真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。心身の神癒 第9話3

(霊能者がタバコを吸いすぎたりアルコールを飲みすぎたり、そのほか生活面で真 理に忠実ではなく品行に問題がある場合は、それが霊能にも悪い影響を及ぼすか)

(霊能者がタバコを吸いすぎたりアルコールを飲みすぎたり、そのほか生活面で真 理に忠実ではなく品行に問題がある場合は、それが霊能にも悪い影響を及ぼすか)

 

もちろんです。

 

いかなる霊媒能力、とくに精神的霊能について言えることは、

その 霊能者の質が高ければ高いほど通信の内容も質が高いということです。

身体と精神 の質を落とすようなことは霊にとっても同じ影響が及びます。

忘れてならないのは、

身体と精神と霊とは一体関係にあることです。

緊密な相互関 係があり、絶えずエネルギーや感情が行き交じっております。

霊の世界と物質の世 界は実は一つの実在の二つの側面なのであり、お互いに影響し合っております。

両 者は融合し合っていて、はっきりとした境界線というものはないのです。

そのことを理解なされば、

物的身体に悪いものは霊的身体にも悪く、

精神に良くな いものは霊にとっても良くなく、

したがって霊の宮(からだ)を汚すようなことは 必ずその持ち主を通過して届けられる通信の質を汚すことになることがお分かりに なると思います。

理想を言えば完全であるに越したことはありません。

そうすれば完全な通信が得ら れることでしょう。

が、所詮、私たちが扱っているのは物質の世界に住む人間味た っぷりの道具です。

アルコールもタバコもほどほどにたしなむのであれば大した害 にはなりません。 ただし、霊能者は常に理想を目指していなければなりません。

                                                                                                    

                                                                                

                                                                                        (霊訓9 P235-6)

 

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参考

 

色心不二 

 

今日は、仏教の話から始めましょう。 「色心不二」とは、「しきしんふに」と読みます。  

「色」とは、仏教独特の用語の使い方で、 物質や肉体のことを意味します。  

この教えは、肉体と心は、二つにして二つではなく、 一体のものであるということです。  

たとえば、心が病めば、やがて肉体にも影響が出てきますし、 怪我で肉体が痛めば、心にも影響が出てきます。

このように、肉体と心(魂)は相互に影響する存在であるということです。

 最初に、巨大な魂がありました。 その魂が分裂を繰り返していき、やがて人間レベルの魂ができてきたのです。  

次は、その魂の入れ物、つまり肉体をどうするかという問題がありました。

最初から、人間のように均整の取れた美しい肉体を作ることは困難でした。

しかも、多くの惑星では、最初の頃、生命が生きるには、過酷な環境だったのです。  そこで、過酷な環境でも生きられる生命体、 つまり動物に近い肉体を魂の入れ物としたのです。 こうして、肉体の形は動物に近いけれど、高い知性を持った生命体が誕生し、 やがて、文明が高度に発達し、科学技術も最高水準のものとなりました。

 しかし、ここに、大きな問題が発生していくことになるのです。 それは、いくら高貴な魂でも、やはり肉体から影響を受けるのです。

ましてや、動物の肉体を使ったとなると、 動物的な属性が魂の方に移ってきてしまうのです。 よく言えば、高い戦闘能力や行動力、 悪く言えば、無慈悲な残忍性というものが、魂に移ってきたのです。

つまり、肉体と魂は、「色心不二」だからです。  肉体とは、魂の入れ物です。 本来の目的は、肉体というものを使って、 さらに魂の輝きを増やすことだったのです。  しかしながら、本来の目的を忘れ、 「肉体による文明」を高度化する方向に行ってしまったのです。  

これは、地球の話ではなく、別の惑星の話です。 しかし、地球の人たちにとっても、教訓となる話です。  

宇宙においても、キリスト教は、必要です。 「敵を愛しなさい」とまで言ったイエスキリストの教えが、 科学技術と残忍性の強い高度文明を変えていくでしょう。

「あなたがたも聞いているとおり、 『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。  しかし、わたしは言っておく。 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

あなたがたの天の父の子となるためである。  父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、 正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

 自分を愛してくれる人を愛したところで、 あなたがたに、どんな報いがあろうか。  あなたがたの天の父が完全であられるように、 あなたがたも完全な者となりなさい。」

 

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質疑応答

質疑応答

その集会に出席される時は地理的な意味で地球を「離れる」のでしょうか、それともバイブレーションを別の次元に変えるのでしょうか。

 

私が地球圏を去る時は引力との関係が無くなり、地球圏のバイブレーションとも縁が無くなります。

こうして話をしている時の私はダブルを使っているのですが、地球を離れる時はそれを脱いで霊体を使用します。

その霊体は、こうして語っている間は、言うなればダブルを隠れ蓑(みの)として奥にしまい込んであります。 脱ぎ捨てたダブルは(次に使用するまで)組織が分解しないように私の意識の一部を残して(活性を保たせて)おきますが、本来の私の自我は内奥へ内奥へと次元を高めて、霊的意識を取り戻して行きます。

そのためには時間が要ります。

地球のバイブレーションから脱するのに時間を掛ければ掛けるほど、戻って行く界層での私の自我意識の次元が高くなるのです。

しかし、いくら頑張ってみても、最初にこの仕事をうけたまわって地球圏ヘ下降してくる以前の意識レベルまで到達したことは、それまで一度もありません。

何年も掛かったものを二、三日で取り戻せるはずはありません。

 

 

本来の意識レベルを意図的に下げるというのは大変な犠牲を強いられることでしょう?

 

おっしゃる通りです。

 

それは、しかし、物質界で頑張っているあなた方のために喜んで支払っている代償です。

 ―犠牲の中でも最大といって良いほどのものであるに相違ありません。

確かにそうですが、真理に飢えている人がこれほど多いのですから、私は喜んで持てるものを分け与える覚悟です。

想像してみていただけますか。さきに私は地上世界を「お粗末な模作ていど」と申し上げましたが、私の本来の住処である光輝に溢れた世界、絵画も建造物も詩歌も音楽も完全の域に達し、自然界の美しさも可能な限りの調和の域に達し、しかも交わる人々は趣味も性分も相通じる人ばかりという世界から、暗くて陰鬱なこの地上界へと降りてくるのです。

そのために私が犠牲にするものがいかほどのものか、およそお分かりいただけるでしょう。

こんなことを私は自惚れて言っているのではありません。

僅かな人々でもよい、安らぎと慰めと希望を与えてあげることが出来れば、私は喜んで持てるものをお分けする気持でおります。

 

                                         シルバーバーチは語る 21章

 

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なぜ神に祈るのか

 

十一章 なぜ神に祈るのか  

 

あなたはなぜ神に祈るのですかと問われてシルバーバーチは〝祈り〟の本来のあり方について次のように述べた。  

 

「それは、私に可能なかぎり最高の神の概念に波長を合わせたいという願いの表れなのです。  

私は祈りとは魂の1憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。

ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。

われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。

要望は口に出される前にすでに知れているのです。  

なのになぜ祈るのか。

それは、祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。

その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。

僅かな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることが出来、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。  

利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーのムダ使いをしているに過ぎません。

それらには何の効力もないからです。何の結果も生み出しません。

が、自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、その時の高められた波長を通して力と励ましと決意を授かり、祈りが本来の効用を発揮したことになります

 

 

               シルバーバーチ 7巻 

 

 

1憧憬=しょうけい=あこがれる=強く心を引かれる。

 

 

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日々の内省

日々の内省は毎晩、眠りにつく前の、潜在意識に入りやすいタイミングで行ないます。

ベッドに座ってもいいし、眠ってしまわなければ、横になっても構いません。

完全にリラックスして、 4:4のパターンド・ブリージングを始めましょう。

まず、朝起きた時から順を追って、今日一日にあったことをすべて思い出します。

一つひとつの出会い、出来事をもう一度見つめ直してください。

この時、自分自身や誰かを責めることなく、客観的な第三者の目で見つめることが大切です

慈悲と寛大な心をもって、自分自身に次のように質問しましょう

 

•思ったり感じたりすべきでなかったことで、思ったり感じたりしてしまったことは何か?

•思ったり感じたりすべきだったことで、思ったり感じたりしなかったことは何か? •言うべきでなかったことで、言ってしまったことは何か?

•言うべきだったことで、言わなかったことは何か?

•すべきではなかったことで、してしまったことは何か?

•すべきだったことで、しなかったことは何か?

 

 内省の目的は、自分自身や他の人々を責めることではなく、ましてや賞賛することでもありません。ただ、公平な目で、自らの思考や行動を観察することにあります

その上で、気づいた点から自らの言動を改めるように努力しましょう。  

こうして内省を続けていくと、だんだんと自分自身を観察することに熟達していきます

そして、やがて道徳面においても、霊的、神秘的な人生の側面においても、成長を加速していることに気づくはずです。

 

ナチュラルスピリット社版、ダスカロス著「エソテリック・プラクティス」より)

 

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①パターンドブリージングのやり方

 

まず、からだを完全にリラックスさせ すべての活動から、精神と肉体を解放させます。

呼吸は規則正しく、穏やかに。

心臓の鼓動に合わせて、3つ数えながら 鼻から息を吸い込みます。 最初の一つで下腹に息をいれます。 二つでお腹の中央部分に、 3つで胸いっぱい吸い込みます。

続けて3つ数えながら、口から息を吐き出します。

最初は下腹から、次にお腹の中央から 最後に胸という順番で吐き出してゆきます。

3つ吸って、3つ吐く。 この3;3呼吸法ができるまで、毎日数分練習します。

次に4;4カウント、その次は6;6カウント また7;7カウントなど試してゆきます。 (5;5カウントは、精神的にマイナスの影響を与えるので 避けます) ここで大事なのは、自分の考えたこと、感じたこと、言ったこと 感じなかったこと、言わなかったことなど について、ああ自分はだめだ、とか、恥ずかしいとか考えず、 ただ客観的に見ていくという行為。 つい、なんであんなことを言ってしまったのかしら~ なんで、あんな感情が湧いてきたのかしら

 けして自分を責めることなく、冷静に見ていくこと。 エゴがあったら、それを認識する 気づくことが手放すことにつながります

 

内省することは、特に霊的な成長を目指している方には とても大切なことだと感じます

ダスカロス曰く 「マスターと呼ばれる人ですら 自らのエゴイズムに対して、常に休むことなく 監視を続けています」

この「エソテリック プラクティス」の序文の中にも

どんなに霊的に成長しようと、 人間には最後まで欲望、慢心といったエゴイズムの 誘惑がつきまといます。

知識や能力を持つほどに、自他の影響力が高まるために 間違って悪用した場合のダメージや負債はいっそう大きくなってしまうのです と書かれてありました。 内省は人生を通じて続けていくべきものなのでしょうね しっかり自分の内を見つめて 手放すべきものは、その都度、手放していきたいと思います。

 

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 参考、

   瞑想はいろいろあります。参考までに!

 内省、反省は、成長には欠かせないとおもいます!

  

                               

                                  蒼氓。

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多くの信者が集まり宗教組織がつくられるようになると、人間の持つ煩悩が当初の純粋さを失わせていくことになります。

 

地上の組織は規模が大きくなると、役割分担に基ずく組織活動が避けられなくなります。それにともない必然的に組織内に上下関係が生じることになります。また組織を維持し布教を推し進めるために多額の資金が必要となり、資金調達がメンバー(信者)にとっての重要な仕事の一つとなるのです。

 

やがていつの間にか自分達の宗教組織を大きくすることが、そのまま地上人類を幸せにする道であると説かれるようになり、メンバーは教団の拡大が"神の意志”であるかのごとく思いこむようになっていきます。そして神の意志/人類救済大義のもとで、教団拡大のために時間とエネルギーの大半を費やすことになります。自分達は特別な役目を担っているとの優越心・特別意識が、信者の活動を支えるのです。こうしたことが、いずれの宗教教団において見られます。

 

しかし地上の宗教につきものの組織拡大の活動は、その宗教の霊的生命を徐々に奪い去っていくことになります。資金調達や布教のための活動、結局は組織自体を衰退に追い込んでいくことになるのです。地上の組織は規模が大きくなればなるほど必ず形骸化し、霊的生命を失い、単なる拘束のための手段に成り下がってしまいます。そして、この世の一般的な組織と同じような権力・金が物を言う世界がつくられることになります。これが大半の宗教がたどってきた共通のパターンです。こうした世俗的な流れに飲み込まれることなく霊的生命を保ち、純粋な信仰を全うしてきた宗教団体は、ほとんどないといっても過言ではありません。純粋な内面的信仰を求めている人々は、そうした宗教組織の中では存在することができなくなっていきます。組織の拡大のために実績をあげることが"信仰の証”として重要視されるようなところでは、霊的成長は片隅においやられていまうからです。「自分の魂を向上させたい!」と切望する人々は、いずれその宗教に魅力を失い、自分の居場所がないといった状況に置かれるようになります。

 

          

       霊的生命を奪い去る地上の宗教組織

 

       スピリチュアリズム普及会   抜粋

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人間

人間

人間は死ぬまでは本当の意味で生きているとは言えないほど、霊(英語原文:spirit<スピリット>)が肉体に束縛された状態だとシルバーバーチは言う。

人間は身体(英語原文:body<バディー>)と精神(英語原文:mental<メンタル>)と霊(英語原文:spiritスピリット)の三つの要素が常に一体となったものだが、物理的身体(肉体)は乗り物で、霊こそが真の姿である

人間は成就すべき霊的(スピリチュアルな)宿命を持った存在であり、死後に待ち受けるより霊的で大きな生命活動に備えるためにこの地上に来ている。

光の中でばかり暮らしていると光の有難さは分からない。霊界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、地上で苦労を十分に体験しておく必要がある

 

 

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I ASKED GOD

or

THE ANSWER TO ALL MY PRAYERS

叶えられた祈り

 

I asked God for strength, that I might achieve, I was made weak, that I might learn humbly to obey.

 自ら成し遂げるために 強さを与えてほしいと、神に求めたのに 私は弱さを与えられた 神に従う謙虚を学ぶようにと

 

I asked for health, that I might do greater things, I was given infirmity, that I might do better things.

もっと偉大なことができるように 健康を求めたのに 私は病気を与えられた もっと善いことができるようにと

 

I asked for riches, that I might be happy, I was given poverty, that I might be wise.

幸せになれるように富を求めたのに 私は貧困を与えられた 賢明になれるようにと

 

I asked for power, that I might have the praise of men, I was given weakness, that I might feel the need of God.

 人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに 私は弱さを与えられた 神の手助けを望むようにと

 

I asked for all things, that I might enjoy life, I was given life, that I might enjoy all things.

   人生を楽しめるように あらゆるものを求めたのに 私は命を与えられた あらゆることを喜べるようにと

 

I got nothing I asked for. but everything I had hoped for.

求めたものはひとつとして与えられなかったが 私の願いはすべて聞き届けられた

 

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.

 わがままばかりを望んだにもかかわらず 言葉にできなかった祈りはすべて叶えられた I

 

am among men most richly blessed.

 私はあらゆる人の中で もっとも豊かに恵みを受けたのだ

 

                             Author Unknown 作者不明

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 参考、

原文を求めてネットをさまよってみたのですが、「作者不明」というものはさまざまに変化するようで、「無名戦士の祈り」「病者の祈り」「祈りの逆説」とさまざまに呼ばれているようです。ただ内容はどれも驚くほどよく似ていました。

 

 

 

  

       youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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          シルバーバーチの霊訓(一)記載

 

 霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなたには分かりません

もしかしたら、あなたの祈りに対する最高の回答が、あなたにとって一番嫌なことかも知れないのです

ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するように努めて下さい。

 

あなた方人間にとって悲劇と思えることが、私たち霊から見れば幸運と思え、

あなた方にとって幸福と思えることが、私たちから見れば不幸と思えることがあります。

祈りにはそれなりの回答が与えられます。 しかしそれは、必ずしもあなたが望むものではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番ふさわしいものが与えられます。

神は、我が子であるあなた方人間を見捨てません。

しかし神の施しを、地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません。

 

   

 

 

記憶がこしらえる世界

記憶がこしらえる世界

 

初めの頃の訪問先は低級界が殆どで面白味のない世界だったが、それでも、いよいよ肉体に戻る前は必ずといってよいほど明るい境涯ないし界層へ連れていってくれた。

これには理由があり、低級界の大気には執着性があってそれが不快な後遺症を生むことがあるからである。  

一つの界層へ到達すると私にはすぐにその界の本性が知れる。というのも、幽体は極めて鋭敏で、その界の住民の思念を直接的に感じ取ってしまうのである

低級界の場合はそれが吐き気を催すほどと表現する以外に言いようがないほどの不快感を覚える。地上で味わういかなる不愉快さもそれとは比較にならない。というのも、地上では様々な思念が一度に襲ってくることはないが、霊界ではその界の特殊な思念が一つにまとまって一度に迫ってくるのである。  しかし、やむを得ずしばらく滞在する時は指導霊がその低級な波長を何らかの方法で中和してくれていた。

幽界の殆どの下層界においては、私の幽体はそこの住民には見えていない。  

下層界は地上とそっくりである。都会あり、町あり、村ありで、いずれも地上の現在のその地域の写しであるように思える。幽体がその界層と同じ波長を整えれば、そこの存在物は全て地上と同じく固く感じられる。  そうした地域性はその地域で他界した住民の精神の働きによって形成されるーだから見覚えのある環境となっているのだということを、何かの本で読んだことがあるが、それは事実のようである。

同時に、精神というものは細かな点まで再現する写真的ともいうべき記憶性を有していることも事実である。  

一例をあげれば、ある町の通りに街灯を見かけたことがあるが、これなどは夜のない世界では不要のはずである。が、地上で見ていたその記憶が自動的に再現するのである。  この無意識の創造力についてある時、霊界の教師と話をしていた時に

『その衣服はどこで仕入れられましたか』と聞かれたので、私は真面目に受け止めて地上の洋服店の名前を思い出そうとしたが思い出せなかった。実はその先生はそんなことを聞いたのではなかった。  その後で私の衣服を指差して『よく見てごらんなさい』と言われて改めて見ると、いつもの普段着を着ており、驚いたことに、チューブを強く押さえ過ぎて飛び散った歯磨きが全部取り切れずにシミになって残っているところまで再生されていた。  

下層界の住民は大なり小なり霊的真理について無知である自分が死んだことに気づかない者すらいるほどである。生活環境が変わったことに薄々気づいてはいても、夢幻の境にいるようで、はっきりとした自覚はない。

こうした種類の人間は地上時代そのままの常識を携えており、彼らにとって『』は相変わらず曖昧な存在である。環境が地上と少しも変わらないからである。  これだけ体験と知識とを得た私ですら、霊界のどこかに到達した時は自覚がはっきりせず、まだ地上にいるような錯覚を抱いていることがある。そのうち前もって知識が表面に出てきて、やっとそこが霊界であることを認識する。  見かけたところ大抵の住民が満足している様子である。

体調はいいし疲れを感じることもないからである。が、知識欲も好奇心も持たない。どうやら向上心というものは内部から湧き出るしかないというのが法則であるらしい。

いつかはその時期がくるであろうが、地上時代に染み込んだ観念がそのまま霊界生活となっている人が多く、習慣がそのまま持続されているのである。

その為、下層界では地上と同じ仕事が見られるー道路工事、工場での仕事、橋の建設、等々。炭坑夫が例の運搬車に乗って機嫌良さそうに鼻歌を歌っているのを見かけたことがある。  ある工場では溶接工が仕事をしているのを見物したことがある。火花といってもごく小さなもので、マスクもいらない程であるが、本人は大真面目で溶接しているつもりだった。見つめている私を見上げて『あんたもここで働いているのか?』と聞くので『いや、いや、ちょっと見物して回っているだけだ』と答えたことだった。  

霊の世界では思念が『具体化』するようである。それで『物』が存在するように思える。進化するとその一種の創造力が別の形で活用されることになる。有名な心霊学者のF・W・H・マイヤースが死後送ってきた通信『永遠の大道』の中でこの下層界のことを『夢幻界』と呼んでいるが、至言である。

 

                                                     私の霊界紀行

           F.C. スカルソープ・著 近藤千雄・訳

 

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