することを拒否するならば、あなたたちは今の今、あらゆるものの支配者であることを断乎として宣言することができるのである。 

 

 

 

                    心身の神癒 : 主、再び語り給う                                             

                           M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                   

                                            霞ケ関書房, 1972   

 

 

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「既知」の意味はすでに知っていること。

 

 (「だんこ(断乎)」を強めていう語) 態度が非常につよく、きっぱりとしているさま。※

 

 

 

 

 

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第六話 11~20 先づ根元に唯一無二の本源から流れる唯一無二の生命があり、唯一無二の神霊がありとしあらゆるものの中に御みずからを顕現し給いつつあるのである。

11

あなたたちの中に宿り給う父なる神はあなたたちの意識を通じておんみずからを啓示し給う、なぜならあなたたちの意識が父なる神を表現する手段だからである。"i am(吾は神なり)という力の大いなる秘密があなたたち自身の意識の中にあることを自覚せよ。”i am" (吾は神なり)なる力の言葉を口にせよ、そうすればあなたたちの意識はその背後にある巨大なる力を実現するであろう。宇宙は分割されるものではなく『全一』なのである。

 

12

聖なる神殿(肉体)を毎日神我の生命の力強い、かつ断定的な波動で満たし、周囲の雰囲気を、肉の感官を超えて、昇華させよ。

 

13

あなたたちの中で父なる神が働いておられる。そのお働きに失敗はありえないのであるから、あなたたちが真理の中へ生長していくのは極めて容易であり自然である。

 

14

あなたたちは一人で生きているのではない。あなたたちは自力で生きていると思っているがそれは感官の幻覚であって、生命に分割はなく、われわれの間には分離はないのである。

 

 

15

先づ根元に唯一無二の本源から流れる唯一無二の生命があり、唯一無二の神霊がありとしあらゆるものの中に御みずからを顕現し給いつつあるのである。

 

16

あなたたちの裡なる意識が少しでも「無限なる意識」から離れれば、無限者は無限ではあり得なくなる。地上における一個の生ける存在であるあなたたちが神から離れるならば、神は無限ではありえなくなる。(人は)自分一人生き得るものではなく、何処にいようと(神よりの)分離なるものはないことを、今こそあなたたちは明確に悟ったであろう。

 

17

この真理を理解するにあたって、全宇宙を充たしているこの可塑的な質量(13)を示すのに用いられた象微は『水』(創世記一章三節)であったが、現代ではこれを示すのに、他の言葉、例えば「電子的資料」、あるいは「エーテル空間」などが用いられている。

 

18

あなたたちは、地球という界層に起きつつある多くの科学的発展に気づいてはいるが、宇宙のもろもろの秘密に参入するのは霊的なものに関する智識によってのみであることを知るであろう。

 

19

もしも科学者達がみ霊からやってくるインスピレーションに彼らの心を全開するならば、偉大にして強大なる事が幾つも啓示され得るであろう。

 

20

今やそうなる日が近づきつつある。その時、この世界と全体としての宇宙との関係が一層よく理解され、あなたたちの住んでいる世界が全宇宙の中に在ることが明瞭に示されるであろう。全宇宙を形成している電子的質量の一部は(もろもろの)形態として塑成されるが、(これらの形態は)依然として(この)唯一の(根元的)質量全体の中に在ってそれより切り離されることは決してない強大なる力、即ち神のみ霊ーー創造する神我ーーも又このようにしてあなたたちの裡に宿り給うのである。これが人の裡なる生命である。わたしは霊、神の分霊、太初にあった言葉である。

 

 

 

 

 

                   心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                  M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                       霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

 

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コリント人への手紙第一13:1-8  

 

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、

 

愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

 

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、

 

愛がないなら、何の値うちもありません。

 

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、

 

愛がなければ、何の役にも立ちません。

 

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。

 

愛は自慢せず、高慢になりません。

 

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。

 

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

 

愛は決して絶えることがありません。

 

 

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愛は全宇宙の中心である。

この中心より絶えざる愛の流れがすべての魂、生きとし生けるものを通じて流れている。

花々を通じ、動物たちを通じ、人間と天使たちとを通じて、この愛が中心の泉より絶え間なく流れ、

 

愛自身の相(すがた)を永遠に表現わしている。

 

 

 

                     心身の神癒

 

                      ー主、再び語り給うー

 

                                   M・マクドナルド・ベイン著

                                                仲里誠吉訳

 

 

 

 どれも、素晴らしい御言葉です。

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第六話 吾を死より挙げ給いし父のみ霊汝等の中に住給う。

      

 

                        第   六   話

 

 

 

        吾を死より挙げ給いし父のみ霊汝等の中に住給う。

 

 

 

1

わたしを『死』より挙げ給うた父なる神のみ霊があなたたちの中に宿っい給う。

 

 

2

この言葉の重大性が多分あなたたちにはよく解っていないであろう。しかしそれは全く同一のみ霊であって、み霊に区切りはなく、唯一無二のみ霊が多の中に顕現し、多は一(なるみ霊)の中に存在しているのである。

 

3

わたしがわたし自身の生命の中に完全に観たのはこの巨大なる力であった。それに気づくことによってわたしは、わたしの中に宿り給う父なる神のみ霊の力を用いることができたのである。わたしを死者から挙げ給うたこの父のみ霊があなたたちの中にも又ましますのである。

 

4

あなたたちの肉体感覚が不調、苦痛、死を示したら、自分の中に留どまり給う父のみ霊を思い出すがよい。

 

5

(吾は神なり)という力の言葉によってそれ(父のみ霊)を喚び起してみ霊を顕現させるがよい。『吾、神なり』という言葉の意味があなたたちに十分に理解されているであろうか。

 

6

その本当の意味が解らなければ『吾、実在の中に在り』という言葉は出せない。"i am"という言葉の意味が解って始めて、あなたたちは力の言葉を学び取ったことになるのである。『わたしは生命である』。神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり、神は生命である。

 

7

故にわたしの霊はあなたたちの肉の身に生命を与え、感官という悪魔はあなたたち(の真我)に屈服するであろう。

 

8

自分の裡に宿り給うみ霊の内在力、という真理にあなたたちを盲目にしてきたのは、常にこの感官という悪魔であった。

 

9

感官は物事を外側から示してみせるが、神のみ霊は真理を内側から啓示し給う。この真理を身につけていないと、人は無力である。

 

10

肉の感官は物事を外から見るだけであり、しかも見たところのものの実相を知らない。ただ知能だけによって推理するのみである。それは霊感を受けない。もともと霊感は内部より来るものだからである。

 

 

 

 

      心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                  M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                       霞ケ関書房, 1972   

 

 備考、

 

  感官=感覚器官又その働き。

 

 

 

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第六話 66~70   神には分離はないのである。いかなる所にも分離はありえないのである。

 

66

わたしが穴をあけるためにやってきた二千年前当時の無智は、今猶その多くが残っている。伝統宗教(複数)には殆ど変化がない。

 

67

これ程多数の分離、これ程多数の闘争は宗教各派によって惹き起こされてきたのである。しかし今やあなたたちが悟ったように、神には分離はないのである。いかなる所にも分離はありえないのである。

 

68

分離は人間心における無智より生ずる。それでは、これほどの無智でも融かし去ることができるであろうか、出来る。今や現界に迫りつつある霊的影響がこの無智という霧を融かし始めつつある。そしてあなたたちと、益々増えるあなたたちのような人々がこの霧を融かし去る媒体なのである。

 

69

沈思考の時間(複数)にこの真理を悟得するならば、あなたたちの周囲の雰囲気には英智と愛とが立ち籠めるであろう。あなたたちの愛と平安とは世界の助けとなるであろう。

 

70

あなたたちの理想像が明らかとなるにつれて父なる神が益々美しく映じてくる。魂は内なる目の通りのものを示現するのである。

 

 

 

 

     心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                  M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                       霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

 

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第六話 61~65

61

神の音楽、愛、英知は魂を通じてそれ自身を現す。このようにしてあなたたちはそれが自分の肉体に顕現するのを意識する。わたしの平安と愛とをもたらし、わたしの平安と愛とをあなたたちにの許にとどめる、とわたしが云うのもその為である。

 

62

あなたたちの理解を絶したことをどうしたら説き明かすことができるであろうか。ただもうあなたたち自身の魂をわたしに開くことである、そうすればわたしの思念があなたたちの中に顕現するであろう。

 

63

父なる神は常に最高の理想をも超えている。あなたたちは成長するにつれて生命の息なる父をより多く示現するようになる。

 

64

地の面に霧が深く立ち籠めてはいるが、光りがその中を貫き始めており、あなたたちの世代で益々多くの人々が真理を理解し、知り始めつつある。

 

65

現在のところあなたたちは霧を通して仄かに見、かつ一部を知るだけであるが、あなたたちのことが(神や天使達によって)一部始終知られているように、あなたたちも又いずれは知るようになる。

 

 

 

 

 

     心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                  M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                       霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

 

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第六話 50~54 もしこの同胞が瞑想し、静かに坐って彼自身の意識の内界に再び入るならば、一切がそこに刻印されているのを発見するであろう、そしてわたしが伝えたものを全部再現することができるのである。この連続講話の後、彼は今まで以上に真理示現の大いなる器となるのであるが、それはこの為なのである。

50

一つの心から他の心、あるいは一つの意識から他の意識への直接交感通信というのがある。離れた所から甲が乙に話しているのを聞くためにあなたたちの世界で用いている仕掛けと丁度同じような直接の通信方法がある。

 

 

51

此処でも同じことである。上(霊界)にある通りに下(現界)でもその通りに成る。一つの心から他の心への直接交感通信(テレパシック・コミュニケーション)というのがある。そういう仕事にたずさわるために訓練された心はわたしの与える想念を表現する。

 

52

この同胞(著者)の意識が果敢なき感官を超え、肉体の感官を超えて、内界の意識にまで高揚されているのに注目するがよい。彼の意識は(わたしの)意識に繋がれ、それから脳や肉体を音響版のように使って彼の肉体に移し戻される。

 

53

この過程が進行している間中彼は事の推移一切を意識しているのであるが、わたしの神懸りによる想念伝達が終わると、それまで出来事一切についての意識を失い、彼の背後に仕掛けられたテープ・レコーダーで改めて聞き直して始めて解るようになるのである。

 

54

もしこの同胞が瞑想し、静かに坐って彼自身の意識の内界に再び入るならば、一切がそこに刻印されているのを発見するであろう、そしてわたしが伝えたものを全部再現することができるのである。この連続講話の後、彼は今まで以上に真理示現の大いなる器となるのであるが、それはこの為なのである。

   

 

 

      心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                     

                                  M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                        

                                                       霞ケ関書房, 1972   

 

 

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