真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

  「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

第六話 21~26  あなたたちが今後み霊の意識からのみ機能するようになれば、あなたたちの肉体は一層精妙となり、瞬間的に(内在のみ霊、意識に)服従するようになる。

 

 

 

21

わたしがあなたたちに教えている教理に反してさまざまの分離を惹き起こす人々に気をつけるがよい。分離は人の心の中のみにあるのであって、それ以外にあったためしは決してないのである。そしてこの分離は無智から生れる。

 

22

あなたたちが今後み霊の意識からのみ機能するようになれば、あなたたちの肉体は一層精妙となり、瞬間的に(内在のみ霊、意識に)服従するようになる。

 

 

23

これらの言葉すなわち、あなたたちが今すでに霊であることの重大性が理解出来さえすれば、霊的存在者となるのに何も肉体離脱(即ち死)まで待つ必要はない。あなたたちは既に霊的存在であって、始めからそうだったのである。

 

 

24

そしてもし神我の力に依り頼む時になって自分の本源を悟っているならば、あなたたちは肉体感官を超越した力を発揮するであろう。

 

 

25

神我には一切が既知ではあるが、人がその神我を開顕する時までは彼の裡なる意識にすべてが啓示されるわけではない。開顕した時裡なるみ霊はその栄光、その力、その髄質、その愛、その平安を啓示するであろう。心の静穏を通じてのみ真理は真理自身を展示する。

 

 

26

それなら、肉体感官の中に埋没しているあなたたちが断固として霊的(な自覚者)となり、かくして感官から来る雑多な示唆を認容することを拒否するならば、あなたたちは今の今、あらゆるものの支配者であることを断乎として宣言することができるのである。 

 

 

 

                    心身の神癒 : 主、再び語り給う                                             

                           M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                   

                                            霞ケ関書房, 1972   

 

 

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「既知」の意味はすでに知っていること。

 

 (「だんこ(断乎)」を強めていう語) 態度が非常につよく、きっぱりとしているさま。※

 

 

 

 

 

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