真理との邂逅 高級霊のメッセージ   

 「わたしは生命である」神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり神は生命である。 心身の神癒 第6話6 *****あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現しつつあるのを認めることである。私の中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。

「読者が考えている”自分の人格”や”自分の考え”だってこの点では同じで、どこまでが本当に自分のものかはそう簡単にはわからない」

 

読者は、自分の夢でないものまで、自分の夢と考えてきたのと同じで、

 

自分の人格でないものまで、自分の人格と考えているはずなのだ。

 

しかし、この点で興味があるのは霊にも自分と人間が区別できない場合が多いということだろう。

 

人間に自分と霊が区別しにくいように霊にも自分と人間が区別しにくいのだ。

 

私はそんなケースを多く見てきているが、とくに面白い例を挙げてみる。

 

私が生前知り合いだっつたスウェーデン国王と霊界で会ったとき、国王は死んでまだ

 

十五日しかたっていなかった。彼は私にこういった。

 

 次回に続く、こうご期待。国王はなんといったか、?

 

備考、 世界三大霊訓、 シルバーバーチの霊訓、モーゼ  スの霊訓、アラン カルデックの霊の書。

 

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(2)実際の死の直後の体験談

 

7)サミュエル・フィリップ霊の体験談(1863年パリの交霊界より)

 

仏人サミエル・フィリップスは、生前から立派なスピリチュアリストとして奉仕と信仰と犠牲の人生を歩んできましたその人間性と生き方は、まさにスピリチュアリストの鏡とも言うべきものでした1862年12月、50歳で世を去りました。

 

その彼が、交霊会で死後の世界について詳しく述べています。地上人生を優れたスピリチュアリストとして歩んだ霊性の優れた人間が、死の直後、どのような体験をするのかを明らかにしてくれています

 

フィリップ霊

 

 死は何の苦痛も動揺もなく、まるで眠りのように訪れました。私には、死後の世界への恐れは全くありませんでしたし、地上人生に何の未練もありませんでした。そのお陰で私は、地上生活で抱えてきた問題にもう悩まされることはもうなかったのです。

肉体と霊体の分離は、何の努力も必要とせず、痛みもなく、無意識のうちに行われました。

私にはこの眠りがどのくらい続いたのか分かりませんでしたが、それはほんのわずかな時間でした。私はこれまで味わったことのない喜びに満たされて、穏やかに目覚めました。もはや痛みを感じることもなく、喜びに満ちていました。私は起き上がって歩こうとしましたが、なぜか力が入らず、動くことができません。どうして動けないのか分からないまま、心地よい状態の中で起き上がれずにいましたが、私が地上を離れたということは間違いのない事実でした。自分の身に起こった出来事のすべてが夢のようでした。

部屋の中で、私の妻と何人かの友人が跪(ひざまず)いてすすり泣いているのが見えました。彼らは間違いなく、「私が死んだ」と思っているようでした。私は彼らに、「死んではいない」と伝えたかったのですが、なぜか一言も言葉が出てきませんでした。

そろそろ、私のこの夢のような状態も終わろうとしていました。ずっと昔に亡くなった私の愛する者たちや一目見ただけでは誰だか分からない人たちなど、さまざまな人々が私を取り囲んでいました。私を見守り、目覚めるのを待っているのが分かりました。

私は意識を失ったり取り戻したり、覚醒してはまた眠りに引き戻されるといったことを交互に繰り返しました。そして私の(霊的)意識は、だんだんはっきりしてきました。それまで霧を通して見ていたかのようにぼんやりしていた光が、輝きを増してきました。意識を取り戻し始めた私は、やがて「もはや自分は地上世界にいない」ということを理解しました。もしスピリティズム(スピリチュアリズム)を知らなかったら、私のこうした意識の混濁状態は、間違いなくもっと長いあいだ続いていたことでしょう

 

私の遺骸は、まだ埋葬されていませんでした。私は自分の肉体を哀れむように眺めていました。そして、そこから解放されたことを心から喜びました。自由になれたことが、本当に嬉しかったのです。私は、あたかも悪臭を放つひどい環境から抜け出た人のように、楽に呼吸をすることができました。絶舌に尽くしがたいほどの幸福感が私の心を占め、全身に広がっていきました

 

私は、かつて愛した人が今ここにいてくれるということに、喜びでいっぱいになりました。彼らを見ても、少しも驚きませんでした。全く自然に感じたからです。ただ、長い旅の後に彼らに再会したように感じたのです。

 ひとつとても驚いたのは、言葉を発しなくても意思の疎通ができるということでした目を見交わすだけですぐに相手に思いが伝わり、互いの考えてることが理解できるのです。

こうしたことがあったにもかかわらず、私はまだ地上的な思いから完全に解放されたわけではありませんでした。地上で苦しんだあらゆる記憶が、ことあるごとに思い出されたからです。しかし私は自分が置かれている状況の中で、幸せをかみしめ心の底から感謝することができました。

私は地上で多くの肉体的苦しみを体験しましたが、精神的苦痛はそれ以上のものでした。私は多くの人々から悪意や憎悪を向けられ、そのためにしばしば耐え難い苦しみにとらわれることもありました。人間というものは、こうしたとても苦しい思いをすると、ずっとその苦しみの不安から逃れられなくなってしまうものなのです。

私の心に強く刻まれた苦しみや不安は、なかなか消え去るものではなく、時として「本当に解放されたのだろうか?」と自分に問いかけました。まだ人々が私を罵倒する不愉快な声が聞こえるような気がしたのです。私は、地上にいたときに味わった苦しみが再びこの身に起こるのではないかと恐れて、我にもなく震えてしまいました。自分の体に触れてみて、夢を見ているのではないことを何度も確かめました。

そしてついに地上生活の困難から救い出されたと確信を得たとき私は大きな重荷を下ろしたような気がしました。「これは事実なんだ、一生私を苦しめ続けた心配ごとからようやく救われたのだ!」と叫びました。そして、神に心から感謝いたしました。私はまるで、突然莫大な遺産を相続した貧乏人のような気分になりました

貧しい暮らししか知らない人間は大金持ちになったにもかかわらず、それが実感できなくて、しばらくの間は貧乏暮らしの不安におびえるものです。

 

ああもし人間が死後の世界の真実を理解できたなら、どれほど素晴らしいことでしょう。そうすれば逆境にあっても、死後の世界の確信から、強さと勇気を持つことができるのです。神が、摂理に従順であった子供に(人間)のために用意してくださった幸福を知れば、地上で生活する間はどんな苦しみでも我慢できるものです。

死後の世界について何も知らなかった人も、そこでの喜びを分かれば、地上で心を動かされてきた楽しみなど、いかに価値のないものであったかを悟るようになるのです。

 

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 備考、

 ああ、し人間が死後の世界の真実を理解できたなら、

 どれほど素晴らしいことでしょう。 

 そうすれば逆境にあっても、

 死後の世界の確信から、強さと勇気を持つことができるのです。

 神が、摂理に従順であった子供に(人間)のために用意いてくださった幸福を知れば

 地上で生活する間はどんな苦しみでも我慢できるのです。

 

          素晴らしいメッセージ有り難うございます。

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                                                スピリチュアリズム普及会より。

 

 

 

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快楽の追及に人生を費やした、ある遊び人の後悔

1962年4月19日 ボルドーにて。 

 

「私を体に結びつけていた鎖が切れたらしく、前よりも辛さは薄らいだように感じられる。とうとう自由になったわけだが、罪滅ぼしをしなくちゃいけないのは合点がいかない。でも、これ以上、苦しみを長引かせたくなかったら、無駄に使った時間を埋め合わせなくてはいけないわけだ。誠実に悔い改めさえすれば、神がそれを見て私を許してくれるに違いない。

私の為に祈ってください。どうか、お願いします。

友人たちよ、「私は自分さえよければ」と思って生きてきた。そして今、贖罪をし、苦しんでいる。私が怪我をしたトゲで、あなた方もまた怪我をしないように、神の恩寵を祈るばかりだ。主に向かう大道を、どうか歩いていってください。そして、私の為に祈ってください。ああ、私は、神が、(貸して)くださった財産を自分だけの為に使ってしまった。何ということだろう!

動物的な本能に従う為に神が与えてくださった知性とよき感情を犠牲にした者は、まさしく動物と同じで、厳しい扱いを受けても文句を言えない。人間は自分に(委託)された財産を節度をもって使わなければならないのだ。人間は、死後に、自分の持っている永遠の観点から生きなければならない。したがって、物質的享楽への執着から離れる必要がある。食事は活力を得る為であるし、贅沢は、社会的地位に見合った程度に留めるべきなのだ。生まれつき備わっている嗜好や傾向性も、理性によって統御されなければならない。そうでなければ、浄化されるどころかますます物質的になってしまうからだ。欲望は紐のように人間を締めつけるものだ。欲望を募らせて、さらにその紐をきつく締めてはいけない。生きるのはよいが、遊び人として生きてはならない。霊界に還った時に、それがどれ程高くつくか、地上の人間達には決して分からないだろう。地上を去って神の前に出ると時は、素っ裸にされて何一つ隠すことは出来ない。地上で何をしたかが、全て明るみに出されるのだ。だから、1*つまらない欲望に振り回されることなく、ひたすら善行積むことをお勧めする。思いやりと愛に満ちて生きてほしい。そうすれば、そちらからこちらに来る時も、らくに境界を越えることが出来るはずだ」

 

霊媒の指導霊からのメッセージ:「この霊は正しい道に戻りつつあります。というのも、悔い改めを行っているだけでなく、自分が辿った危険な道を辿らないようにと、あとから来る者達に教えているからです。間違いを認めること自体、既に大した事ですが、他者に奉仕することで、さらに善に向かって一歩進むことが出来ればもっとよいのです。だから、この霊は、幸福とまでは言えないけれど、もう苦しんではいません。彼は悔い改めを行いました。あとは、もう一度、地上に転生し直して、償いを果たしさえすればよいのです。ただし、そこに至るまでには、まだ経験しなければならないことが沢山あるでしょう。

自らの霊性のことなど考えず、ひたすら官能的な生活を送り、やることといったら新たな快楽を発見するだけ」という生活を送った人間が、霊界でどのような状況に置かれるか、あなた方には分かったでしょうか?

物質的な影響は墓の彼方まで付きまとい、死んだからといってすぐ欲望が消えるわけではないので、地上にいた時と全く同様に、自分の欲望を満足させる手段だけを探し続けるのです。霊的な糧を探したことのない彼らの魂は、霊的な糧しかない霊界にあって、果てのない砂漠の中を彷徨う人間と同じように、完全な空虚のなかを、あてもなく、希望もなく彷徨い続けることになりのです。

肉体を喜ばせることばかりして、精神的なことに一切関わることがなかったので、当然のことながら、死後も、霊が本来果たすべき仕事には全く無縁となります。肉体を満足させることは当然出来ず、かといって、どのように霊を満足させればよいかも分からないのです。したがって、彼らは、そうした状況に飽き果てて、ついに神の方に目を向けることを決心するまでは、そのような精神的な拷問の中に身を置き続ける他ないのです

 

 

      天国と地獄 

   (アラン・カルデックの「霊との対話」)

         アラン・カルデック著 浅岡夢二

 

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 備考、

1*つまらない欲望に振り回されることなく、ひたすら善行を積むことをお勧めする。

思いやりと愛に満ちて生きてほしい。

 この、文章は現代人がおちいりやすい事が書いてあるので載せました。

 

  明けましておめでとうございます。いつもご愛読ありがとうございます。

 

  あなた様の、理性が受け入れることだけ信じてくれればよいのです。

  けして強制はいたしません。        

                            

 なれないことをしているので、誤字、脱字はお許しねがいます。

                              蒼氓。

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「シルバーバーチのスピリチュアルな法則」 宇宙と生命のメカニズム  フランク・ニューマン署     近藤千雄訳

 

「要するにスピリチュアリズムの根本理念は、地上人類を物質的に豊かすることではなく。

いったい自分とは何なのか、

宇宙とは何なのか、

 

そして全てを創造した大霊とは何なのかについての理解に必要な摂理と実在についての知識をもたらすことです」

 

「地上がそれを必要とするのは、それを知ることこそが人生の全体像をつかみ不可解なことを理解しやすくするからです。

その理解さえ得られれば、あまりにも長いあいだ進歩のブレーキとなってきた、

誤った教えが生み出す幼稚で悪逆な行為に苦しめられることがなくなるでしょう

 

「それが理解できない人はいるでしょう。そんなものは必要ないと考える人もいるでしょう。子供と同じで、まだオモチャが手放せない人もいますから、

 

そういう人にはそういう人なりの教えかたが必要です

 

霊的真理の普及を目指すこのスピリチュアルリズム計画の背後の全体像を、ぜひ理解してください」

 

「スピリチュアルリズムは地上を長いあいだ取り巻いてきた暗闇、今の時代になってつらい思いとともに次第に分かってきた悪逆非道の原因を根絶することが目的なのです。

 

そうした邪悪の根源には霊的摂理の無知があります。

 

唯物主義とそれが生み出す私利私欲の悪癖を吹き飛ばしさえすれば、地上界を最大の呪いから救うことができるということを、もうお分かりいただけると思います」 

 

                       第一章自分とは何か(49p)

 

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人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。

 

人体的構造をみてもそれは分かります。全体としてみて、人間は肉食動物ではありません。動物界にも進化の法則があります。歴史を遡(さかのぼる)ってごらんなさい。有史以前から地上に生息して今日まで生き延びている動物は、決して他の動物をを食い荒らす種類のものでないことがお分かりになるはずです。

         

                               シルバーバーチ新たなる啓示p21~22

 

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     肉食は動物に対する利己性の極み

 

それなのに現在の地上では、本来人間から愛されるべき動物が、人間から残酷な方法で扱われ、人間の欲望を満たすために無残に殺されています。人間は動物への利他愛という神の摂理から、もっとも離れた事を平気で行っています。動物に対する無益な殺生は、動物への愛に極めて逆行する行為です。動物を愛しかわいがるどころか、反対に食料にするために殺したり、動物実験の道具にしたり趣味や飾りやスポーツの対象として殺すという残酷なことをしています。そうした行為には、弁解の余地はありません。

何の罪もない動物達に残酷な仕打ちをすることは、愛から最も懸け離れた在り方で「利己性の極み」と言うべきものです。

動物に対する残酷さや、肉食習慣は、現在の霊性レベルの低さを示す指標なのです。

日本人は仏教の影響によって長い間、肉食を避けてきました。欧米人と違い肉食がなかったという事実は、霊的に見れば罪をおかすことが少なかったということです。しかし、現在の日本は、せっかくの歴史的長所を根底から捨て去ってしまいました。

明治維新以降の肉食解禁によって、かくも短期間に肉食が急増し定着したという事実は、日本人は霊的に見たとき、大きなマイナス方向に踏み出してしまったということなのです。欧米の間違った食文化に毒されて、大切な霊的遺産を捨て去ってしまったのです

 

                    スピチュアル リズムから見た肉食と動物虐待の問題(抜粋)

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 屠殺場の壁がガラス張りだったら人々はみな、ベジタリアンになるでしょう。

 

                    ポール・マッカートニー(ミュージシャン)

 

 「動物愛護キャンペーンが鬱陶しいだって?バカじゃないか?屠殺場の大量殺戮ほ   どひどいものはないだろう」。

 

                         リチャード・ギア(俳優)

 

 「ビーガンであり続けようと努力しているよ。フルーツ、野菜,豆腐、豆製品をいっぱい摂ってね」。

                

                  クリント・イーストウッド(俳優、映画監督) 

 

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  内臓の中に肉がはいると=腐る  府の中に肉が入ると=腐る

                   字があらわしています。

  

  発ガンの原因になるのは、腸内で腐敗するからである。

 

  注目サイト ガンと肉食 

           肉食は百害あって一利なし

 

                          医学博士、森下敬一

 

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 メッセージ、ビーガンはむずかしいです、できるだけ肉を食べない努力をしています。

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「偶然の出来事というものは一つもありません」

 

 

「宇宙観に発生するもので、不測の事態、偶然の出来事と

いうものは一つもありません。全てが規制さ、全てが統制

され、全てに神の配慮が行き届いているのです」と 

 

シルバーバーチは言う。これは実に重い言葉である。私

たちは、何か事件や出来事に遭遇すると、あれは運が悪

かったのだと、不幸な偶然であった、などというが、それ

は私たちが、大宇宙の中では一つの点にしか過ぎないよう

な、小さな地球の上で、きわめて限られた狭い視野でし

か、ものごとを見ることができなからであろう。

 

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      ( 霊的交信の難しさ)

 

「霊言が 百パーセント伝わることは滅多にありません」

 

霊界と地上の交信の難しさについて、シルバー・バーチはこう言っている。

 

霊界の通信者の伝えたいことが、百パーセン伝わることは滅多にありません。

 

あることはあるのですが、よほどの例外に属します。あな

た方が電話で話を交わすような平面上の交信とは違うので

 

す。その電話でさえ聞き取り難いことがあります、混線し

たり故障したりして全く通じなくなることもあります。

 

地上という平面上の場合でもそうしたトラブルが生じるの

ですから、まったく次元の異なる二つの世界の間の交信が

いかに困難なものであるかは容易に理解していただけると

思います。

 

         シルバーバーチの霊訓(1)  

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 参考、

   

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「しつこく残っている利己性がなくなるまで霊的進歩は望めない」

 

 

 

腫瘍を取り除くことが目的ではありません。

 

本来の目的は魂の琴線に触れることです。

 

その意味で霊のガン患者もいるわけです。

 

そういう人は利己性その他の悪性の腫瘍がしつこく残っていて、それが取り除かれるまでは其の霊的進歩は望めません。

 

地上生活で最も大切なのは霊に関わる事です。霊が主導権を握ようになるまでは調和も健康も幸福も生き甲斐も得られません。

 

           シルバーバーチの霊訓(9)

 

 

 

 

  「ひとのためにはどんなことでも嫌がらずに行う」

 

 

ひとのためになることであれば、どんなことでもよろしい転んだ人の手を取ってあげることでも、勇気づけの言葉を掛けてあげるのでもよろしい。

 

霊的なことに係わることでなくてもよいのです。

 

 

物的なことであっても、それが相手の人にとって意義のあることであり、あなたもそれを嫌々ながらでなく気持ちよくしてあげるのであれば、それはりっぱに神の道具としての役目を果たしたことになります。

 

           シルバーバーチの霊訓(12)

 

 

 

 

 

 

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