改稿。追記あり。
追記5月11日
22
愛はあらゆる非行の上に覆(ベール)をかける。しかし憎しみは闘いをかきたてる。
心の二重性(善・悪・美・醜など)に住むことなく、み霊の位置体性(み霊において万物、万人一体)を求めよ。
23
あなたたちは非行の上に愛の覆(ベール)をかけなければならなぬ。そうすれば憎しみが心にはいることはない。愛のこの強大なる力はあらゆる物事に打ち克つ。
愛は神のもの、善・悪は人の心のものである。
24
たとえどんなことをされても、たとえまたどんなことを云われようとも、仕返しを求めてはならぬ。あなたたちの胸(ハート)が愛に満たされなければ、愛の現れようがないからである。あなたたちの胸(ハート)を神我)に与え切り、かくて神我があなたたちの胸(ハート)を完全に占領して始めて自由は実現するのである。
心身の神癒 : 主、再び語り給う
M.マグドナルド・ベイン著 ; 仲里誠吉訳
霞ケ関書房, 1972
令和、初日、5月1日の私的出来事を抽象的表現で説明しています。自分自身の心の葛藤を表現しています。何かの参考になれば幸いです。実際書かずにおれなかったのが事実なのです。リアルすぎるかもしれません。
例えて言えば。
自分の死刑執行人に花束をあげれるか。平静でいられるか・・・
十字架上のイエスを想像した、あれに比べればたいしたことはない・・・。
十字架上のイエスはあの状態でも、人々を赦していた・・・
それにくらべれば、わたしの事は、ごみ、みたいなものです。
参考。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)。イエスを十字架にかけた人々は、イエスがメシヤとわかっていなかったので彼らの行動の重要さに気づいていませんでした。彼らがこの真実に気づいていなかったからといって赦しをうける権利はありませんが、イエスの、罵声と暴力を受けながらのこのいのりはイエスの底知れない哀れみと恵みを表しているのです。
神の愛のメッセンジャーにふさわしい行動がとれたか・・・
自我との戦いで、自分を無くした。自分の正義を封印した。愛(みんなの調和のために愛の役者を演じた)。演じきった。抵抗はなかった。よれより全てが良い方向にいったように思えた。ただ、自分の正義感だけが、わだかまった。
そこには、もの凄い心の葛藤があった。
今日、わたしは憎しみを(正義)捨て愛を与えた(演じた)役者のようにね。
自分の死刑執行人に、大きな花束を上げた。
許しの言葉が書いてあった。この言葉と自分の(正義)とのこころの葛藤である。
これはわたしの、バイブルです。家の壁に貼ってある。
第三話 73 第十四話 75
心身の神癒
第十四話。
75
弟子は幾度赦したらよいか、七度か、とペテロは聞いた。(その時の)わたしの言葉は七度の七十度であったことが(聖書に)録されているではないか。それは永遠の赦しを意味する。天にましますあなたの父は、あなたたちが赦しを求めたその瞬間に、み胸の中であなたたちを赦してい給うのである。あなたたちも又そうでなければならない。
第三話
73
愛は恐れを駆逐し、不義に抵抗しない。返すに愛を以てする時、心平安となる。その時始めて父なる神は働き給いすべてを克服し給う。不義に怒れば、心は騒ぎ乱れ、羨み、嫉み、怒りにみたされれば、愛は消える。愛こそはかくのごときものすべてを消し去るこの世における唯ひとつの力である。
赦しの葛藤でもあった。そこには言葉でいえぬ葛藤があった。でもこのようなことで成長してゆくのかもしれない。試みかも知れない。
すべて、心の葛藤である。(霊の葛藤)
すべて、父、(神によるおぼしめしである)小心者の私がいかに小さな人間かわかった。これは、望月ケアマネジャーさんのアドバイスと真理(父、高級霊)わたしのこころの中の思考、おかげである。
昔のわたしならば、正義感を振り回しどうなっていたか・・・、正義より、愛、みんなの愛大事にした。正義はあやうい。
これも、霊性の涵養的成長か。昔の自分とは違うのがあきらかだ。
すべて、良い方向へいったと思う。
ゆえに、今回の体験からこれだけの教えが、書けた。まるで全てが計画されたようだと後で解った。父、聖霊に感謝・・・心の涙がこぼれた。
第 三話 71
静かなる瞑想と悟りの時間はあなたたちの意識に神我の完全さをもたらす。その後はもはやあなたたちは外部の状態を顧慮する必要はなくなる。不調和に影響されることもなくなる。それ自身愛であり、英知であり、久遠の真理であるものと偕なるが故に、あなたたちは常に平静であり平安である。
第三話 72
愛を求めるな!愛を与えよ!これこそが霊の真の栄養である。いかなる場合にせよ愛ある処、憎しみと羨みと嫉みとは消えるからである。
第三話 73
愛は恐れを駆逐し、不義に抵抗しない。返すに愛を以てする時、心平安となる。その時始めて父なる神は働き給いすべてを克服し給う。不義に怒れば、心は騒ぎ乱れ、羨み、嫉み、怒りにみたされれば、愛は消える。愛こそはかくのごときものすべてを消し去るこの世における唯ひとつの力である。
第三話 74
心平安となって始めてあなたたちの中に神がおんみずからを顕現することが可能となるのである。
第三話 75
およそ存在する唯ひとつの力は愛の力である。愛の力こそが平和と調和とをもたらす。神我の前には、爾余のすべては過ぎ逝き、無の中に融け去る。わたしは主(ロード)である。わたしはすでに打ち勝った。あなたたちも又そうなのである。何ものもあなたたちを傷付けることはできない。なぜならば、あなたたちは肉を纏える神であるからである。
第五話 93
あなたたちはいろいろな誤ちを犯しはするが、それが身を助ける体験となる。恐れるな、いたずらに過去を悔やみもするな。強大なる久遠の愛が到る処で、恒に今、愛自信を顕現(あらわそう)そう、顕現そうとしていることを知れ。
あらたに、5月5日早朝にこの文書を読む。
まるで、イエスキリストが近くで話しているかのように感じたことを告白する。
感動のあまり、涙してしまったことを告白する・・・
蒼氓。
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追記、
5月6日 、わたしに知らせるように、この一文に出会った。
何ということだ!
第七話 119
わたしを念ずるがよい、そうすればわたしはあなたたちの許に来、あなたたちはわたしを知るであろう。わたしは決して何人からも顔をそむけることはしない。ただ心を穏やかにして、わたしを念ずるがよい。
心身の神癒
一切の言葉が出なかった、しばらく、無言で過ごしたとおもう。
蒼氓。
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六話 72
父なる神は、われわれが父なる神の謙虚さを以て拝する時始めてその偉大さを現わし給い、かくして父はその必上無二の愛もて一切のものを安全なる箇所へと挙げ給う。
第八話 135
わたしは世にあるすべての人々を愛する。わたしはあなたたちと偕に世にあり、天国を地上にもたらすために働く、この事をなすためにわたしは遣わされたのである。
第十話 24
たとえどのようなことをされても、たとえまたどんなことを云われようとも、仕返しを求めてはならぬ。あなたたちの胸(ハート)が愛に満たされなければ、愛の現われようがないからである。あなたたちの胸(ハート)を神我(キリスト)に与え切り、かくて神我(キリスト)があなたたちの胸(ハート)を完全に占領して始めて自由は実現するのである。
第十三話 92
愛は理解されなくても親切にし、咎めることなく、不正に堪え忍ぶ。
第十三話 94
愛はあらゆる力ではあるが、謙譲(へりくだり)である。愛は空虚な誇示をすることはなく、その業蹟を誇ることもない。
第十三話 95
愛に決して失敗はない。愛は神であり、神は愛であるからである。
第十四話 34
人は幾度も幾度も人によって傷つけられ、自分自身の愚行によって十字架につけられて始めて彼は、神の分霊(キリスト)を通してすべてのものが「大いなる一体」であることに開眼する。
第十四話 46
あなたたちの中に世の光りは輝く。故にその光りを只の言葉だけではなく行為によって示すがよい。
第六話 10
肉の感官は物事を外から見るだけであり、しかも見たところのものの実相を知らない。ただ知能だけによって推理するのみである。それは霊感を受けない。もともと霊感は内部より来るものだからである。
心身の神癒より
就寝まえ瞑想のあと。
わたしは父、神にへりくだって感謝の祈りを捧げた。
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後日、全てが正しかったといえる。父、聖霊の恩寵であります。
ただ、感謝の祈りしかない。赦しの教えは全く正しい。
父に、へりくだって感謝の祈りしかない。
蒼氓
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悲しいことも そっと抱いてごらん それは優しさに いつか変わるんだ
この世界には 愛があふれてる 幸せを願う その声に応えて
愛の波動を出してゆこう・・・
そうすれば愛の共鳴が帰ってくるよ・・・
こだまのようにね
憎しみは捨てよう。
みんなに愛の波動を送るよ・・・
読んでくれて、ありがとう。
蒼氓