真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

祈りは大いなる霊的活動。

3)祈りは、人間の霊性の表現であり、理想に向けての魂の決意表明

 

一人になって神に語りかけるとき、その言葉(祈り)には、本人のありのままの心の状態が表れます。

 

祈りは、その人間の内面をそのまま映し出します。

オーラには一人一人の霊性・性格・知性・意志・感情が表れますが、祈りもそれと同じで、本人の内面を正確に表現します。

したがって祈りを聞けば、その人間の霊性や知性のレベル・精神状態を知ることができます

霊性の高い人は霊的に高い祈りをし、知性的な人は知性的な祈りをし、視野の広い人はスケールの大きな祈りをします。

100人いれば100通りの祈りが存在しますが、それは祈りには、一人一人の内面の違いが的確に表れるからです。

まさに祈りは、その人を映し出す鏡であり、魂の成長レベル(霊性)の指標と言えます。

一方、人間がより高い霊的世界・理想の世界を求めようとするとき、祈りは本人の決意の表現となります。

祈りには、その人間の理想を求める意欲と決意の強さが示されます。祈りは、理想に向けての“決意表明”であり、

 

                より高い世界を求める魂の叫びなのです

 

「祈りとは魂の表現です。具体的に言えば、祈りとは光明あるいは導きを叫び求める魂の止むに止まれぬ切望す。」

 

                                                       シルバーバーチの霊訓(12)』(潮文社) p.122

 

 

「祈りとは魂の憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。」

 

                                                           シルバーバーチの霊訓(7)』(潮文社) p.198

 

「祈りは魂の憧憬を高め、決意をより強固にするための刺激――これから訪れるさまざまな闘いに打ち克つために守りを固める手段です。」

 

                                                           シルバーバーチの霊訓(7)』(潮文社) p.205

 

 

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参考↓


 

参考↓ 


 

 参考↓


 

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参考、

  憧憬(ショウケイ)ーあこがれること。

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わたしはメッセージそのものに全てをかけております。

わたしはメッセージそのものに全てをかけております。

地上の人間はあまりに永いあいだ教えを説く人物に関心を寄せすぎ、超人的地位に祭り上げて、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。

わたしたちはもう、そんな、しょせん人間にすぎない者を超人的地位に祭り上げることはいたしません。

真理と知識と叡智をお届けするだけです。

このわたしが地上で傑出した人物だったか、それとも哀れな乞食であったか、そんなことはどうでもいいことです。

わたしの述べていることに真理の刻印が押されていれば、それでよろしい。

名前や権威や聖典に訴えようとは思いません。訴えるのは、あなた方の理性だけです。

人間の知性に矛盾を感じさせるようなことは、何一つ要求いたしません。

人間としての道義に反すること、尊厳にかかわること、屈辱感を覚えさせるようなこと、人類を軽蔑するようなことは決して説きません。

わたしたちは全人類の意識を高め、地上における一生命形態としての位置、宇宙における位置、創造神とのつながり、一つの家族としての地上人類どうしの同胞関係を正しく理解する上で必要な、霊的真理を明かそうとしているのです。

これまでのように、何かというと聖典の文句を引用したり、宗教的指導者の名前を持ち出したり、宗教的権威をふりかざしたりすることはいたしません。

わたしたちは、大霊から授かっている理性を唯一の拠り所として、それに訴えかけます。ただ単にバイブルに書いてあるからというだけの理由で押しつけるような方法は取りません。

理性が反発を覚えたら拒否なさって結構です

ただ、よく吟味してくだされば、わたしたちの説くところが、霊的存在として最高にして最善の本能に訴えていること、その目標が、間違った古い考えを洗い落とし、代わって、あとできっと有り難く思ってもらえるはずの大切な真理をお教えすることであることが、おわかりいただけるものと確信します

宗教は真理を基盤とすべきであり、理性の猛攻に抗し切れないようなものは、すべて廃棄すべきです。

 

                                          シルバーバーチの霊訓

               霊的新時代の到来

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あなたも他の人と同じように、果たす目的があって、この物質界に生まれてきたのです。

  

自分はいま何をするべきか 

あなたも他の人と同じように、果たす目的があって、この物質界に生まれてきたのです。

時には内省してみることです。

 

これが自分にとって本当のやるべき事だろうか、世の中を啓発する上で役に立っているだろうか、知識の蓄積を怠っていないだろうか、手にした霊的真理を人に分け与える努力をしているだろうか、これで最善を尽くしていると言えるだろうか。

正直に、自分にそう問いかけてみることです。

そうすれば答えが出てきます。

それだけでいいのです。

自分に正直になり、最善を尽くす。 それだけでいいのです。

宗教的信条や教義などは必要ありません。

自分はいま何をするべきかを、素直に理解するだけでいいのです。

その心掛けを日常生活で徹底させれば、道を誤ることはありません。 この物質界に生まれてきた目的を、果たしていることになります。

 

                  シルバーバーチ霊訓7

 

参考、感想。

  内省について。 限りない成長の原動力。「内省との対話」

  この一文と、二日前の一文、随分とひらきがあると思いませんか・・・。

 

                               蒼氓。

 

 

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真理の理解は単純素朴さを通して行われます

 

真理の表現には無限の形があります。

 

真理とは、無限なる神から出るものであり、表現の媒体になる人間の進化レベルによって、その形が変わるからです。

その真理の理解は、単純素朴さを通して行われます。

やたらと綴りの長い単語や、聞きなれない難しい言葉を使ったからといって、それで真理にハクがつくわけではありません。

むしろそれが、無知の仮面になっていることがよくあります。

私たち霊が説く真理は、

無限なる神の真理です。

全人類のためのものであり、

 

一宗一派、一個人のものではありません。

全人類を愛の抱擁の中に包むために、働きかけています。

 

 

                                                                 シルバーバーチ霊訓9

 

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霊魂の永遠性についてお伺いしたいことがあります。

─霊魂の永遠性についてお伺いしたいことがあります。年輩の霊と若い霊という言い方をする人がいますが、霊が新たにこしらえられることがあるのでしょうか。私たちはどこから来たのでしょうか。すべての霊が再生されたものなのでしょうか。それとも大霊から新しい霊が産み出されてくるのでしょうか。  

 

霊はこしらえられるものではありません。過去も未来もなく常に存在しております。先ほど〝私はアブラハムが生まれる前から存在している〟というイエスの言葉を引用しました。

霊としてはあなたも無始無終に存在しているのです。 霊を新たにこしらえなければならなかったことは一度もありません

無が有になる段階というものはこれまで一度もありません。

生命の原動力、精髄、活力そのものである霊は、過去も未来もなく常に存在しております。霊はあらゆる生命現象が生まれるエネルギー源です。

植物も小鳥も樹木も動物も人間も、全てそうです。霊は存在の大原動力です。  

母胎に子供が宿された時、それは新しい霊でも新しい魂でもありません。無始無終に存在している永遠の霊の一部です。それが人体に宿って個別性を獲得し、その個体がしばらくの間地上で機能するわけです。  

しかし霊は様々な側面を持つことができます。その幾つかが地上に再生して本霊であるダイヤモンドに新たな光沢を加えることはあり得ます。その意味では〝年輩の霊〟〝若い霊〟と呼べる霊は存在します。しかし〝新しい霊〟というものはこしらえられません。地上での自我の表現機関として新しい身体が提供されるだけです。  胎児が無事に宿り地上生活のための身体が用意されると、霊は個別的存在として地上へ誕生してきます。霊そのものは別に新しいものではありません。個的形態を具えたというだけです。一個の人物となったというだけです

その男性また女性が成長してやがて地上を離れると、大きい自我の一側面として新しい要素を加えることになります。

 

                                               シルバーバーチ霊訓10巻

             4章死ぬということはどうゆうことか

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霊の優位性の自覚に基ずく修養的生活ーこれが最高の生き方です。

別の日の交霊会で、ローマカトリックの信者からの投書が読み上げられた。その筆者はまずスピリチュアリズムに対するローマカトリック教会としての否定的見解を引用したあと、“しかし、もしも霊界との交信が真実であるとしたら、それは地上人類にとって素晴しいことです”という自分の見解を述べ、さらに“死後存続が証明されれば地上に愛が増え、罪悪と戦争が減ることでしょう”と結んであった。

 

これを聞いてシルバーバーチはこう述べた。

 

「今一人の人間が、難しい環境の中で少なくとも微かな光を見出し、これまで真実であると思い込んできたものとの関連性を理解しようと努力している事実を、まず喜びたいと思います。 この方は、疑問に思うことを少なくとも正直に尋ねてみるという行為に出ておられます。この段階まで至れば、真理探究が緒(ちょ)についたことを意味します。どうかこの方に、疑問は徹底的に追求し、証明を求め、証明されたものにしっかりとしがみつき、証明されていないもの、理性が承服しないものは、勇気をもって捨て去るようにお伝えください。 この方に伝えていただきたいことが、もう一つあります。お手紙の中にいくつかの引用文がありますが、この方は本当にそれを信じていらっしゃるのでしょうか。それが果たして真実かどうかの証拠がないものについては、“果たして筋が通っているだろうか”と一度はご自分の理性で疑ってみることが大切です。大霊からの授かりものであるその理性が納得しないものは、そこできっぱりと捨て、いかなるテストにも追求にも検査にも批判にも疑念にも耐えてなお残るものだけを基盤として、自分の宗教を打ち立てるのです 一つ一つ取り挙げると時間が掛かりますので、例として一つだけ取り挙げてみましょう。この方は“神はモーゼにかく言えり……”という文を引用しておられますが、神がモーゼに言ったことが事実であるという証拠はどこにあるのでしょうか。その証拠がないかぎり、あるいは少なくとも信じてよいと断定できるだけの理由が揃わないかぎりは、それを引用してはなりません理性による判断はそれからのことです。それに、ついでに言えば、かりにそれが証明されたとしても、一体それが今日の時代に適用できるかどうかの問題もあります。 理性による検査と探求をなされば、かつては真実と思い込んでいたものの多くが、何の根拠もないことがわかり、間違いない事実だけを根拠としてご自分の宗教を打ち立てることになります。それならば、疑念の嵐が吹き荒れても、揺らぐことはありません。知識は岩盤のようなものだからですその方に、わたしからの愛の気持を届けてあげてください。そして、頑張り通すようにと励ましてあげてください」

 

続いての投書は女性からのもので、いかに小さな体験にも、行為にも、あるいは言葉にも、思念にも、それなりの影響力があるとのシルバーバーチの言葉を引用して、

では一体どうすれば自分の言動に自信が持てるようになるのでしょうか”というものだった。

シルバーバーチが答える。

その方にこうお伝えください――精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活のすべての側面を折目正しく規制し、自分は本来は霊であるという意識をもって、行動のすべてに霊の優位性を反映させなさい、と。 霊の優位性の自覚にもとづく修養的生活――これが最高の生き方です。既成のテキストはいりません。魂の成長ということだけを心がければいいのです。大霊からいただいている霊力が顕現し、人間が勝手にこしらえた教義への盲目的信奉者とならずにすみます

 

                                       シルバーバーチ霊訓

                                             地上人類の最高の福音

                     9章 霊の優位性に基ずく修養的生活  これが最高の生き方です

 

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参考、

 修養。

名](スル)知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること。「刻苦勉励して修養を積む」「精神を修養する

 

 

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霊的自我に目覚めたその魂にとっては、その時から本当の自己開発が始まるのです。

 

一点の曇りもなく霊的真理を確信できた人間は真の自我に目覚め霊的可能性を知ることになると私たちは信じているのです。

生命は死後も途切れることなく続くことに得心がいきます。

霊的自我に目覚めたその魂にとっては、その時から本当の自己開発が始まるのです。

そして霊的知識に照らして自分の人生を規制するようになります。

自然にそうなるのです。

 

それによって内部の神性がますます発揮され、霊的に、そして精神的に、大きさと優雅さが増してまいります。

 

容易な手段で得られたものは容易に棄て去られるものです。

霊的熟達の道は長く、遅々として、しかも困難なものです。

霊の褒章は奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。

霊的卓越に近道はありません。

即席の方法というものはありません。

奮闘努力の生活の中で魂が必至の思いで獲得しなければなりません。

聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることができるとしたら、神の摂理はまやかしであったことになります。

それはまさしく神の公正を愚弄するものです。

一人ひとりの魂が自分の努力によって成長と発達と進化を成就しなくてはならないのです。

そうした努力の末に確信を得た魂は、もはや霊的真理をおろそかにすることは絶対にありません。

地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ますことにあります。

もしも魂が目覚めないままに終われば、その一生は無駄に終わったことになります。

地上生活が提供してくれる教育の機会が生かされなかったことになります。

地上で目覚めなかった魂は、霊界では手の施しようがありませんから、もう一度地上へ誕生せざるを得ない場合があります。

霊的自覚が芽生えるまでに地上の年数にして何百年、何千年とかかることもあります。

 

                                    

          (引用;シルバーバーチの霊訓(8))

 

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モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 k466 第1楽章

 

 

一人の人間としてのモーッアルトが大衆のためではなく、自己の内面の孤独や悲哀を初めて露にするこのように書き上げた、彼の協奏曲中の最高傑作とも言われる作品です。

 

当時の音楽界では協奏曲やアリアは、演奏家や歌手の技法を示すための華やかなものが支流で、聴衆である貴族や裕福な層もそれ以上を望んでいませんでした。

 

ですからこの曲が持つ重苦しさは当然理解されずその後の演奏会では聴衆が激減してしまうほどでした。

しかしモーッアルトの中でもこの作品を熱愛し、ガデンツァさえ書いてしまった作曲家がいます。

 

ベートヴェンです 

 ある日貴族の前を通りかかったベートヴェンは偶然この曲を耳にし「なんという美しい曲だ、とても私にはあのような美しい曲は書けない!」と感嘆の声を上げたということです。

 

 

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 モーツァルト ピアノ協奏曲の最高傑作か?

お勧め、動画 

 モーツァルト k466  内田

 Mozart: Concerto for piano and Orchestra (d-minor) K.466, Uchida                    

 

    思わず、笑ったら、いけないんでしょうね・・・?

    観客の人、笑いをこらえるの大変でしょうね。・・・?

                                                                                                         

 

俺の尻をなめろwww        モーツァルト

 

ベートーヴェン:「なくした小銭への怒り」

 

                             。蒼氓

 

 

 


 

 

 

 

 

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