真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

改稿。令和、初日、5月1日の出来事。 今日、わたしは憎しみ(正義)を愛に変えた。そこには、もの凄い心の葛藤があった。それは永遠の赦しを意味する。

改稿。追記あり

 

 追記5月11日

 

22

 

愛はあらゆる非行の上に覆(ベール)をかける。しかし憎しみは闘いをかきたてる。

心の二重性(善・悪・美・醜など)に住むことなく、み霊の位置体性(み霊において万物、万人一体)を求めよ。

 

23

 

あなたたちは非行の上に愛の覆(ベール)をかけなければならなぬ。そうすれば憎しみが心にはいることはない。愛のこの強大なる力はあらゆる物事に打ち克つ。

愛は神のもの、善・悪は人の心のものである。

 

24

 

たとえどんなことをされても、たとえまたどんなことを云われようとも、仕返しを求めてはならぬ。あなたたちの胸(ハート)が愛に満たされなければ、愛の現れようがないからである。あなたたちの胸(ハート)を神我)に与え切り、かくて神我があなたたちの胸(ハート)を完全に占領して始めて自由は実現するのである。

 

 

                

            心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                

          M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                   

              霞ケ関書房, 1972   

 

  

 

令和、初日、5月1日の私的出来事を抽象的表現で説明しています。自分自身の心の葛藤を表現しています。何かの参考になれば幸いです。実際書かずにおれなかったのが事実なのです。リアルすぎるかもしれません。

 

 例えて言えば。

自分の死刑執行人に花束をあげれるか。平静でいられるか・・・

 

十字架上のイエスを想像した、あれに比べればたいしたことはない・・・。

 十字架上のイエスはあの状態でも、人々を赦していた・・・

 それにくらべれば、わたしの事は、ごみ、みたいなものです。

 

 

 

 参考。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)。イエスを十字架にかけた人々は、イエスがメシヤとわかっていなかったので彼らの行動の重要さに気づいていませんでした。彼らがこの真実に気づいていなかったからといって赦しをうける権利はありませんが、イエスの、罵声と暴力を受けながらのこのいのりはイエスの底知れない哀れみと恵みを表しているのです。

 

 

 

  

神の愛のメッセンジャーにふさわしい行動がとれたか・・・ 

  

自我との戦いで、自分を無くした。自分の正義を封印した。愛(みんなの調和のために愛の役者を演じた)。演じきった。抵抗はなかった。よれより全てが良い方向にいったように思えた。ただ、自分の正義感だけが、わだかまった。

 

そこには、もの凄い心の葛藤があった。

 

 

今日、わたしは憎しみを(正義)捨て愛を与えた(演じた)役者のようにね。 

 

 自分の死刑執行人に、大きな花束を上げた。 

 

 許しの言葉が書いてあった。この言葉と自分の(正義)とのこころの葛藤である。

 

これはわたしの、バイブルです。家の壁に貼ってある。

 

第三話 73 第十四話 75

 

 

心身の神癒 

 

第十四話。

 75

弟子は幾度赦したらよいか、七度か、とペテロは聞いた。(その時の)わたしの言葉は七度の七十度であったことが(聖書に)録されているではないか。それは永遠の赦しを意味する。天にましますあなたの父は、あなたたちが赦しを求めたその瞬間に、み胸の中であなたたちを赦してい給うのである。あなたたちも又そうでなければならない。

 

 

 第三話 

 73

愛は恐れを駆逐し、不義に抵抗しない。返すに愛を以てする時、心平安となる。その時始めて父なる神は働き給いすべてを克服し給う。不義に怒れば、心は騒ぎ乱れ、羨み、嫉み、怒りにみたされれば、愛は消える。愛こそはかくのごときものすべてを消し去るこの世における唯ひとつの力である。

 

                 

 

赦しの葛藤でもあった。そこには言葉でいえぬ葛藤があった。でもこのようなことで成長してゆくのかもしれない。試みかも知れない。

 

 すべて、心の葛藤である。(霊の葛藤)

 

すべて、父、(神によるおぼしめしである)小心者の私がいかに小さな人間かわかった。これは、望月ケアマネジャーさんのアドバイスと真理(父、高級霊)わたしのこころの中の思考、おかげである。

                                                           

昔のわたしならば、正義感を振り回しどうなっていたか・・・、正義より、愛、みんなの愛大事にした。正義はあやうい。

 

これも、霊性の涵養的成長か。昔の自分とは違うのがあきらかだ。

   

 

すべて、良い方向へいったと思う。

 

 

ゆえに、今回の体験からこれだけの教えが、書けた。まるで全てが計画されたようだと後で解った。父、聖霊に感謝・・・心の涙がこぼれた。

 

 

 

第 三話 71

静かなる瞑想と悟りの時間はあなたたちの意識に神我の完全さをもたらす。その後はもはやあなたたちは外部の状態を顧慮する必要はなくなる。不調和に影響されることもなくなる。それ自身愛であり、英知であり、久遠の真理であるものと偕なるが故に、あなたたちは常に平静であり平安である。

 

 

第三話 72

愛を求めるな!愛を与えよ!これこそが霊の真の栄養である。いかなる場合にせよ愛ある処、憎しみと羨みと嫉みとは消えるからである。

 

 

第三話 73

愛は恐れを駆逐し、不義に抵抗しない。返すに愛を以てする時、心平安となる。その時始めて父なる神は働き給いすべてを克服し給う。不義に怒れば、心は騒ぎ乱れ、羨み、嫉み、怒りにみたされれば、愛は消える。愛こそはかくのごときものすべてを消し去るこの世における唯ひとつの力である。

 

  

第三話 74

心平安となって始めてあなたたちの中に神がおんみずからを顕現することが可能となるのである。

 

 

第三話 75

およそ存在する唯ひとつの力は愛の力である。愛の力こそが平和と調和とをもたらす。神我の前には、爾余のすべては過ぎ逝き、無の中に融け去る。わたしは主(ロード)である。わたしはすでに打ち勝った。あなたたちも又そうなのである。何ものもあなたたちを傷付けることはできない。なぜならば、あなたたちは肉を纏える神であるからである。

 

第五話  93

 あなたたちはいろいろな誤ちを犯しはするが、それが身を助ける体験となる。恐れるな、いたずらに過去を悔やみもするな。強大なる久遠の愛が到る処で、恒に今、愛自信を顕現(あらわそう)そう、顕現そうとしていることを知れ。

 

 

 

 

あらたに、5月5日早朝にこの文書を読む。

まるで、イエスキリストが近くで話しているかのように感じたことを告白する。

感動のあまり、涙してしまったことを告白する・・・

 

 

                                                                                                          蒼氓。

 

 

 

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追記、

5月6日 、わたしに知らせるように、この一文に出会った。

 

何ということだ!

 

 

第七話     119

 

わたしを念ずるがよい、そうすればわたしはあなたたちの許に来、あなたたちはわたしを知るであろう。わたしは決して何人からも顔をそむけることはしない。ただ心を穏やかにして、わたしを念ずるがよい。

 

  

                                                                             

                                                                                              心身の神癒

          

        一切の言葉が出なかった、しばらく、無言で過ごしたとおもう。

 

 

                                                                                                               蒼氓。

 

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六話 72

 

父なる神は、われわれが父なる神の謙虚さを以て拝する時始めてその偉大さを現わし給い、かくして父はその必上無二の愛もて一切のものを安全なる箇所へと挙げ給う。

 

 

 第八話 135

 

わたしは世にあるすべての人々を愛する。わたしはあなたたちと偕に世にあり、天国を地上にもたらすために働く、この事をなすためにわたしは遣わされたのである。

 

第十話 24

 

たとえどのようなことをされても、たとえまたどんなことを云われようとも、仕返しを求めてはならぬ。あなたたちの胸(ハート)が愛に満たされなければ、愛の現われようがないからである。あなたたちの胸(ハート)を神我(キリスト)に与え切り、かくて神我(キリスト)があなたたちの胸(ハート)を完全に占領して始めて自由は実現するのである。

 

 

第十三話 92

愛は理解されなくても親切にし、咎めることなく、不正に堪え忍ぶ。

 

 

第十三話 94

 

愛はあらゆる力ではあるが、謙譲(へりくだり)である。愛は空虚な誇示をすることはなく、その業蹟を誇ることもない。

 

 

 第十三話 95

 

愛に決して失敗はない。愛は神であり、神は愛であるからである。

 

 

第十四話 34

 

人は幾度も幾度も人によって傷つけられ、自分自身の愚行によって十字架につけられて始めて彼は、神の分霊(キリスト)を通してすべてのものが「大いなる一体」であることに開眼する。

 

 

 

 第十四話 46

 

あなたたちの中に世の光りは輝く。故にその光りを只の言葉だけではなく行為によって示すがよい。

 

 

第六話 10 

肉の感官は物事を外から見るだけであり、しかも見たところのものの実相を知らない。ただ知能だけによって推理するのみである。それは霊感を受けない。もともと霊感は内部より来るものだからである。

                         

 

               心身の神癒より

 

 

 

 

     就寝まえ瞑想のあと。     

 

 

            わたしは父、神にへりくだって感謝の祈りを捧げた。

 

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後日、全てが正しかったといえる。父、聖霊の恩寵であります。

 

ただ、感謝の祈りしかない。赦しの教えは全く正しい。 

 父に、へりくだって感謝の祈りしかない。

                            蒼氓

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悲しいことも そっと抱いてごらん それは優しさに いつか変わるんだ

 

この世界には 愛があふれてる 幸せを願う その声に応えて

 

愛の波動を出してゆこう・・・ 

 

そうすれば愛の共鳴が帰ってくるよ・・・

 

こだまのようにね

 

憎しみは捨てよう。

 

みんなに愛の波動を送るよ・・・

 

読んでくれて、ありがとう。

 

 

 

                                                                                                                     蒼氓

 

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第六話 36~40

36

わたしは父によってあらゆるものを引き渡されている。父の他に子を知るものはなく、子の他に父を知る者はない。

 

37

では、疲れている人々、重荷を背負っている人々よ、みんなわたしの許に来るがよい。わたしはあなたたちに休息を与える。それは嘘ではない、本当である。わたしがあなたたちの重荷を背負う者だかである。あなたたちがその重荷をわたしにの上に投げさえすれば、わたしはそれをあなたたちから取り上げ、あなたたちを解放してあげる。

 

38

神我は天上天下におけるあらゆる力を与えられている。汝ら先づ神の国とその義(righteousuess)とを求めよ、然らば全てのもの汝らに加えらるべし。汝らみ霊の王国とその正しき用法(right  use)とを求めよ。然らばすべてのもの汝らに加えられるべし。

 

39

「汝の神たる主」の臨在によってあなたたちの休息は護られ、あなたたちの力は強められるのである。

 

40

故にわたしから学ぶがよい、わたしの心情は穏やかであり、わたしの知る働きは強いからである。あなたたちは、わたしがあなたたちの魂にとって唯一の休息であることに気付くであろう、なぜなら、あなたたちがわたしを知って強くなった時、あなたたちの胸に悩みはなくなるからである。

 

 

 

 

 

                   心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                                               

                                 M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                                        

                                                   霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

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第六話  31~35 一羽の雀といえども父なる神の御意思によらずに地に落ちることはない。故に恐怖してはならなぬ。わたしが常にあなたたちと偕に居るからである。

 

 

31

このようにして神我はあなたたちの中にもまた君臨するであろう、なぜならば、神我は父なる神のみ胸に休息らう一人子だからである。

 

 

32

彼はあらゆる王国の王であり、天上をそしてまた地上を制する。

 

 

33

一羽の雀といえども父なる神の御意思によらずに地に落ちることはない。故に恐怖してはならなぬ。わたしが常にあなたたちと偕に居るからである。

 

 

34

この真理を認めるようになった時、この真理がどんなに美しく思われることか。心の中に何かの変化が起きない限り、あなたたちの身体には一部たりとも影響を受けることはないのである。

 

 

35

あらゆるものが神のみ心の中に存在する。その外側に存在しうるものは何ひとつとしてないのである。あなたたちは、こんどこそみ霊と水(14)とによっつて生まれ変わらない限り、決して王国に入ることはできない。このことは、み霊は完全無欠であり、そのみ霊が顕現れ給うのであるという真理に気付く、かつしっかりとこの真理を悟らぬ限り、あなたたちは神我の創造力という天国に入ることは決してできない、という意味である。

 

 

 

    心身の神癒 : 主、再び語り給う                                               

       M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                    

            霞ケ関書房, 1972   

 

 

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第 六 話   吾を死より挙げ給いし父のみ霊汝等の中に住み給う。    27~31

 

27

わたしが明白に悟ったのは実にこのことだったのである。わたしはみ霊から語り、そうすることによって一切のものに生命を注ぎ込んだのである。あなたたちがわたしと偕に考え、わたしと偕に感ずるならば、わたしの云わんとすることが了解されよう。

 

28

生命、この唯一の『生ける臨在』こそ神御自身、全能なる者、あなたたちの中心にまします全能者である事を、あなたたちがハッキリ悟った時、その悟りにつれて、あなたたちの意識は裡なる意識を自覚するようになる。意識はみ霊があらゆる界層に御自身を表現する手段である。

 

29

意識が生命を『自覚』するようになると、生命はあらゆるものの従僕であるからその自覚に応じて現れる。意識は神霊の力を悟ることによって展開して行く。そのとき意識は、意識自身の自覚しているものを啓示しかつ示現する。

 

30

それではみ霊の力を自分の胸(ハート)の中で感ずるがよい。悉皆への主権を与えられている神我力に、自分自身の意識の中で、それに気付き、それを実感するがよい。天上天下におけるあらゆる力がわたしには与えられているのである。

 

 31

このようにして神我はあなたたちの中にもまた君臨するであろう、なぜならば、神我は父なる神のみ胸に休息らう一人子だからである。

 

 

 

                 心身の神癒 : 主、再び語り給う                                             

                                 M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                   

                                                  霞ケ関書房, 1972   

 

 

 悉皆=あらゆるもの

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28 

生命、この唯一の『生ける臨在』こそ神御自身、全能なる者、あなたたちの中心にまします全能者である事を、あなたたちがハッキリ悟った時、その悟りにつれて、あなたたちの意識は裡なる意識を自覚するようになる。意識はみ霊があらゆる界層に御自身を表現する手段である。

 

 

 

読み返して

 奇跡の言葉というほかに言葉がみつからないです、思わず涙が流れる。 

 

                                   蒼氓。

 

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臨在(りんざい)

 

神がそこにいること。キリストが信じる者の心に霊として存在していること。 神の、御子の、そこにいることを感じることです。

 

 

りん‐ざい【臨在】 〘名〙 キリスト教で、見えない神がそこに存在すること。また、人の行為を通して、神がはたらきかけたこと。

 

 

 

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第二話 86~90

 

 

86

「もしあなたたちにわたしが解るならば、わたしの父をも又理解するであろう。しかしもしわたしの父が解らなければ、どうしてわたしが解ろうか、どうしてわたしの言葉が理解できようか」。とわたしは言ったことがある。

 

87

わたしは神我より語るが、あなたたちはいずこより語るのであるか。いずれは亡ぶべき感官からか。種々様々の条件に反射するのか。「吾は生命なり」「一切を支配する」との意識を持っているのか。

 

88

あなたたちの中に父なる神がいます。そのことが解れば父なる神はあなたたちを通して現われ給う。これこそが世の光であり、世は光に克ことなく、光こそ闇に打ち克つ。わたしは世の光である。闇はわたしの光のために消える。

 

89

それは人の光であり、無限なる愛と叡智との顕現れであり、人類の中に完全なる状態を創造り出す。

 

90

あなたたちの存在の本源は神である。このことに目覚めるようになったとき、子(イエス)の中にあり又あなたたちの中にもいます父なる神を知るであろう。

 

 

 

                    心身の神癒 : 主、再び語り給う                                                        

                                   M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳                                                                                                   

                                                    霞ケ関書房, 1972   

 

 

 

 

 

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最高のインスピレーションは神よりくる。 あらゆるインスピレーションの中でも最大なるものは直接神より来る。貴下がインスピレーションを望むのなら、最高のものを望むがよい。

 

あらゆるインスピレーションの中でも最大なるものは直接神より来る。貴下がインスピレーションを望むのなら、最高のものを望むがよい。貴下が最高のものを望む時、それがいかなるチャンネルを通して来ようと、或いはまた、どのような特定の形や人間が用いられようと、根本では永遠に合一している。どのような方法を用いようと、父なる神に直接求めるがよい、そうすればインスピレーションを見い出すであろう。本源は久遠であり常在であるからである。

この方法には何らの制限もない、しかし、特定の拠り所を通して求めるならばそこには限定がある。例えば「トム・ジョーンズがわたしの指導霊であって、彼以外にわたしに霊感を与える者はいない」と言うのであれば、貴下は貴下のインスピレーションを限定しており、そのようなものには大した値打ちはない。

今日多くの人々が心霊主義を【訳注死後の霊の存続を主張する主義】の中でも五里霧中の状態にあるがその結果、このすぐれた宗教的運動もそれ自体の信者たちによって限定されてしまっている。しかし貴下が最高のインスピレーションを求めるならば、貴下はそれを獲得する。

 

しかもそのチャンネルは正しいチャンネルである。

 

どんなことであっても決して神以外の者に求めてはならない、神のみが貴下に与えうる唯一のお方であるからである。もし筆者が貴下に、或いは誰にせよ外の人に求めるとすれば、筆者には【獲られるかどうかー補訳】確信が持てない。

貴下にしたって自分に必要なものを他の人に頼めば依り心もとないようなものである。貴下は、相手がいかなる人、いかなる男性または女性であろうと、

また貴下の国で最高の人物であろうと、彼らに依存してはならない神が力を与えないかぎり、彼らにはいかなる力もないのである。しかし、もしも貴下が、あらゆるものの所有者が誰であるかを知って、正しい方法で求めるならば、その時こそ、求めかつ信じることによって、貴下それを獲るのであろうーー求めているものが今【結果としてー補訳】現われつつある、と知っているからである。この法則は数学の法則のように正確であり、また、使いやすい。その鍵は、「汝もし受けたりと信ぜば、そを獲ん」である。

 

筆者は、【不可視のー補訳】援助者たち【訳注:霊界からの地上の人々を援助する役割の霊人たち】が存在する事実を否定しているのではない。

存在していることは筆者も知っている。多くのそういう霊人たちが、援助された当人たちにも知られている。しかし筆者は貴下に法則示したいのである。そのよおうな援助者たちにしても、あらゆる界層で、

その法則に従っているのである。

したがって、求めるのを繰り返してはならぬ。くり返せば、「父よ、あなたはわたしが求めたものを与えて下さっていません。なぜわたしの欲しているものを与えて下さらないのですか」と口説くようなものである。貴下はすでに求めたのである。またしても求めるならば過程をやりかえることになり、【結局ー補訳】何も起きない。【ゆえにー補訳】無駄である。もし貴下がすでに獲ていると知っておれば、くり返して求めるであろうか。この法則を学ぶことである。それが大事なのである。もしも疑惑が入り込めば、注文を自動的にキャンセルしていることになるか、少なくともその実現を遅らせてしまう。この法則を知るからには、貴下は【求めている事物を実現させるためにー補訳】為されつつあることに絶えず感謝を捧げることである。すでに獲たりと信ぜよ、然らば貴下はそれを獲るであろう。

何であれ、貴下が望んでいる特定のもののイメージを心の中で造ると、それを獲ている自分自身のイメージを抱くが、【その反面またー補訳】それを獲ていない自分自身のイメージーー欠如している自分自身のイメージと所持している自分自身のイメージとの両方ーーを抱いている。二つのイメージが相反し、対立している。有力なイメージの方が実現するイメージである。一番深い方が有力である。欲しているものを獲るるのではなく、深く考えているのを獲るのであるーー信ずることは受け入れることである。智慧と質料とは、意識が固持するイメージを実現しようとするものである。

 

心の中の動きを明確にに知って法則を充たし、かくて貴下の父なる神より、貴下の必要とするものすべておよびそれ以上のものを受け取れるように、心のさまざまな過程を貴下に教示したい。この完全なる法則に従う過程によって法則は充たされるのである。なぜならば法則は法則みずからを充たすからである。たいていの人々のトラブルは、基本的な原理を精確には知っておらず、そのため基本的原理を知的にかつ賢明に行使いえないことにある。

 

 

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1・・・インスピレーションは真理へのマースター・キー 最も完全無欠のインスピレーションは人間の裡なる、無限なるみ霊より来る。これが最高の形ものであり、あらゆる達人や大師方が最も希求するものである。それがザ・クライスト(キリスト)である「父と吾とは一体なり」。

今生において霊感を涵養するがよい。それはこの上なく重要である。それはマースター・キーであり、あらゆるドアーを開く。それはあらゆる真の知識への道である。男女を問わずあらゆる人々がそれを用いている。それは科学者、哲学者、発明者、神秘家、治療家、教師、組織者、教えを説く人によって用いられている。キリストご自身が最高度にお用いになった。それは人類の体験を超えた、宇宙の末踏の領城への入口である。それは、人類に未知なるものが到来する大きな道筋である。貴下は貴下の為すあらゆることに霊感を求める努力をするがよい。

 

 霊感にはいくつかの種類がある。それを簡単に調べてみよう。(以下カッコとその中の数字は訳者が付したもの)

 

 

(1)

物質界(限界)にいる人々。彼らの勇気、行動、言葉より受ける霊感。彼ら自身が霊感によって受けた思想を貴下は受け取ることができる。

 

(2)

物質より他界して(現界のー補訳)(メッセージを与えるのに適した媒体である)或る個人についている人より受ける霊感。この場合両者の心の調和して働く。場合(複数)によっては肉体だけがコントロールされて、媒体の心の代わりに脳だけが使われる。これは、真の意味での霊感ではなく、一種のコントロールである。

 

(3)

その人の心が、霊的思想の世界まで高められ、物質界層ではまだ意識されたことのない、多くの(高邁なー補訳)思想が表現される回路となる。

 

(4)

我々のいわゆるグループ霊感。聖なるみ霊ないし大霊(ともに複数)のグループが協議して、人間を向上させるために、霊的世界の高度の真理を拡めるために与えられる霊感。

ときに霊的グループが連合して一個を通して働くこともあれば、ときに霊界で仲介者が用いられ、同人を介して霊感が集中的に、或いは調整して与えられる。これは霊的テレパシーとして知られている。

 

 (5)

太陽の中や太陽の彼方にいますさらに高位の方々より来るインスピレーションもあり、これは宇宙線とともに魂に入ってくる。しかし、

 

(6)

最も完全無欠のインスピレーションは人間の裡なる、無限なるみ霊より来る。これが最高の形ものであり、あらゆる達人や大師方が最も希求するものである。それがザ・クライスト(キリスト)である「父と吾とは一体なり」。

これら特定のインスピレーションは、貴下にインスピレーションを与えつつある方々の能力を、貴下が一個として超えるその時までのーー貴下があらゆる個人の智慧・能力を超えて、「人の我の中なる、人の我」(「」は訳者附す)より発する無限を現わすに至るまでのーーいわば段階なのである。

 

そのみ霊はあらゆる人々の中にあるーー各人一人々々が同一のみ霊の現れなのである。我々は物質階層でつながつているいるだけでなく、心の界層と霊の界層でもつながっている。宇宙のあらゆる領城で我々は類似性を共有しており、我々のルーツは全能なる神の中に永遠に保持されているのであるーー。

 

 

 

参考、

涵養

自然にしみこむように、養成すること。無理のないようだんだんに養い作ること。

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 注釈、

           シルバーバーチは、(4)か。?

 

 

 

(6) 最も完全無欠のインスピレーションは人間の裡なる、無限なるみ霊より来る。

これが最高の形ものであり、あらゆる達人や大師方が最も希求するものである。

 

それがザ・クライスト(キリスト)である

「父と吾とは一体なり」。

 

 

 

                   まさに、奇跡である。                                              蒼氓。               

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かんよう【涵養】とは。意味や解説、類語。[名](スル)水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。

 

「高邁」こうまい。の意味はけだかく優れている・